(1)、はじめに
都知事選の結果は、予想されたこととはいえ、奇跡的などんでん返しは起こらず、口先男の舛添の勝利に終わった。何ともはや、やりきれない気分だが、自説の検証とネット上に見られる主な批判への応答はしておくことにしよう。
ネット上の論調をみると、宇都宮支持派が細川に勝ったと意気軒昂であり、主敵が誰であったかを忘れたような高揚ぶりが目につく。この現象はここ10年以上にわたって負け戦続きであったゴリゴリの共産党員の鬱憤晴らしか、あるいは福島原発事故後に政治に目覚めた経験不足の若者達の存在を示すものであるが、他方では同じ社会事情が極右の田母神の61万票をも生み出している。
また、「ノーサイド」の声もあるものの、半世紀にわたる原水禁運動の分裂が何をもたらしたかということを念頭に置く時、宇都宮派、特にその本隊である志位ら共産党の誤りを明確にしておくことはやはり必要なことである。
(2)、主要な論点の概略
長くなりそうなので、先に総論的なところを書いておこう。
その第一は細川と宇都宮の得票を合計すると194万票もあり、細川・小泉拒否派の石頭の連中の票を除いても、細川で一本化できれば、生活の党の小沢も言うように、脱原発派にも十分な勝機があったということがひとつ。
なぜ細川なのかと言えば、国民の脱原発政策支持率は約7割あり、脱原発政策を掲げながら、左翼嫌いの中間・保守層の脱原発票を取り込めるのは細川だからである。 事実、前回と比較すると、脱原発票は宇都宮の97万票だけだったものが、今回は194万票へと拡大している。この194万票は投票総数493万票の約40%にすぎず、まだまだ、有権者を呼び込める「伸びしろ」があったのであるが、出口調査(朝日2月10日付)では、舛添に脱原発票の3割(100万票)が流れている。
第二は、宇都宮票が細川票より26535票多かったことをもって、一本化するならば宇都宮での一本化が正しく、細川での一本化論は誤りであるという主張についてである。どこかの共産党系の大学教授は、得票数の多い宇都宮は細川より当選可能性が高かったとまで言っているようであるから、熱心な宇都宮派にはこの得票差が金科玉条のようにみえるのであろう。
しかし、このような主張は得票差を単純に比較しただけの視野狭窄、全く馬鹿げた見解なのであって、何のための一本化論議であったのかがすっかり忘れられている。200万票の基礎票を持つ舛添に勝つための戦術なのであって、その戦術の目的からすれば、単なる得票差ではなく、総投票数との関係で見なければ意味はない。
その得票差26535票は総投票数との比較では0.54%の差でしかないのであって、この程度の差は、当日の天気次第で容易に変動する得票差に過ぎない。当日が大雪で、投票率が46.1%と下から3番目に低い投票率であったために、全国動員をかけてまで注力した共産党の基礎票が若干の効果を発揮しただけである。26535票の差は、吹けば飛ぶようなわずかな得票差であって、その差に有意性はない。
実際の比較でも、舛添票211万票(得票率43.4%)に対して宇都宮の98万も細川の95万もダブルスコアの負けであって、宇都宮票と細川票の比較は「どんぐりの背くらべ」にすぎない。その「どんぐりの背くらべ」をさも重大事のように云々しているのが、宇都宮派の主張なのである。
この選挙の敗北の意味するところは重大で、「ファナティック」な宇都宮派が細川に勝ったと「ぬか喜び」している間に悪政はどんどん進んでいく。今後の2年半のフリーハンドを得た安倍政権は原発の再稼働を旺盛に進めるであろうし、また「戦後レジームからの脱却」、ヒトラーの知恵を拝借した「改憲なしの憲法の停止」(特定秘密保護法や集団的自衛権の解釈変更など)へのアクセルをつよめるであろう。
第三は、細川陣営最後の街頭演説で、大雪の中、長く浜岡原発訴訟をやってきた老弁護士が言っていたことである。これまで反原発運動は、左翼や環境派、様々な市民運動などが半世紀近くもやってきたが、結局、止めることはできなかった。そして54基もつくられてしまった。相手は実に強大であり、原発を止めるにはどうしても脱原発に目覚めた保守と手を結ばないことには絶対にできない、ということである。
政策がより良いとかで宇都宮を推した政治経験の乏しい若者はこのことがわからない。どこの国の政治世界にもよくあることだが、偏狭な理想主義のもつ無分別が彼らの運動の目的とは正反対の結果をもたらす。
500億円の買収資金を積まれても、稲嶺が勝利した沖縄・名護市長選をみてもそうである。本土では社共が強いからと想像しがちだが、そうではない。いわゆる草の根保守が反基地だから勝利できたのである。26人の名護市議のうち、共産党は1名にすぎない。社会大衆党も社民党の名前も見あたらない。
第四は、敗因についてである。言うまでもなく、敗因は脱原発陣営の分裂である。共産党が脱原発陣営分裂の張本人であり、昨年の都議選、参議院選での復調の流れを強めるために、宇都宮を先行的に担ぎ出して「準」自前候補として、自由に党活動(党勢拡大の運動)ができるように都知事選を利用したということである。
例によって、共産党の後天的本能となっている党勢拡大至上主義=セクト主義が暴発して、12月28日の宇都宮による「いの一番」の出馬表明をもたらしたのであり、この「フライング」こそが分裂の芽を胚胎させることになったのである。
問題はなぜ、この「フライング」が起きたのか? である。 宇都宮が「いの一番」に手を挙げ、共産党が社民党と同時にではあれ、早々と推すということになると、宇都宮は左翼候補と見なされるのは必定で、これでは200万票の基礎票を持つ舛添に勝つ戦略を放棄したも同然である。
両党の合計基礎票はMAXで90万票(70+20万票)、それなのになぜ宇都宮は早々と立候補したのか? しかも、前回、トリプルスコア以上の大差でボロ負けた候補がである。普通の政治センスの持ち主ならば、候補者には不向きな「玉」と自覚して、推されても辞退するのが当然であったろう。ところが宇都宮は違った。なぜか?
宇都宮が「隠れ共産党員」なら話は早い。そうでないのなら、どこかの時点で、宇都宮と共産党は「握って」おり、宇都宮に「魔が差した」のである。右であれ左であれ、人は変わる。政治の激動期に、その渦中に身を投ずればなおさらである。
前回の反省に経って、いち早く選挙準備を始めることの何が悪いと言う向きは、偽善者か経験不足の者の言うこと。
革命政党の名を掲げながら90年も政権を襲ったこともなく、生きながらえても国政選挙でいまだ10%の得票率さえ確実に得られない政党が、早期に選挙準備に入ったところで高が知れている。得票が基礎票の3倍にも4倍にもなるわけがないのだ。それだけ国民の評価は確定しているし、評価に十分な時間もあったのである。
かつて共産党は、ソ連が崩壊した時、ソ連を世界の社会主義運動や進歩的政治運動の障害物と批判したが、今では、同じことを日本の共産党が国内でやっている。反省亡き者の因果は巡る。