28日にウルトラ右翼の安倍政権が「主権回復」とか称して国家主義的式典を挙行したのは周知のとおりですが、これに対して志位共産党委員長や憲法会議、平和会議、伊波元市長らが、「安保廃棄・真の主権回復」を求める集会を行いました。そこで「対米従属」が久しぶりに語られました。大日方教授が敗戦後の歴史的な経過を説明しました。志位さんは、さすが演説慣れをしていて話のツボを心得ているようで、聴衆も拍手や笑いで応えていました。
「岸が公職追放から解除されたのが、本日です。日本再建連盟をその後つくりました」などは「へえ!」と思わされたものです。しかし彼は、「安保破棄を通告してその後1年で米軍はアメリカに撤退しなければならないのです。60年安保で10条が追加されいつでも通告できるとなりました。唯一いい条項です」と発言していました。
でもこれってそうなるでしょうか?10条は時の安保闘争の昂揚を鎮めることとを旨として法的整備をしたに過ぎないのではないでしょうか?日米安保の重しをそんな簡単に権力者が手放すわけはありえないと思います。権力者は良識の持ち主たちだと考えているとしか思えません。戦争や侵略、弾圧や残虐な行為を屁とも思わない帝国主義者が、一片の通告で大きな損失を蒙る撤退などするわけがありません。しかも反共タカ派、独占資本の代表たる米日政府が対中国の軍事的戦略基地を、選挙の結果によってみすみす失うようなことは、決して許されることではないと確信しているのは目に見えます。
さらに、こうした沖縄県民に「屈辱の日」と言わしめるこの日は、かつての沖縄祖国・本土復帰運動で決着がついていたはずではなかったでしょうか?祖国に復帰すれば万事がよし、と当時の革新勢力全体が主張していたことではなかったでしょうか?しかし現実は沖縄の米軍基地はその後も着々と核基地化され、強化され、世界最強の米軍前線基地になってしまいました。
とすれば、過去のその運動自体の総括も問われることになります。祖国復帰運動の不十分性、あえて言えば当時、何が目的であったのか、サンフランシスコ条約3条がらみの復帰だけでは目的・戦略に欠陥があったと言わざるを得ないのです。前線基地の今日を見こして当時戦略が考慮されなければならなかったと改めて思いを致すところです。