10月27日には宮城県知事選、神戸市長選、川崎市長選の投票が行われている。川崎市民の私は、川崎市長選についてウオッチし続けている。神奈川県の黒岩知事は、秀嶋善雄氏を支持している。前知事の松沢成文氏は、私設秘書もつとめた福田紀彦氏を支持している。伊藤三郎革新統一市長の精神を受け継ぐのが、革新市政のさなかに北大を卒業して、厚労省を通じてハローワーク、職安の現場で革新市政の末端で若い日々を新鮮な目で川崎市の労働現場に携わり続けた君島ちか子氏である。
君嶋陣営が「中学校給食」をうちだすと、2番目に福田陣営も「中学校給食」とずっとアピールしている。 きょう10月11日の神奈川新聞を読むと、秀嶋陣営も「中学校給食」と言っていることがわかった。それはそれで大いによいことだ。 しかし、どんな文脈でそれが言われているかが問題だ。
中学校給食には、食材の問題、給食調理員の雇用の問題、食物アレルギーに対する家庭と栄養士職員と学校管理体制と学級担任との連携も油断してはならない。それらをひとつひとつクリアしながら、全国的にほとんどの中学校で実施されている学校給食に今から展望しているのが、川崎や横浜の現状なのである。
阿部市政を継承発展させ、新旧の神奈川県知事の支持を受けている秀嶋・福田両陣営は、保育所待機児童問題でも、待機児童をなくすために、保育所を無認可保育所で一気にゼロにしようとか、保育の基準をゆるめることで強行突破しようと考えている。こどもの発達と成長が問題なのに、外側のハコモノだけ用意すればそれで解決と考えている。
また、神奈川新聞は、川崎港への大量投資が大型産業を未来に備えるというアピールを述べている。これは神奈川新聞社の独自の発想ではなく、候補者やいままでの市長の見解や産業界の動向を紹介したにすぎない。
川崎港の今後の産業誘致や開発前提で川崎港に10年間に千億円をかけて経済活性化させようという構想は、国家の経済が好景気にわいている時ならば、まだわかる。しかし、現状はどうなのか。いまの川崎はどうなのか。1960年代の高度経済成長政策のもと、川崎には全国から集まった労働者と家族が大気汚染のひどさのために喘息で苦しみ続けた。労働者は困難な生活を強いられた。
そんななかで、労働運動はついにたちあがった。公害に対する反対運動に立ち上がった。社会 党と共産党の革新統一市長が当選したのは、1971年のことである。それ以降、社会福祉や保育、老人介護はコペルニクス的転回がおきた。「住むのなら福祉は川崎だ」という声が急速に広がった。伊藤三郎氏が病気のために倒れると、後を次いだ高橋清氏は教育畑から立候補し、実直で誠実な人格は、革新市政の継承を実践した。
だが、そんな高橋市政を倒したのは、当時の民主党代議士松沢成文氏である。松沢氏は民主党野田元総理と同じ松下政経塾の出身で、新自由主義者として知られている。
目の前の川崎市民の窮状を斬り捨て、生存競争弱肉強食路線で臨もうとしている。川崎港付近にいろんな産業開発の未来投資も余裕があるならまだしも、市民の多くがアベノミクス路線のもとでTPPや 消費税増税でますます生活に苦しんでいる。
そのことを大型港開発産業誘致バラ色派は、どう説明するのか。いまも日本を軍事大国にしようともくろむ膨張主義者たちは、今も変わらぬ夢を見続けている。
福島原発では、必死になって原発事故処理をしている労働者たちが、強い国家指令のもとで被曝しながら、過労とプレッシャーと限界を超えた労働で、単純なミスの続発は、ただの不注意ではなく、放射能値の高い現場で過ごす時間も休憩時間に含められ、労働者は東京オリンピックを意識した政府を通して世間からも強まる避難の声のもとで、「大事故が起きなければ」と懸念のもとで働き続けている様子を二日続けて東京新聞が一面で伝えている。
最後に、「川崎民主市政をつくる会」候補者の君島ちか子さんが語る様子を写した20分21秒のYOUTUBEドキュメンタリーをごらん下さい。写真家の小池汪氏など川崎に民主市政を願う人々からのメッセージです。 『君嶋ちか子の見た川崎』 http://youtu.be/XKaTf5I61RA