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2013年川崎市長選の背景

2013/9/7 櫻井智志

 革新地方自治体が太平洋湾岸に燎原の炎のように広がっていった ことが、戦後日本の1960~70年代に見られた。
 もともと京都府では、蜷川虎三氏がいちはやく革新府政を推進し ていた。神奈川県横浜市では、当時の社会党員であった飛鳥田一雄 氏が市長として取り組んでいた。
 画期的だったのは、大内兵衛氏を中心とする労農派経済学者を主 に知識人たちが取り組んで同じ経済学畑の美濃部亮吉氏を候補とし て取り組んだ東京都知事選挙だった。社会党と共産党が合意して、 政策協定を結び確認母体「明るい都政をつくる会」に労働団体、消 費者団体、主婦団体、市民団体が次々に結集してついに美濃部亮吉 氏を都知事に当選させた。
 これをきっかけに、大阪黒田府知事、神奈川長洲一二県知事、沖 縄屋良朝苗県知事、愛知県、名古屋市、千葉県など革新首長は人口 の三分の一を占めるに至った。
 川崎で、市労連の委員長だった社会党員伊藤三郎氏が、共産党と の間で政策協定を結び、無所属として立候補して、川崎市で戦後初 めての革新統一市長が誕生した。
 川崎は江戸時代までのどかな農漁村であった。沿岸部の梨は、し だいに北上し、今でも多摩川梨として多摩区宮前区などで生産され ている。明治の産業革命で日露戦争後に重化学工業化が進むに従っ て川崎沿岸はあいついで埋め立てられ、東京都大田区から横浜市鶴 見区に至る湾岸工業地帯の京浜工業地帯の中核地として発展してい った。全国から若年労働力が集まり、川崎は工業都市として発展し ていった。日清戦争時期の紡績産業で第一次産業革命が紡績女工を 中心として発展していったが、それは群馬長野などの『女工哀史』 に描かれるような悲惨で過酷な資本家による搾取労働とうらはらで あった。第二次産業革命で工業都市として生まれた川崎市は、低賃 金労働力として 全国から集まった労働者達を苦しめていった。
 それは第二次世界大戦時の軍需産業を経て、戦後も川崎の工業都 市は継続していった。だが、利潤本位の政策は、労働者を搾取した ばかりでなく、社会的共通資本としての大気や水を汚染していった。 中でも空気汚染は、子どもたちを大気喘息で苦しめていった。洗濯 物を干すと煙煤で黒くなってしまうほどの汚染だった。大気中に重 化学工業で排出された有害物質は、四日市公害などと同じく、その まま大気中に放出されていった。
 水俣病、新潟水俣病、富山イタイイタイ病、四日市喘息などの四 大公害裁判で企業の責任が厳しく問われる社会的情勢のもとで、川 崎の空気汚染も企業のみならず行政への怒りも高まっていった。
 そんな中で生まれた伊藤三郎革新市政は、公害対策ばかりか福祉 や教育などにも真剣に取り組んでいった。当時の社会党代議士岩垂 寿喜男氏(総評の書記局もつとめた社会党左派の協会派)と日本共 産党の代議士中路雅弘氏がともに国会でも共闘し、地域でも競争的 共存をくんでいた。

 やがて伊藤氏が疾病で車いすを使用するようになって、伊藤市政 は、助役の小松宏氏に継承されようとする直前、ロッキード事件が 発覚して小松氏が失脚せざるを得なくなると、次の助役高橋清氏が 伊藤市政を継承して市長に就いた。高橋市長は、教育畑の誠実な人 柄で、市役所で教育委員会の指導的立場にあり川崎市教職員組合の 委員長の経験もあり、行政からも労組からも一目置かれていた。
 一期目は、社共のほかに民社党か公明党かどちらかも参加した。 二期目にはなんと自民党も支持勢力に回り、ここで日本共産党は市 政の保守化右傾化への変質の策謀を見抜き、独自候補擁立に回った。 さらに高橋清市長三期目の市長選では、松沢しげふみ衆院議員が、 元官僚で大学教授だった阿部孝夫氏を担ぎ出し、革新市政は完全に 崩壊した。松沢氏は代議士、県知事、都知事、参院議員と転々とし てその政治的姿勢はマキャベリズムにあふれているが、松下政経塾 の出身で新自由主義の政治家である。いまはみんなの党の推薦を受 けて参院議員に当選したが県内市内でも自民党候補に次ぐ第二位の 得票を得て、川崎政界にも隠然とした影響力をもっている。
 阿部孝夫氏は市長を 三期務め、自ら多選防止条例を決めた。四期 目も立候補の意思はあったが、政界の力関係で、川崎市役所と永田 町官庁を往復する秀嶋善雄氏(44歳)が自民の推薦をうけ、民主・ 公明へと大勢が流れる状況下で市長引退を公式に表明せざるを得な くなった。

 川崎には、松沢しげふみ氏の私設秘書を務めて県会に出ていた福 田紀彦氏も出馬を表明している。福田氏は前回も県議会を辞職して 市長選に立候補。阿部市長についで次点となっている。
 阿部市政は、民主党右派のリードで誕生したが、今回の市長選は、 民主党~みんなの党系列の松沢しげふみ=福田紀彦氏ラインではな く、自民党が金刺市長敗北の1971年以来実に42年ぶりの主導 権奪回の挑戦とみる。神奈川の民 主党は代表が前原元代表の系列下 の右派系議員が多い。
 自民党は五人の麻生派国会議員がいる。しかし、それ以上に無派 閥の国会議員が十数人いる。リベラルな河野太郎氏は、麻生派であ る。小泉次郎氏や川崎選出の田中和徳氏や小泉昭男氏は無派閥であ り、今回の参院選で当選した島村大氏も無派閥である。よくよくメ ンバーを見ると、菅官房長官も無派閥として処理されているが、現 在の自民党無派閥は、町村派の安倍晋三氏に近い動きが見られる。
 今回の川崎市長選挙は、今までの民主党右派主導から自民党が主 導権を奪回しようとする二候補と、革新統一市政崩壊後に民主市政 を築き、新自由主義や安倍政権の国政に対しかわさきに根付いた民 衆主権の市政構築の抵抗運動と言えよう。