有島さん、コメントをありがとうございます。さっそくですが、以下、箇条書 きで失礼します。
(1)、共産党が結党以来のセクト主義とは思っていません。初代委員長・堺利 彦の時代は別のものです。
(2)、細川の敗北は「自己責任」? そうですね、立候補する以上、候補者は どういう形であれ、結果を背負わなければならないわけで、皆、自己責任である ことは、細川ばかりでなく他の候補者も同じです。それゆえ、「自己責任」と 言ったところで、都知事選の何かがわかるわけでもないのでは?
(3)、共産党が細川を支持しなかったから負けた、と言っているわけではあり
ません。共産党はMAXで70万票程度の基礎票なので、支持したからといって
勝てるという保障はないのですから。
敗因は脱原発派の分裂にあると言っているわけで、分裂の直接の契機は宇都宮
の「フライング」立候補であり、その「フライング」を担保したのが最初から勝
つ戦術の模索を放棄したセクト主義の共産党だと指摘しているのです。
一本化論議との関連で言えば、共産党に限らず、社民党や新社会党、みどりの
党も含めて、脱原発派有権者は細川で一本化するべきだったと言っているので
す。
(4)、小泉の本気度を疑っているとありますが、有島さんの細川陣営を見る視 点の軸がここにあるということでしょう。しかし、彼らの本気度を詮索しても詮 無いことで、本当のところは当人にしかわからないことです。そういう限定をつ けた上でのことですが、私は細川は本気だったと思います。小泉も街頭演説で、 かつての自分の原発推進論の誤りを認めており、小泉も本気だったと思います よ。倅が来てないじゃないかと言いますが、親父が脱原発で本気だからと言っ て、倅の進次郎を引っ張り込めるわけではないでしょう。別々の人格なのですか ら。
(5)、 総理大臣を務め、すでに政界を引退した二人が、都知事選ごときに今更食指を動かす理由があるとは思えないし、「桶狭間」と細川が揮毫したように、敗戦濃厚の戦であることを知っていて参戦し準備不足も不可避でしたから、相当な覚悟で参戦してきたと思います。それに彼らは「脱原発だけ」といいますが、細川は当面最も重要な「再稼働阻止」を明確に言っています。
(6)、私の思うところでは、都知事選の最大の争点は脱原発か否かでした。脱原発派はそこに持ち込まなければならなかった。都民の政治意識では福祉・雇用・原発の順でしたが、これを選挙戦を通じて脱原発最優先に変えなければならなかったのです。その点では、小泉の街頭演説はポイントを突いていたのであって、それだから短期間に宇都宮票に並ぶだけの新たな脱原発票を掘り起こすことができたのだと思います。総花的な政策メニューを出す宇都宮ではこうはいかなかったでしょう。
(7)、脱原発は国政課題だとか、都民意識では脱原発は福祉、雇用に次ぐ三番目の関心度だから、脱原発だけではなく、福祉も雇用も政策を打ち出さなければ、都民は相手にしてくれないという主張が大半で、宇都宮陣営も同じでした。しかし、これは今回の都知事選に限って言えば、悪しき大衆迎合というべきで、いささか単純化して言えば、どこかの原発を再稼働して、もう一度、大地震が来て重大事故が起きれば、日本は壊滅状態になりかねないという現状への危機認識が欠けているのです。
(8)、福祉も雇用も脱原発もと、総花的に政策メニューを並べ、細川と宇都宮の政策をあれこれ比較し、宇都宮の政策の方が良いと宇都宮を支持している人たちの多くは、福島原発事故の惨状についての認識が甘いようです。政治の初心者なのか、「運動」慣れのなせる業なのか、政府の情報誘導・統制に感染してしまっているのか、被曝による発症事例がまだ少ないからなのか、はたまた、原発難民が暴動を起こさないからなのかわかりませんが。
(9)、大震災関連の避難民が27万人、その内、原発関連の避難民は13万5千人と昨今も報道されていますが、年間1ミリシーベルトというICRPの目安やチェルノヴイリ基準の『移住権利地域』(1~5ミリSv)はさておいても、例えば福島県の18歳以下の甲状腺ガンの発症率を見るだけでも、すでに大変な事態が始まろうとしていることがわかります。通常の統計的発症率が百万人に1人程度のものが、約27万人で確定33人、疑いを含めると75人となっています。確定33人でみても、早くも通常値の約150倍の発症率になっています。福島医大側は原発事故の影響であることを否定していますが、チェルノヴイリの事例をはるかに越える悪影響がすでに出始めているのです。
放射能汚染水の封印すら3年経ってもできないことからもわかるように、これから先、自然破壊・汚染が広範に進むばかりでなく、青少年の甲状腺ガンに限らず、様々な悪影響がチェルノヴイリをはるかに超える水準で出現してくることが予想されるのであって、ホットスポット地域を含めれば、福島県ばかりでなく、宮城、茨城、千葉、栃木、群馬の各県や東京都の一部まで、青少年を持つ家庭は新たな「疎開」を強いられ、命を的の生活が始まるわけです。
こんな大規模な人災は先の大戦以外には比較すべき類例がありません。田母神に象徴される軍国主義の云々を待つまでもなく、まもなく戦時下と同じような惨状がやってくるのですが、そこへもって来て次々と原発の再稼働がはじまれば、どのような事態が起こりうるのか、この認識がないのです。
(10)、そして、このような認識があれば、原発の再稼働阻止とその可能性を追求する選択肢(候補者の一本化)こそが最優先になるべきことも明白だと言わなければならないでしょう。このような危機認識があれば、細川や小泉の本気度がどうかとか、また騙されるとか、その過去まで材料にひっぱりだし、はたまたシングル・イッシューがどうのとか、決定打のない堂々巡りの議論をしても詮無いことではありませんか。
現在の社共プラスα程度では太刀打ちできないことはわかっているのですから、どんな方法であっても、彼らを抱え込めればいい。本人にその気がないとか、政策協定の、一本化協議の云々は2の次3の次の話、はたまた、それじゃ有権者に責任がもてない云々も天地が逆になった話、責任がどこかにあるとすれば、それは形式に囚われず、脱原発派が選挙戦に勝利する戦術を編み出し勝機を掴むことにあります。
自民党がかつて除名した舛添さえ、勝てるという見通しが立てば候補者に据える老獪さと比べれば、自らの力量も計算できずに、「新自由主義だ」、「経済特区」肯定だ、福祉政策欠如だ等々とやる宇都宮陣営の細川批判は子供の使いのように幼いものです。
(11)、都知事選を見る視点はただひとつ。どうすれば、原発再稼働派の舛添を倒せるかです。この視点からすれば、過酷事故に触発されて、保守派の分裂から生まれてきたのが細川・小泉連合なのであって、とうとう原発推進派の牙城に亀裂が入ったのですから、この保守の脱原発派を利用し、旧来の脱原発派は彼らと組んで再稼働阻止の可能性に賭けるべきであったのです。
むろん、この新参の脱原発派は昨日までは保守だったのですから、左翼の物差しで測れば、ろくなデータが出てこないのは当たり前のことで、新しい政治局面の招来のためには過去のデータを重視するのではなく、新しいデータ=脱原発政策(再稼働阻止)への転換をこそ重視するべきなのです。
共産党にいたっては、原発政策の違いに目をつむり、「細川は、これまでの都政の継承者だ」(「全都幹部活動者会議」1月27日付「赤旗」)という細川評価をやっているのですから、お話になりません。