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一般投稿欄

都知事選挙と脱原発派の敗因について(2)

2014/3/16 丸 楠夫

・選挙戦術と選挙の位置づけ

 選挙期間中、舛添が街頭演説に立っても"誰も聞かない・立ち止まらない"と、 その聴衆のまばらさを揶揄されていた。だが、舛添陣営の選挙戦術とはそもそ も"動員は組織固めのための屋内集会でこそ徹底してかけるもの、街宣では大物 来援時以外はあえて動員はかけずに、聴衆の多少よりも短時間街宣を多数広範囲 に数を稼いで露出を増やす"というーある意味田中角栄・小沢一郎的なーもの だったのではなかったか? 
 だとすれば、"街宣ではできるだけ多数の聴衆を集めることを重視し、それを マスコミやネットで広げることで、多数派の支持が集まっているというイメージ をまず作り出す"という細川のーそしてある程度までは宇都宮のー選挙戦術とは 対照的である。

「前回の反省に経って、いち早く選挙準備を始めることのなのが悪いという向き は、偽善者か経験不足の者の言うこと。」
「早期に選挙準備に入ったところで高が知れている。得票が基礎票の3倍にも4倍 にもなるわけがないのだ。」(原仙作『都知事選における敗因は脱原発派の分裂 にあり、その元凶は共産党のセクト主義にある(その1)』以下『その1』)

と、原氏は述べている。原氏の「経験」がどのようなものなのかは定かではない が、あの創価学会ですら、選挙に際してまず真っ先に行わなければならないこと は、当の学会員の票の掘り起こし(一般的な会員や休眠状態の会員に対する働き かけ)であるという。基礎票とは、時間と労力を割いて"固め"なければならない ものであり、基礎票"すら"固めきれずに大敗することは保革問わず選挙ではまま あることである。基礎票固めの上に立ってこそ、基礎票からの上積みが展望でき るのである。なまじ基礎票が見込める場合こそ、ある程度時間をかけた選挙準備 がより重要になってくるのであって、告示前日に立候補表明する細川のような戦 術は、基礎票がない・基礎票を当てにしないからこそできるものである(それで も一定の準備はしていたであろう)。
 また、原氏は何故か全く触れていないが、宇都宮はいち早く立候補表明はした ものの、公開の場での政策論議を通じた一本化は提起していた筈である。それを ハナから相手にせず、出馬の有無それ自体にマスコミの耳目をひきつけていった のが細川陣営である。これは両者の選挙方針の相違から生じたものである。

 2012年総選挙・都知事選以来、脱原発が選挙の帰趨を決する争点になることは ついになかった(山本太郎の当選も、あくまで5人区での4番手である)。そうであ れば、これはもうある程度持続的な傾向として捉え、その上で対応を考えて行く べき問題である。直近の選挙を睨んだ短期集中型キャンペーン(小泉頼みの細川 選挙はその一つの典型であったろう)や選挙向けの「イメージ戦略」(原『2014年 都知事選の前哨戦を見て、細川がベストだ』以下『ベストだ』)と言った次元で 覆せるものではないと認識すべきであろう。一点突破全面展開とばかりに一回の 選挙でどうにかしようという発想は、現実に成り立った試しがない。田中角栄が 言い、小沢一郎が引き継いだ選挙の鉄則は、"戸別訪問3万軒、街頭演説5万回"で あった。竹下登は"選挙しつつ組織し、組織しつつ選挙す"と言った。これぐらい の地道で持続的な活動こそが、脱原発派には求められているのではないか?
 だがそれは、必ずしも特定の人物の選挙での当選を目指すものである必要はな いし、また、そうあるべきでもないだろう。重要なのは、社会運動としての脱原 発運動に持続的に取り組み、その拡大と高揚を図っていくこと、持続的な運動の 一局面として選挙を捉え、持続的な運動と一体のものとして選挙に臨むというこ とである。

・脱原発と反新自由主義

 そもそも原発は、高度成長に取り残されて行く貧しい地域に建設された。言う なれば、戦前における農村と小作農の貧困が、満蒙開拓団=侵略・植民地主義と 軍拡に回収されてしまったのと同じ構図、その戦後版としてーもう出稼ぎに行か なくてもいい、これからは故郷で家族とずっと一緒に暮らしていける、といっ た、ささやかで切実な希望を実現する回路としてー原発の誘致・建設は機能した とも言える。また、原発労働の最も危険で過酷な部分が、多重請負構造の元での 不安定労働によって担われていたのは、原発事故以前からのことである。
 原発は格差と貧困に付け込んで建設・稼働してきたのであり、今日なお原発立 地自治体・住民から再稼働の声があがるのは、地域経済・生活の展望が描き切れ ないからでもある。また、消費者視点での"安い電気のための再稼働論"も、生活 切迫の不安を背景にしている。だから、

「再稼働を阻止することが他のどの政策にもまして優先されるべき」「この政策 と比較すれば、TPPであれ、消費税増税や福祉水準の切り下げであれ、あるいは 規制緩和(改悪)であれ、望ましくはないが、仮にそれらが実行されても是正は可 能である。」(『ベストだ』)

という原氏の主張は、一見もっともらしく見えて、実はまったくの間違いであ る。
 それら構造改革・新自由主義諸政策によって地域経済が破壊され、格差と貧困 が拡大し、労働環境の劣悪化が進行すればするほど、それらに付け込む形で原発 の再稼働・推進は企まれ、また、脱原発という政治的争点はますますそれら生活 課題の後景へと退けられて行くのである。原発がそもそもどのような社会構造に 立脚してきたかを考えれば、脱原発と反新自由主義の諸課題は密接不可分なので ある。また、保守とも手を結ぶ、とは、地域や生活の諸課題における共闘を通じ た相互の信頼と経験の積み上げによってこそ実現するものではないのか。例えば 名護市長選挙における基地反対派の大勝は、"基地と引き換えに中央から降りて くるカネがなくとも、名護はやっていける"という展望と実績の裏付けがあれば こそのものではなかったか?
 2014都知事選挙において、宇都宮陣営は格差や貧困・労働問題への取り組みを 重視する体系的な政策・都政転換の方向を示した。原発がそもそもどのような社 会構造に立脚してきたかを踏まえれば、それは脱原発を実現して行く手順として 決して間違っていないのである。ましてや、実際には原発政策にほとんど関与で きない(都の保有する東電株は1.2%)東京都政・都知事選挙から脱原発の流れをつ くりだす、と言うのであれば、それこそが(節電・省エネと並んで)現実的で具体 性・実効性を持ち得る、ほとんど唯一の方向だったのである。