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小泉純一郎の「脱原発」でそんなに有頂天になっていいのか

2013/10/20 町の灯

 小泉元首相が公には2回「脱原発を首相が言えばそれが大勢にな る」と発言した。これを受けて共産党市田氏、志位氏が、商業新 聞で「アカハタに載せたい」「理がある、共闘していきたい」とエールを投げかけた。福島みずほ氏は「食事を共にしたい」とまるでデート気分で舞い上がった。
 しかしこれでいいのか?小泉といえば、新自由主義をかかげて アメリカ追随を竹中平蔵氏とすすめ、郵政民営化をやり、多くの 労働者を過酷な労働へと突き落としまた路頭に迷わせた。
 アメリカのポチとまで蔑称されながらも、多くの日本国民の反 対を押し切りブッシュの嘘八百のイラク戦争を尻押しし、自衛隊 海外派遣の道を切り開いていった。まさにそういう反人民の総理 でした。靖国にも羽織袴で参拝し、日中韓の緊張を高めもしたこ とが今の安倍にも引き継がれたのだった。

 今この時何故、その小泉が「脱原発」を声高に言いだしたの か?弟子筋の安倍の足を引っ張ることも辞さず、アベ成長戦略を も無視して、そう言いだしたのか、これを考慮に入れず、「脱」 というからまるで恋人、味方でもあるかのように無条件で、保守 層に媚びる形で、飛び上がって喜ぶのか?
 小泉の意図狙いは何かを分析するべきではないか?人民のため を考えて「脱」を言っているのではないのではないか?人間だか ら趣旨替えをして転向することもあるだろうが、それなんだろう か?
 東京新聞あたりは小沢一郎に乗せられて政界再編を企んでい る、ということを言っている。息子の総理の展望のためにもそん な道筋を拓こうとしているとも示唆している。

 しかし私はそれもあるだろうが、これだけ損害を出し、破産寸前の東電をこれ以上存続させれば、原発は商売や儲けにならなず、損だと判断した儲け追求の資本家側の意向に沿おうとしたことが大きいと考えている。例えば、石油資本家、自然エネ資本家、貿易商業資本家、中国との提携で経営する資本。
 まして軍事面の側から見れば、プルトニウムはすでに核爆弾4000発を有するに等しい量をため込んでいるのだからこれ以上は処分に困るだけだし、廃棄物の処理ができない原発はやーめた、となって不思議ではない。
 小泉発言は、決して人民の側に立った「脱原発」ではなく、経営の論理(儲けの追求)にたった「資本の撤退、移動」の類ではないか、そんなに浮かれることではないのではないか、と思う。原発から手を引けば資本の論理からまぬかれるということでは全くないのだ。新たな困窮の道へわれわれ人民を追いやるだけではないか。
 民主連合政府を目指すにしてはみっともないやり方で、ポチにすがるのはやめた方がいいと思う。