芝田進午の学問の専攻は、哲学・社会科学(乃至は社会学)と思われる。しかし、その哲学は「実践的唯物論」の立場にたちながら、非常に柔軟で創造的な学問である。観念論哲学にも、硬直した党派的唯物論とも離れた位置にいた。
今までに述べてきたが、芝田進午にとって現実に目前に横たわるすべての問題を解決して、人々がいっそう人間的な生活を送るための理論的基盤を構築することが芝田氏の学問の真骨頂である。
さらに、最晩年には「人類生存のための哲学」構築をめざしていた。バイオハザード(生化学災害による人類皆殺し)との闘いに国家権力とすべての医療学界をも相手に回して国立感染研の危険と闘った。もしも芝田氏が生きていらっしゃったなら、福島原発に真正面から取り組まれていたことは間違いない。
芝田学、とは硬直した体系ではない。生きる権利と労働権を基本に個人から民族に至るまでの見事な体系的な学問を構築しているにかかわらず、それは柔軟に現実と対峙して理論の大胆な修正も辞さない。
芝田氏の学問を最もよく継承しているのは、「バイオハザード研究センター」に集う学者と研究者と市民だろう。ただ、芝田氏の学問では、教育労働論、科学・技術論、精神的労働の理論、平和運動論、現代民主主義論と広範に及ぶ。それぞれの分野で芝田氏の学問をもとに唯物論にフェニムズム論を取り入れ新たな学問フィールドを構築した浅野富美枝宮城女子学院大学教授だろう。フェニムズムには、上野千鶴子、井上輝子らの碩学とともに浅野富美枝氏の活躍は、芝田氏の学問を追究したものと考える。
芝田学は、芝田進午の生き方と人生史が体現する全てを学問的に検証したカテゴリーといえよう。私は、教育について『語り継ぐ人間性と人格の教育』を一冊の書物にまとめて川崎教育文化研究所(川崎市教職員組合の外郭団体)から頒価千円で執筆した。いま『座標』と題して、吉野源三郎、鈴木正とともに芝田進午についての研究を年内出版をめどに取り組んでいる。こちらのほうは書店の店頭に並ぶ予定である。詳細は三章中の第二章に検証・提起されている。