安倍内閣の側近の中で、三人の優秀な人材のことが気にかかっている。
ひとりは、初代内閣調査室室長を務めた佐々淳行氏である。氏は、石原慎太郎氏が最後に都知事選に出馬した時の選挙参謀も務めた。後藤田正晴氏が官房長官の前に警視総監や警察庁長官を歴任している。佐々淳行氏の著作を読むと、後藤田警視総監の時に直近の部下として、長野県と群馬県の県境のあさま山荘で1972年に起きた「あさま山荘事件」の陣頭指揮をその場でとった。優秀な陣頭指揮は警察上層部からも高く評価された。私は、第二次安倍内閣が発足した時に、佐々淳行氏が安倍内閣の知恵袋として取りざたされて驚いた。
同時に、小泉内閣の時に官邸の後見役として首相秘書官として重要な役割を果たした飯島勲氏が、今回官邸入りしたことも私の驚きだった。
三番目は世耕弘 成氏である。東大教授で憲法九条の会の事務局長小森陽一氏が小泉内閣の社会世相掌握の様子を分析し、『心脳コントロール社会』を2006年に筑摩書房から新書で出版した。そこで取り上げていたのが、世耕弘成参議院議員の重要な業績である。小森氏は、世耕議員が「改革を止めるな」という、自民党のキャッチ・コピーを軸にした宣伝戦略について、実際の選挙の広報を取り仕切ったことを分析している。世耕議員は、小泉総選挙後の『論座』2005年11月号に、広報戦略について「セオリーどおりだった」と自慢げに内幕を明かし、その文章をもとに『プロフェッショナル広報戦略』(ゴマブックス,2005年12月)という本も出している。その世耕議員がインターネットや国民の心理分析とその 操縦的な対策の中心として安倍総理の側近についた。
佐々淳行氏・飯島勲氏・世耕弘成氏。彼らは、実に有能で堅実である。黒子に徹して、決して表面で華々しいパフォーマンスなど一度もおこなわない。
ここからは私の予測である。
「特定秘密保護法案」は、あれだけ支離滅裂な政府側の迷走がありながら、いささかもぶれることなく、最初の意志のとおり、国会を通過して法律となった。あいつぐ森担当相の揺れ動く答弁とそのさいにテレビで全国中に映った姿は、たえず担当相の後ろに座り、綿密な指針メモを渡しては国会の委員会審議が「とおる」ようにできるだけ目立たぬ動きで森担当相を支えた黒子のひとたち。有識者のなかで、あれこそ内閣調査室、内調の実力だと書いている文章が目にとまり、はっとした。決してぶれずにどんなに破綻が明確でも、「黒は黒くても白いから白だ」と言い張る詭弁家と詭弁術の姿である。
特定秘密保護法を通して、私ははじめて第二次安倍内閣とは、内 調内閣であることを悟った。内調は、戦前の内務省が担当したのと似た側面がある。内務省の仕事の中に、治安維持法の制定とその後の時流とともに拡大解釈を続け、最後は治安維持法に死刑適用の法案改正をはかった側面があった。元首相中曽根康弘氏は、内務省で要職について、それから軍人として海軍に勤務している。今の内閣調査室は、戦後かなりたってから設けられた。一連の公安機関と類似した役割も想像される公的な政府機関である。
健康不調でいかにも良家のお坊ちゃま育ちといった安倍総理が、第一次の印象とは真逆の「堂々たる厚顔無恥」然として、ひきもきらずに、中国や韓国はおろかアメリカ政府からも見捨てられ、イギリスフランスの言論機関からはあきれ果てられ、それでも内閣に居座り続けている。それは安倍晋三氏個人の心臓の強さを示すものではない。総理を支える佐々淳行氏らは、日本国民は徹底して弾圧して押しつぶせば、必ず裏切って寝返るひとびとが出て、さいごは「騙される」ことを快楽とする国民性があることを見抜いている。そういった見通しをもつから、内閣にぶれずに徹底して押し通す戦略を示唆しているものと思われる。以上の推測が、あくまで推測の域で、実際は異なることを願う者であるが 、真偽は今年中に明らかになっていくであろう。