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一般投稿欄

国民の審判と民主社会の公党が取るべき姿勢について 国民の共同の前進のために

2013/4/13 佐井 健

「労働者階級の大衆的前衛党」を自称し「社会主義革命」を掲げて来た日本共産党は、マルクスレーニン主義から科学的社会主義へと、用語や「レーニン言語の読み変え」を進めては来たが、それらの一つ一つが、逆に日本共産党の民主社会との不適合性を浮き彫りにするという皮肉な結果を生んでいる。
代議制民主主義社会とはそもそも相容れない「秘密結社」的な「上意下達のレーニン体質」にあくまでこだわり、常に、国民の自主的で自発的な認識や行動の高まりの上に彼らの「理論」を押し付けるやり方が、先進的大衆運動という肝心な部分で繰り返された結果、今では、その「大衆性」ばかりか、その「民主主義認識」さえ見限られて凋落の様相を示している。
党員の方には嫌がられると思うが、私は、日本共産党とは、日本国民の「善意の牢獄」だと思っている。「創○学会」や「幸○の科学」と基本的に変わらない団体だ。
ただ共産党の場合、「レーニンの革命神話」によるあまりにも痛ましい誤解が世界規模で生まれ、世界でも日本でも、あまりにも「多くの善意がそこに集結し犠牲者も多数生まれたという事実」が、いかにも共産党の理論や活動の「道徳的権威」かのように常につきまとい、進歩的な人々の中でもいまだに「眠れる英雄」への「待望論」のような形で、その存在は捉えられていることが少なくない。
私は、その待望論、期待論自身が、本格的な国民共同推進への、最大の障害の一つとなっていると思う。
人間社会の進歩は、民主主義の不断の追求と発展が、科学や技術の進歩を理性的に制御・活用して行くことで図られるのだが、民主主義の不断の追求とは、利害の対立関係にある国民自身が、共同や連帯を量質ともに構築拡大すること以外には達し得ないものだ。
幸いというと変だが、私たちの身の回りには、既に、様々な形態での、弱者支援活動や、政治腐敗を監視し告発する市民レベルの運動などが存在している。
しかし、それらが即、脱原発や改憲阻止で大連合に進むような状況にはない。
「7月の参院選」に間に合うかどうかはわからないが、これが国民の共同の現実だし、ここを出発点とする以外に、現在の、これからの民主主義の不断の追求を推し進めることは出来ない。
そこに英雄はいないし、必要でもないのだ。ナポレオンが何だったのかは、ナポレオンの歴史が語っているが、そこまで遡らずとも、あの「レーニンソ連」が、雄弁にそれを昨日の出来事として私達に語り掛けている。
改憲要件の改悪阻止と脱原発は、現在の国民共同の焦眉の問題だ。だからこそ生活課題と結びついた国民の共同の構築と拡大が重要だ。だが、「共産党待望論」が、この運動の前進に奇妙な影を落としている。誤解を恐れずに言えば、代議制民主社会の更なる前進にとって、政党は道具に過ぎない。そして、今の共産党は、障害物である。
そのことを、以下に、日本で唯一の「大衆的・階級的政党」である自民党を例に語り、「待望論」克服の具にして欲しいし国民自身の共同の発展こそ「善意の牢獄」の解放にもつながると思う。

            ◇◇◇

自民党は、「市場原理主義」への回帰を指向しがちな「資本」の代弁者の役割を担い、市場原理の為すがままとなる国家主義の再構築を党是に滲ませている。
だが本来は「政党」に限らず、「階級的利益」実現のための「結社」などは、非民主社会において誕生し、文字通りの「秘密結社」的存在として成立していたものだ。
社会の全体の階級や階層を超えた「共同」と「共生」を指向する代議制民主主義の下では、そもそも不適合なのが「階級政党」なのだ。
しかし、自民党は、本質である「市場原理のための資本の階級政党」であることを体内に忍ばせながら、国民に対しては「民主社会の公党」として装うことに成功している。
大企業の「オトコメカケ」とまで言われた経緯があり、その批判は今でも後を絶たないのに何故、それが可能なのか。
それには「特異点」とも言える誕生の経緯も関わりはあるが、それは後日にして、標題に対応する結論を言えば、「民主社会の公党としてのあり方の最低限度の態度の取り方を拒否せず受け入れて、それを実行しているからだ」という点にある。
つまり、選挙での敗北や国民からの強い不支持が突きつけられた際に、それに応えるように「党首の交替」および人事・組織体制・政策の変更などの「党刷新」を行っているということだ。
それは、選挙結果という「国民の声」を、政党という「結社の内部」にストレートに反映させる行為であり、代議制民主主義に基づく国民の意思に対して、謙虚に、且つ、密接に連動して存在し行動している「公党」なのだということを、態度で鮮明化していることになるからである。
非民主社会の「秘密結社」とは、その存在自体が今風に言えば「負け組」、抑圧される側となっているのであり、そこに「秘密」の意味もあるのだが、彼らは負けを続けたとしても、そう簡単には、トップを含めた上部体制の変更はしない。
それは非民主社会の秘密結社の存在形態は中央集権独裁体制とならざるを得ないことに由来する。
変更があるとすれば、トップが死亡して世襲となるケースか、指導者が何者にも阻害されず自己の権限を温存したまま次の形式的指導者を指名するケース、そうでなければ、組織内部で反乱、クーデターがあったというケースだろう。
これは抑圧側、被抑圧側を問わず権力闘争に挑んだ者達の、世界史・日本史を貫く封建時代の組織のあり方だと言える。
このやり方を民主社会に持ち込めば公党の対局物として、「私党」と呼ばれることになる。
だから、北朝鮮に観るように国の指導者が世襲で交代する国家は、玄関に「人民民主主義共和」の表札を掛けようとも、多くの人々は、その本質を「金王朝」と捉え、封建制の非民主主義国家と認識する。
戦前の日本では、内閣が不評であれば、首相交代や新たな組閣がなされ、それに連動して内閣を構成する政党のトップや体制が替えられたが、それはあくまでも天皇に対して行われた補弼行為の一環としてなされた行為に過ぎず、戦後民主社会の国民に対して行うものとは別物であったのは言うまでもない。
しかし、自民党の前身を為し、戦後の民主社会での公党へとそれを繋いだ者達は、国民=選挙民とみずからの公党との間に、先述した、民主社会の公党の政治ルールである最低限の基準を自党へ敷設することに踏み込んだのだ。
それが、「階級政党」としての鎧を、未だその中に持ち続ける自民党が、代議制民主社会の中で、決定的な矛盾を晒すことなく現在に至るまで旋回し続けられた重要な理由のひとつだ。
言わずもがなではあるか、具体的に想定してみれば話は早い。あの安保闘争の際の岸首相=自民党総裁、そこまで遡らずとも、民主党の政権奪取直前の麻生自民党総裁が、敗北後も、「我々こそが正しいということに国民は気づいていない、国民に我々の正しさを知らしめるほど、自民党員が国民に溶け込んでいないのが問題だったのだ、今こそ飛び込み溶け込め」と事あるごとに発言し続けていたとしたらどうなっていたかだ。
また、戦前の反動勢力は、戦後のリベラル保守との合同を経て、その政党である自民党を大きく変貌させた。掲げた政策や党内方針、目玉となる政策に反対する異論も、敢えて役員、上層部に「積極的に」抱え込みながら活動する政党へと変貌させたという点も重要だ。
これらが、公党のあるべき姿として重要だという理由は、先述の様に、民主社会とは、その人それぞれの生存のための分野があり、社会的、経済的立場や地位が相違する者達が、いかに共存と共生をめざすかのための「装置」であるということに関わるからだ。
国民の眼前での政治闘争の結果を、それぞれの党が、その党内組織に機敏に反映することは、その政党がおおやけの党、公党そのものであることを表明する行為である。
それをかたくなに拒む党は、代議制民主社会というステージに相容れないばかりか、ステージそのものを認めようとしない政党として国民に認知される。
そして、そのような党の掲げる社会主義的変革というものは、その実、私達にとってかけがえのない「民主社会の装置を『変革』してしまう危険な勢力」と感知される。
「なるほど、あの党は、党員という名の国民を中央集権で扱う党なのか」と。
国民とは、多種多数の利害対立による無数の異論の存在を前提とした社会の構成員のことだ。
だから議会制民主主義は、社会の共同性や非共同性のレベルを、如実に、政治家や政治集団の質とレベルとして反映する。
政治家に利己主義的で排他的人物、排外主義者などが存在するのも、国民の中の様々な利己主義、排他主義などの存在が反映されたものだ。
だからその社会は紆余曲折を避け得ずに進むことになるが、科学の知識や技術の進歩などによる社会生活様式の変化、時々の内外の事象や軋轢などで、国民のそれぞれの意思や問題意識ばかりか、場合によっては、個人のその社会における階級=経済的地位なども変化するなどということもまた避け得ないし、実際に起こって来た。
それに呼応するように、政治意識、政治体制の枠組みも、ひいては、政治家やその集団である政党なども変化せざるを得ず、そのことによって漸次、政治の再編が進む。
敗北民主党の分裂を引き金とした今回の多党化現象、「未来の党」や「緑の党」などの誕生は、一概に「理念なき離合集散」と非難する皮相な目だけでは見えて来ない国民の意識変化の予兆や流れを示す一例だ。
繰り返しになるが、代議制民主社会は、その本来の目的である国民の「共同・共生」を追求する装置であり仕組みだ。
その追求は、私達人間の意志と行動を通じて行われることだから、その際必要なことは、「変化の兆し」や「可能性」を取りこぼさずに見つけて、「共生のための共同地点を探る」ということが、最大の「民主主義の前進のための課題」であり、活動=「闘争」であると言える。
他党の分裂や再編を「表紙を変えただけだ」などと「固定観念」や「自己絶対化」に固執して単純に切り捨てない姿勢こそが、民主社会の進歩にとって重要な視点だろう。
この点にこそ、マルクスの‘解釈するだけでなく変革すること’の意味があると私は思う。
なぜなら、マルクスの生涯にわたる葛藤は、格差を生み出す資本主義の原理の追求と表裏一体にした、抑圧された者たちの「解放」と「自治」、そのための「共同」の追求だったからだ。
まさにマルクスは経済学者であると同時に、コミュニスト=「『共同』の実践的研究者」であり、世界の各地、それぞれの社会での被抑圧者の団結=共同を願い、やがてそれが、世界の団結と連帯から、共同と共生人間社会へと進むべきことを、客観的に、社会科学として究明しようと努め、あとを後人に託したのだ。
そのマルクスは「人がそのように言い立てるのならば、私はマルクス主義者ではない」と口癖のように言っていたというが、その後継者を名乗ってその後に登場した者たちの多くは、こぞって、人間と社会の最大の価値である「共同と共生」の真上に、個人の名を付した様々な理論を無理やりこじつけては、それを組織生き残りの手段と口実にして来た。
私達の国でのその党は、日本共産党と称している。
過去も今も、多くの惜しむべき善意も、悲しむべき誤解の中で、その牢獄にとらわれている現実がある。
その党では、私達の最大の価値である共同や共生は、一般の社会の中での共同実践の取り組みの紆余曲折の中からではなく、最高位にいる者の持つ「マルクスの目」が、その優れた頭脳と連動して現在を認知するところから生まれるので、党員はその正しさの検証を実践で証明するだけで良いのだそうだ。
それでは、切実・逼迫化する護憲・脱原発の共同拡大よりも、赤旗の拡大が指令されているのも頷けよう。
もはやそれは、マルクスのコミュニズムとは正反対のものと言うしかない。
ナチスと戦ったあのパリ市民を、「神を信じた者も、信じなかったものも・・・」とアラゴンが詩で謳ったが、私達にとっては、襲いかかる改憲と原発復活危機を跳ね除け得る共同の力こそが、今問われている。
共産党が、民主社会の発展を願う多くの人々の「今こそ共同の拡大を」という願いに背を向けているのは、「何かの間違い」なのではなく、その本質があぶり出されているだけだということに、私達は、早く気付かなければならない。
政府自民党などが日々推し進める反動の流れを批判し、日々、それを阻止しようと訴えているのは、残念ながら日刊赤旗であるという状況を克服し、それに代わるものを私たちは持たなければならない。
そのためにも、既に至るところにある住民、市民、国民の共同運動のそれぞれの質と量の拡大、真の国民の共生を促進する「国民の共同推進のための大連帯」を構想しなければならない。
私は強くそう願っている。
そして、このページが、その一つの架け橋になり得るものと期待している。