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2012年総選挙に見える日本人の「国民性」をめぐって

2013/12/29 原 仙作

田村さん、ご無沙汰しております。
 この1年ほどは投稿しておりませんが、当サイトにはよくやってきます。

 わかりきったことではありますが、安倍総理がついに靖国参拝にまで進んだことは、昨年末の総選挙における結果であり、国民が自民党を圧勝させ、2009公約遵守を標榜して離党した小沢ら「未来の党」を惨敗させた結果でもあります。

 ネット上では、「未来の党」の得票のあまりの少なさから、集計マシーンの本格導入という要因とからめて得票操作の主張も根強くありますが、7月の参議院選も同様の結果であり、「改革派」は二つの国政選挙の結果を事実として受け止めて対処する以外にありません。

 そういうことになると、国民は公約遵守の小沢グループらを惨敗させる一方で、国民に負担を強いる消費税増税と福島事故後も原発推進の自民党を圧勝させるという「奇っ怪」な選択をしたことになるわけで、小沢らの離党=新党形成を呼びかけた私の判断には根本的な欠陥があったことになります。

 「未来の党」らの惨敗も多様なファクターを持つ政治現象ですから、民主党政権のぶざまさや公約破り、マスコミによる偏向報道(司会者が「小沢が嫌いだ」と平然と言い放つ記者クラブ主催の党首討論会など)や新党形成をめぐるゴタゴタや、あるいは突如の解散による準備不足などなど、惨敗の要因は多々あるのですが、主要なことは増税と原発を地震列島全土にばらまいた自民党を国民が選択したということです。

 確かに、総選挙における自民党の得票は惨敗した09総選挙より、得票(比例区)を100万票も減らしていますから、国民多数の選択ではない(小選挙区制マジック)とも言えるのですが、民主党を政権へと押し上げた票が1000万票も行方不明(主に棄権、一部は「維新」などへ)になって、間接的に自民党圧勝の要因ともなっているのですから、総体としてみれば、「改革派」はもろく、「保守」が強かったということになるでしょう。

 こうして「改革派」の「もろさ」と「保守」の「牢固さ」を総体として把握するためには、「国民性」とでも言うべきものにぶつかるわけです。この「国民性」、あるいは「民族性」は旧来の左翼が理屈の上で否定したり無視してきたところのものであって、21世紀になって、何を今更とも言えるモノではありますが、理屈で現実の存在を亡き者にするわけにはいきません。

 この「国民性」という要素は政治的実践においては、運動の方針や進め方、組織の仕方などに直接的に影響するもので、避けて通れないものでありながら、旧来の左翼が視野の外に置くことを伝統としてきたところであって、それゆえにまた、左翼運動がこの国に定着できない主な理由でもあったように思うのです。

 そういうわけで、この「国民性」なるものに頭を悩ましているところであって、古くは戦前の共産党指導部・佐野と鍋山の「転向声明」にはじまり、小林秀雄の「本居宣長」とか丸山真男の論考や加藤周一の「日本人」論、あるいは、イザヤ・ベンダサンの「ユダヤ人と日本人」に始まる山本七平の比較文化論など、あれこれ調べているところです。

 現在のところ、たどり着いた地点は、彼等の論考はそれぞれに参考にはなるのですが、やはり、客観的に過ぎる、あるいは翻訳調になりますが、「観照的」なのです。たとえば、山本は、「日本人は戦争も自然現象のように捉えている」と指摘するのですが、そのような理解が政治との関わりではどういう意味をもつのかに触れることはありません。小林にあっては戦争は自然現象だとさえ断言しています。

 左翼は戦争を自然現象と言う小林を戦争を正当化する右翼だと切って捨てるだけで、例外的に一部の研究者がこうした奇異な理解を構成する理屈まで調べているものの、理屈のさらに背後にある奇異な見解を生み出した文化的土壌にまで踏み込むことはありません。

 ところが、政治の実践では「戦争も自然現象」と理解しているような国民を支持獲得の対象とせざるをえないわけです。あるいは原発事故で故郷を追われて仮設住宅で暮らしながら、帰郷を神社仏閣で祈念する国民の支持を調達せざるを得ないわけですから、この文化的土壌をこそ考慮にいれないわけにはいきません。そして、この文化的土壌こそが「国民性」とも言い換えることができるものでしょう。

 そこで、政治的実践という視点から問題を統括するにはどういうやり方があるのか、ということなのですが、やはり、日本人の政治闘争の歴史的な実践の例から典型を探すということになるわけで、直近の仲井真沖縄県知事による辺野古埋め立て承認決定も興味深いところがあります。

 以上のようなわけで、私の問題意識も9合目あたりに来た感触がありますが、ここからが難関ですが、春頃には何とかまとめてみたいと思っています。(2013・12・29)