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一般投稿欄

反動攻勢と「左翼・共産党嫌悪」

2014/3/18 佐井 健

 安倍晋三とナベツネが仕掛ける反動攻勢は、国民の中にある、共産党を中心と する左翼一般への嫌悪・拒絶感を巧みに利用したものである。
 共産党はこのことを認識しようとしない。共産党は不破哲三氏を先頭に、党員 に対し、国民の政治的レベルが上がれば共産党は伸びる、躍進すると説明する。
 政治的レベルを上げるためには、多くの国民に赤旗を購読させよ、赤旗日曜版 のみならず日刊紙も購読すべき党員にせよ、と365日、党員を叱咤する。そのこ とに、党員は戦後延々と引き回されて来た。
 そのことを、国民の中でも、政治に関心を持ってきた人や、政治問題に行動的 な人ならば、多少の差はあれど知っている。何故なら、幾度か、赤旗拡大の「対 象者」として扱われたりした経験があるからである。そういう体験を60年代、70 年代、80年代という、国民が運動した時代に見聞した人々が、今、中高年層の政 治的意識の中心を構成しているのだ。
 その数は、現在の党員や赤旗読者数の比ではない。
 「共産党とは、革命や社会進歩を広告塔にして、常に党員の尻を叩き、赤旗購 読者、党費や寄付金の納入者を増やさせ、その金を中央幹部がお手盛りで使いま わしている政党である」との理解は、既に広がっている.政権を取るつもりも、 連立を組んで泥をかぶってでも国民の本物の共同作りに奉仕しようとはしていな い本音が、戦後の立ち居振る舞いの中から、ほぼ見破られてしまっている。
 「一点共闘」などとは言うが、肝心な時に、必ず難癖をつけて国民の共同運動 の高揚に水を差した歴史も、国民の中の意識の高い人々には、はっきり蓄積され ている。
「共産党は赤旗が増える見込みのありそうなところでしか共闘などしない」。
 今回の都知事選も同様である。
 自画自賛の虚構の党史ばかりを述べる共産党に対し、それらの人々は、靖国賛 美をしてあらぬ方向へと国民を扇動する勢力と同じ危険を実感しているのだ。
 それに対応するかのように、共産党中央は、過去をほとんど持っていない若者 に焦点を当てた党勢拡大を柱にしようとするが、党の基本体質が中央集権制度= 最高幹部によるお手盛り独裁にあるため、どのような素質を持つ党員や読者で あっても、所詮、人を手足としてしか見ないから、これまでの繰り返し、つま り、いつも賽の河原の石積み状態なのだ。
 私は70年代初頭に読者であったことはあるが党員となったことはない。共産党 ウオッチャーほどでもない。
 だが、除名、除籍、権利停止、隔離を受けた党員であった友人を何人か知って いる。 いわゆる「新日和見主義問題」だ。そのほぼ全員が、共産党の赤旗・党員拡大一 辺倒、国民の自発的共同運動に極めて消極的な共産党の中央方針に疑義を持ち、 それを極めて誠実に質し続け、疎んじられ、はじき出された人々である。
 そういう共産党の理不尽な体質も、国民の少なくない人々は理解している。
 政治というのは右も左もインチキだらけだ、とすっかり覚め政治問題から離れ た人にとってその出口は大まかに二つ。現世のご利益を願って、右に擦り寄ろう とするか、裏切られた左翼を嫌悪することで、以降の政治的態度表明とするか だ。
 嫌悪左翼、その最たるものが共産党なのだ。
 国民が目覚めていないから共産党が伸びないのではない。
 「左右」で分別されて語られて来た政党による政治史はどれもこれも虚構にま みれていることを知覚しているから、国家主義的なものや中央集権的なもの、つ まり極右や共産党などは避けて、迷いつつも慎重で現実的な判断をしているの だ。
 国民の政治史は、政治権力者の横暴を如何に押さえつけ国民主権たる政治を作 り出すかの、国民としての闘いなのであり、政党という民主主義にとっては国民 の道具にすぎないものを絶対化したり偶像化したりする問題ではないことは、昨 今の無党派層などに見る「政党離れ」に見るとおりだ。
 善意の党員には気の毒と思うが、左右対立の一方に組みすることで、論理思考 の半眼によって広がり見える政治史は、基本において事実ではない。
 前にも述べたことだが、共産党員であった小林多喜二の虐殺は、当時の権力と その手先が徹底糾弾されるべきことではあるが、無謀な戦術方針に純粋無辜な人 間を放り込んだ共産党にも、戦後の遅くない時期に、大いなる批判が、党内にお いてさえ、あってしかるべきことであったのだと思う。少なくとも戦後の人権感 覚から言って、それは当然過ぎることであろう。
 ちなみに、多喜二を虐殺した当事者は戦後東京市において区長などの職に就い たりして天寿を全うしたそうだが、その彼が、戦災孤児などに乱暴を働いて地域 住民から批判されたことはあったものの、同人の被害者であったはずの宮本夫妻 はじめ当時の共産党首脳部が、多喜二らの虐殺について、彼らを徹底糾弾するこ とはなかった。極めて不思議なことである。
 その共産党は、「蟹工船の多喜二は共産党員だった。共産党は戦前戦後、一貫 して天皇制と戦争政策に反対して来た」と党の宣伝ばかりに勤しんでいる。これ に対する国民の冷徹な目があることを知ろうとしない。
 こんなことではカルトという批判があって不思議ではない。
 今の反動攻勢は中高年を中心とした左翼嫌悪感が引き継がれた青壮年層を土壌 としている。日中韓問題での反中、反韓意識の感情育成も例外ではない。
 都知事選で「国民的脱原発共闘」に、「キッパリ」と背を向け、「原発問題だ けが都知事選ではない」と「ズバリ」脱原発問題を他の問題と並列化したこと で、社会進歩の間接的道具の一つとして未だ共産党を許容して来た人々も去り、 中央集権共産党の幕切れはいよいよ現実的なものとなった。党内革命でも起こら ない限り、社会進歩の障害物となって、レーニンの描く帝国主義論さながらの末 路を迎えるであろう。