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都知事選における敗因は脱原発派の分裂にあり、その元凶は共産党のセクト主義にある(その2)

2014/3/9 原仙作

(3)、宇都宮選対の選挙総括「素案」について
 3月4日付けで、宇都宮の確認団体「希望のまち東京をつくる会」から、選挙総括の素案(「市民選挙の到達としての2014宇都宮選挙」なるA4で35ページになる文書)が出ているので、それを一瞥しておくとしよう。
 「素案」の表題からわかるように、選対でさえ、組織を背負わない個々人がボランティアで集まった「市民選対」、「市民選挙」であることがしきりに強調されているが、例えば、同じ選挙理念を掲げた前回の宇都宮の確認団体「人にやさしいまち東京をつくる会」の運営委員にして選対メンバーを務め、今回の「つくる会」から排除された澤藤統一郎(弁護士、ブログ「憲法日記」)の主張と照らし合わせると、両者間のトラブルがあべこべに描かれていることがわかる。
 今回の選挙戦を真剣に検討してみようという人は、長文だが、告示前まで続いた澤藤の「憲法日記」の33回にわたる連載「宇都宮健児君、立候補はお辞めなさい」を読んでみるべきである。

 トラブルの一因は澤藤の子息の候補者随行員からの解任なのであるが、突然の解任で理由の明示もないことに理由の開示を求めたところ、随行員排除が先行し理由の開示がうやむやなまま昨年12月20日の約1年ぶりの運営委員会の開催となっている。そこで澤藤が問題の検討経過と結論を求めてやりとりがあったところ、選対委員・河添誠(首都圏青年ユニオン)の恫喝まがいの暴言が飛び出している。澤藤ブログ(「憲法日記」12月30日付)を引用すると次のようである。

「澤藤さん、あなたはいいよ。しかし、息子さんのことを本当に考えたことがあるのか。これから先、運動の世界で生きていこうと思ったら、そんなこと(会と宇都宮君の責任の徹底追及)をやってどうなると思う。よく考えた方が良い」

 この発言はどう読んでも恫喝にしか読めないが、「素案」ではこれらのやりとりが次のように書かれている。

「 ~澤藤統一郎氏が、自身の息子が選挙期間中に候補者随行員の任務を解かれたことを根に持ち、帳簿上のミスなどを取り上げて~運営会議で恫喝していた~(「素案」4ページ)

(3-2)、恫喝する多数派が運営する「市民選挙」とは?
 この会議の光景や事態をあべこべに描く手法は、共産党系の運動に一旦は関わって、その後に離れた人間達には実に”デジャブ”なものであろう。事態の白黒は当事者にしかわからず、第3者には判定のしようがないように見えるが、しかし、この運営会議でこの恫喝を諫めた者が誰もおらず、解決を約束した宇都宮も沈黙し、澤藤だけの反対で運営会議の解散が決議されたことを考慮すると、澤藤は多勢に無勢であるところから、恫喝したのは多数派、つまり、「素案」の作成者たちであることは明白であろう。

 この恫喝と多数派の黙認、事態を真逆に描く姿は、「市民選挙」とか「市民選対」のきれい事を百万遍唱えても無駄なことを示している。表面(おもてづら)できれいごとを言いながら、意見の相違が発生すると、裏では恫喝も辞さいない二重性ぶりが現在も生きており、この二重性が共産党に隠微な印象を刻印し、国民に対する党の影響力を歴史的に制約してきたのである。例の「民主集中制」がネックとなっているのであるが、反省なき旧来のままの共産党が介入する市民運動がことごとく衰微する原因である。

 随行員解任問題は、澤藤ブログを読めばわかるが、ありふれた意見の相違ではなく、理由も開示せずに選挙ボランティアの任務を解任する手法のもつ問題、旧弊に安住する「左翼ムラ」に棲む住人たちの体質の問題、「市民選挙」をめざすなら当然あるべき支持者・ボランティア間の諸権利の平等と尊重、任務解任に対する理由開示が不可欠な相互の納得と説得など、「市民選挙」のモデルと実績づくりをめぐる新旧の対立を旧勢力の恫喝で一蹴したという反民主主義的手法の問題なのである。

(3-3)、恫喝を黙認して立候補する宇都宮という人物は?
 ところで、昨年末の12月20日に、澤藤が恫喝されているのをそばで黙認していた宇都宮の人物像はどういうことになるのだろうか?
 「活憲左派」の集会で、澤藤と公開論争をした吉田万三(元足立区長、元都知事候補)は、澤藤を批判して、要旨、「澤藤は理想を求めるあまり他人に厳しすぎる、もっと寛容であるべきだ」と宇都宮を擁護したと言う(「憲法日記」1月20日)が、吉田の澤藤批判は的はずれである。
 宇都宮の純個人的な資質が問題になっているわけではない。都知事という巨大な権力機構を担う人物の資質が問われている。横文字で言えば、ガバナンスとコンプライアンスの能力と資質が問われているのであって、そこに「寛容」を受け入れる余地はないし、受け入れてはならないのである。

 少し大げさな事例になるが、90年ほど前、革命に成功したレーニンが「スターリンは粗暴である」という理由で、書記長の職の解任を提議したことを想起してもいいだろう。事態の重大性がこの事例からもわかる。恫喝を側で聞きながら黙認した人物は都知事に相応しくない。一般都民が喜びそうな政策メニューを、これでもかというほど並べても、その欠点は相殺できないもの、政策メニューだけなら誰でも並べられる。

(3-4)、奇異な会議風景が意味するもの
 この日の運営委員会は、旧「つくる会」の運営委員会を解散し、うるさい澤藤を排除して新しい「つくる会」(希望のまち東京をつくる会」)へ移行するための会議である。新運営委員会の発足は12月23日(「素案」5ページ)。澤藤には解散だけを説明し、新体制への移行には沈黙して解散決議を強行したのだが、「素案」はそのことを忘れて次のように書いている。

「猪瀬氏辞任=都知事選挙という新たな事態に対応するための措置でした。」(「素案」4ページ)

 つまり、恫喝と宇都宮の沈黙・黙認の12月20日の会議は、2014年の都知事選へと始動する会議の始まりであるのだが、他のメンバー(宇都宮を含めて全体で12名)は、河添を除き、まさか、宇都宮同様に、恫喝を黙認した上に、解散? あ~そうですか、と賛成したわけではあるまい。
 革新都知事の実現をめざして集まった一騎当千の「個々人」が、20日(猪瀬辞任表明の翌日)の会議という開催日付からいっても、2014年都知事選を意識しないはずはない。そうなると、解散後どうするのかが問題になるはずであり、解散後のことが議論の俎上に登らないはずはないのである。
 ところが、澤藤はその新選対・新運営委員会への移行という方針を知らないまま、会議を終えているのであるから、実際は何の議論もなく、雁首そろえて恫喝黙認、解散賛成、「代表一任」で会議を終えていることになる。子供の使いでもあるまいに、誠に奇異なことである。
 こうして、解散決議に賛成した多数派のメンバーはすでに独立したボランティアの個々人とはお世辞にも言えない人物達であることがわかるのであり、この時点で宇都宮と共産党は手を握っていたことがわかるのである。

※註:掲載時には筆者による表記ミスがあり修正しています(3/12)。