(4ー1)、430万票都知事の突然の辞任
宇都宮の選対総括(「素案」)があまりにひどかったので、澤藤ブログ(「憲法日記」)に寄り道してしまったが、本論に戻って、まず、本稿(その1)の第四に指摘したところ、すなわち共産党のセクト主義の問題から検討する。本稿(その2)については、いつもの批判者から「ご都合主義的つまみ食い」なる論難が寄せられているが、どちらが「つまみ食い」をしているかは読者の判断にお任せしよう。
まず、突如、選挙戦が行われることになった今回の都知事選当時の政治情勢を一瞥しておこう。猪瀬が徳州会から5000万円を借りた事件は検察によるリークが発端だとも言われているが、1年前に史上最多の430万票を獲得して当選し、2020年に東京オリンピックの招致に成功した都知事であるから、1年やそこらでの辞任はやはり、突然の印象が強い。
猪瀬が東京電力に協力的でなく、また、招致したオリンピックの組織委員会を東京都主導でやろうとしたことが、「原子力ムラ」や自民党の反感を買い、政治的に追い落とされたとする見方もあるが、いずれにしても、体制側は430万票の都知事を追い落としても、微動だにしないような強力な政治体制を築いていたことが第一にあげられる。
(4-2)、都知事選当時の政治情勢=改憲勢力の大躍進
共産党勢は2013年の参議院選での復調に浮かれて、見るべきものも見えていないので、ここでおさらいをしておこう。2012年末の総選挙の結果は政権に復帰した旧勢力の歴史的な圧勝であった。
自民党の圧勝(119から294議席へ)、与党連合の公明党の議席回復(21から31議席へ)、これだけで絶対多数を得ていたところに、与党の右に位置する石原・維新(11から54議席へ)、さらには前安倍政権で特命担当大臣を務めた渡辺・みんなの党(8から18議席へ)という具合である。
与党・改憲勢力という線引きで見ると、480議席中397議席を占める状態である。これに野田政権で壊滅的惨敗を喫した民主党の改憲勢力を加えれば、優に4百数十議席、改憲勢力による衆議院独占状態という未曽有の政治情勢が生まれている。
しかも、「アベノミクス」なる日銀による野放図な資金放出で、円安・株高が演出され、政権は平均的に60%代の支持率を維持してもいた。この基本的特徴=与党勢力の圧勝は2013年の参議院選でも同じである。
(4-3)、左派・中道左派の大幅後退
一方の野党勢力は政権を転落した民主党を除いて見ても、左派・中道左派の勢力は大きく後退した。日本未来の党(61から9議席へ)、共産党(9から8議席へ)、社民党(5から2議席へ)、新党大地(1から1議席)、合計すると76議席から20議席への惨敗である。
共産党にあっては、9から8議席への後退であるから、それほどの敗北には見えないが、21世紀に入ってからの低迷の中でも維持してきた岩盤の9議席を1議席減らし、かつ得票数が368万票と基礎票の400万票台を割り込み、得票率も半世紀前の水準6.1%へと沈没する状況であった。
このような改憲勢力の大躍進と護憲勢力の壊滅的後退、老舗護憲政党の社共にいたっては、合わせて衆議院10議席という歴史的な惨状の事態が出現したのである。
(4-4)、2013年参議院選でも大状況は同じ
共産党が復調を見せた2013年の参議院選でも、ここでのべたような国政の大政治状況はまったく変わっていない。2013年の参議院選での自民・公明・維新・みんなの議席増が改選議席数121議席中の43議席、合計議席数が115+20+9+18=162。定数242議席に占める比率は67%、これに民主党の参議院59人中の改憲派を合わせれば、参議院でも改憲派が優に2/3を突破する事態となっている。
一方、民主党を除く左派・中道左派の野党はどうであったかというと、共産党が改選3から8への5議席増があるだけで、社民党が改選2から1への減少、生活の党が改選6から0への6議席減、みどりの風が改選4からゼロへ、全体では改選議席総数15が9議席へと減少している。
こうした全体の政治状況の中では、民主党の複数擁立による共倒れミスにも支えられた共産党の3から8議席への復調など、当事者達の喜怒哀楽を除けば、採るに足りない政治のエピソードに過ぎない。
(4-5)、共産党の妄想癖・カルト化(その1)
ところが、共産党にあっては、不思議なことに、この政治の大状況が目に入らないのである。日本共産党が革命政党と自称しなければ、私もそれほど厳しい注文をつける気はないのだが、如何せん、革命政党と自称しているのだからやむを得ない。
革命政党ならば、自党の選挙結果だけをみて、増えた減ったと喜んだり落胆したりしているヒマはないはずで、先憂後楽の思想がありそうなものである。政治の大状況を押さえた上で、自党の選挙結果を大状況の中に正しく位置づけて評価しなければならないはずである。
弱小政党であれば、少しでも似た政策を掲げる他の野党との連携を模索し、庶民の要求をどれだけ実現できたか、連携の広がりにどう貢献したか等々を検証してみなければならない。
(4-6)、共産党の妄想癖・カルト化(その2)
しかし、共産党の場合はそうではない。今年の1月に、4年ぶりに第26回党大会が開かれたが、その大会決議冒頭の第1章は「『自共対決』時代の本格的な始まりと日本共産党」となっており、第1章の小見出しには「(3)日本共産党の不屈の奮闘がこの時代を切り開いた」と書かれている。
我が目を疑うような文章である。共産党が言う「この時代」とは、通常ならば、誰が見ても、すでに見てきたような政治の大状況(改憲派の国会占拠状態)を指すはずなのであるが、「日本共産党の不屈の奮闘がこの時代を切り開いた」というのであるから、この大状況を共産党は歓迎していると解釈するほかない。 護憲政党にしてはまったく倒錯した政治情勢認識である。
志位指導部はその成立以降、15年にわたる後退のなかですっかり妄想癖が身に付きカルト化してしまったようである。
(4-7)、共産党の妄想癖・カルト化(その3)
この政治の大状況を共産党が歓迎する理屈をもう少し詳しく見てみよう。支配勢力は共産党つぶしのために、自・民などの2大政党制づくりや、中間政党を絶えず作り上げてきたのだが、「しかし、今回は、そうした『受け皿政党』が存在しない。『自共対決』という政党地図が、かつてない鮮やかさをもって、浮き彫りになっている。」
この理屈では中間政党は共産党つぶしの鉄砲弾か、あるいは邪魔者扱いであって、それがいなくなって大歓迎だというわけなのである。自己都合このうえない極端に一面的な政治情勢の見方が出現している。しかも、さらに進んで次のように言う。
「2013年7月の参議院選挙では、~~野党のなかで日本共産党がただ一つ躍進を果たした。日本共産党の躍進は、1961年に綱領路線を確立して以来、1960年代終わりから~の”第一の躍進”、90年代後半の”第2の躍進”に続く、”第3の躍進”の始まりという歴史的意義をもつものになった。」
「第3の躍進」と言うのであれば、もう2、3回大型選挙で大躍進してからにしてもらいたいものだが、いかにも気が早い。というより、どうみてもピンチな大状況の中で、他の野党が潰れれば共産党の大躍進の時代がやってくると考えているのであるから、これはもう、妄想以外のなにものでもない。自分と同じような政策を掲げた生活の党やみどりの風、社民党が負け戦を強いられているのに、どうして「第3の躍進」を想像できるのであろうか?
(4-8)、共産党の妄想癖・カルト化(その4)
共産党が躍進した70年代の前半、第2期美濃部都政が1971年に361万票で圧勝した時代は社会党が健在であり、民社党や公明党までが美濃部支持を打ち出すほど革新勢力に求心力があったものだが、今はその片鱗もない。共産党の裸単騎の「躍進」など先の参議院選同様に、ミニ躍進で政治情勢には何の変化を及ぼすこともない。
ここに直近の明白な前例がある。中道左派の大幅な後退の中で、共産党だけが大躍進し、その躍進で政治の大状況を転換できると考えることは妄想以外のなにものでもない。何事にも中道好みの日本人の大方の気質を考慮すれば、妄想癖にしても度が過ぎる。
このように、中道左派との連携や切磋琢磨で政治の大状況を変えていこうとするのではなく、逆に、これらの似たもの政党は中間政党で、それが潰れることは自党躍進の肥やし、というのでは、これはもう志位らが盛んに言う「一点共闘」とやらも怪しいもので、要するに、スターリン以来の共産党に伝統的な社民主要打撃論がむきだしになっているわけである。
中間政党不在という一面的な政治情勢認識から、今の政治の大状況を歓迎し、躍進の時代がやってきたと小躍りする共産党の姿はもはや妄想に踊るカルトそのものというべき様相を見せ始めており、中道左派の後退を邪魔者の消滅と同一視し歓迎するのであるから、そのセクト主義も頂点に達しているとみるほかなかろう。
このような政党が都知事選で宇都宮陣営の中核を形成していたのである。(つづく)