・候補者の問題ー宇都宮と細川の、都知事としての"相応しさ"
2012年都知事選の最中、宇都宮陣営の候補者随行員が、当時の選対本部長・上 原公子(元国立市長)、同選対事務局長・熊谷伸一郎(岩波書店編集部勤務)両氏の 主導により、突如理由の明示もないまま解任されるという事態が発生した。ま た、この問題を陣営内の会議で追及した澤藤統一郎氏に、会議メンバーから恫喝 まがいの発言も出されたとされる(澤藤統一郎氏ブログ「憲法日記」参照)。原氏 は、この会議において澤藤氏に問題解決を約束していたはずの宇都宮が沈黙・恫 喝も黙認したとされる事について、
「恫喝を側で聞きながら黙認した人物は都知事に相応しくない、政策メニュー を、これでもかというほど並べても、その欠点は相殺できないもの、政策メ ニューだけなら誰でも並べられる」
「都知事という巨大な権力機構を担う人物の資質が問われている。横文字で言え ば、ガバナンスとコンプライアンスの能力と資質が問われているのであって、そ こに「寛容」を受け入れる余地はないし、受け入れてはならないのである」 (「都知事選における敗因は脱原発派の分裂にあり、その元凶は共産党のセクト 主義にある(その2)」)
と、厳しく指摘する。一方で原氏は、「私は細川支持であるが」と明言してもい
た(原「2014都知事選の前哨戦を見て、細川がベストだ。」以下「細川がベスト
だ」)。そうであれば、宇都宮を「相応しくない」としたのと同じ理由・基準に
照らして、細川の都知事としての"相応しさ"も検証されない訳にはいかないだろ
う。
さて、水俣病未認定患者代表との面会の席で、当時熊本県知事であった細川は
幾分怒気すら孕ませたような声で次のように言い放った。
「先ほど来申し上げた通りです」「控訴すると申し上げたでしょう先ほど」 (youtube 水俣病2度目の幕引きへ~加害者救済法成立~(1)参照)
公害被害者の訴えを拒絶し、その面前で知事という公権力の座から、一審判決
後のさらなる長期の裁判闘争を一庶民・一漁師らに強いる細川のこの発言は、原
氏が言うところの「恫喝」には当たらないのだろうか。恫喝ではないとするにし
ても、宇都宮が自身の選対内部の問題に沈黙・黙認したことが「都知事に相応し
くない」とされたのと同じように、細川のこの態度もまた、「都知事に相応しく
ない」ものではないだろうか。ましてや東京都内には、少なからぬ原発被災・避
難者がいるのであり、東京都知事として東電被害者にどのような態度を取るの
か・取れるのか?がーとりわけ脱原発派候補としてはー問われない訳にはいかな
いであろ。その際、かつて知事として公害企業の被害者にどのような態度を取っ
たか、という過去は、到底無視し得ないことであろう。
また、原氏自身「細川にも欠点がないわけではない」とし、「一億円の借入金
がらみで政権を投げ出したりもしている。」(原「細川がベストだ」)と述べてい
る。もちろん、「過去にそうした欠点があったからと言って、これからもそうだ
ということにはならない」(原「細川がベストだ」)というのは、(一般論として
は)その通りかもしれない。だが2014年都知事選とは、五千万円の「借入金」疑
惑→説明責任に耐え切れず都知事「投げ出し」、という猪瀬の醜態を都民が目の
当たりにした後で、その後任を選ぶ選挙だった。そこで「都知事という巨大な権
力機構を担う人物の資質」「横文字で言えば、ガバナンスとコンプライアンスの
能力と資質」を問うた時、「一億円の借入金」疑惑→説明責任に耐え切れず「政
権を投げ出し」た細川に対し、「そこに「寛容」を受け入れる余地は」あったの
か。それこそ「受け入れてはならないの」のではないだろうか。
また原氏は、「政策メニューを、これでもかというほど並べても、その欠点は
相殺できないもの、政策メニューだけなら誰でも並べられる」とも言っていた。
だが、その「誰でも」出来ることすら出来ずに、政策の貧弱さ、政策論争に耐え
得ない様を晒したのが細川ではなかったか。原氏の言う「誰でも」が凡人・一般
人でも、ということであれば、"細川は凡人・一般人すら下回る候補者である"
と、原氏自身が言っているも同然である。
原氏自身が言うところの基準に照らしても、細川は(宇都宮のそれをさらに下
回りかねないほど)「都知事に相応しくない」候補者だと言えるだろう。"宇都宮
も細川も共に都知事に相応しくない"ならともかく、宇都宮は「相応しくない」
が細川は「ベストだ」というのでは、いくらなんでもダブルスタンダードがあか
らさますぎるというものだろう。もはや表面を取り繕うことすら、原氏は(精神
的老化現象のせいで?)メンドくさくなっているのであろうか。
国民の脱原発政策支持率は約7割あり、脱原発政策を掲げながら、左翼嫌いの
中間・保守層の脱原発票を取り込めるのは細川」(原「都知事選における敗因は
脱原発派の分裂にあり、その元凶は共産党のセクト主義にある(その1)」以下
「その1」)という、少なくとも宇都宮を大きく突き放すに足るアドバンテージ
(他にもマスコミの注目度とか、小泉の応援とか、細川には普通に考えれば宇都
宮を突き放せるだけのアドバンテージはいろいろ持っていたはずである)を持ち
ながら、宇都宮と大差ない(僅差ながら宇都宮に"すら"負けるという)結果に細川
が終わったのも、原氏の提唱する"都知事としての相応しさ"という視点からすれ
ば、(「私は細川指示であるが」と言う原氏にとっても、本来なら)必然だったと
いうことになる。少なくとも、細川は「ベストだ」(原「細川がベストだ」)など
と言えるような候補者ではなく、どう見てもせいぜい"鼻をつまんで投票する"=
ベター止まりの候補者であった(そのベターさ=勝てる候補者論については続いて
検討する)。