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一般投稿欄

都知事選挙と脱原発派の敗因について(4)

2014/4/3 丸 楠夫

・いわゆる"勝てる候補者"論とその前提

「両党の合計基礎票はMAXで90万票(70+20万票)、それなのになぜ宇都宮は早々に立候補したのか?しかも、前回トリプルスコア以上の大差でボロ負けた候補がである。普通の政治センスの持ち主ならば、候補者に不向きな「玉」と自覚して、推されても辞退するのが当然であったろう。」(原「都知事選における敗因は脱原発派の分裂にあり、その元凶は共産党のセクト主義にある(その1)」以下「その1」)

細川が初めて選挙に出馬した1969年総選挙旧熊本1区では、最下位当選者の得票6万716票に対し細川3万8632票(得票率8.3%)、定数5の選挙区で7番手という負けっぷりであった。また小泉も、初出馬は地盤・看板・カバン揃った世襲候補、しかも亡父の弔い選挙という条件の選挙で落選している。95年に小泉が自民党総裁選に出馬した時は立候補に必要な推薦人30人を集められたこと自体がニュースになる様な有様であり、98年の総裁選では所属派閥すら固めきれずに最下位に沈んでいる。もしこの二人が、原氏の言うところの「普通の政治センス」なるものの持ち主であったならば、都知事選で「脱原発派は保守の有力者を候補者と応援団に得るという千載一隅の好機を得」る(原「脱原発派は20年ぶりの大雪を天佑にできるか?」)こともなかったであろう(注1)が、それはさておき。

(注1)小泉と細川が、原氏が言うところの「普通の政治センスの持ち主」で、「候補者に不向きな「玉」と自覚して、推されても辞退」するような人物であったなら、都知事選のはるか昔に、そもそも「保守の有力者」になる機会すら掴めなかったであろう、という意味です。念のため。

 細川支持・一本化論のおそらく最大の論拠が、細川=勝てる候補者・最も勝機のある候補者論(以下、勝てる候補者論)だったのではなかろうか。また、その勝てる候補者論は、2014年都知事選での脱原発派勝利で脱原発に一気に弾みをつけたい・自民党系候補の当選を阻止することで安部政権に打撃を与えたい、という、ある種純粋な心情から発するものだったのではないかと思われる。
 だが、そもそも細川は勝てる候補ではなかった。
 「各種世論調査では、都知事選の争点は景気回復だ、福祉だ防災だという有権者が多いことである。相変らず身近な問題ばかりに目が行っている。脱原発はダブルスコアで負けている。」(「原「細川がベストだ」)状況で、ほぼ脱原発一点突破で定数1の選挙に臨むなど、ほぼ勝ちを放棄したに等しい戦術である。2012年総選挙・都知事選以来の経験から、脱原発が選挙の優先的争点にならないのは持続的な傾向であり、それが短期のキャンペーンで覆せるものではないことはある程度分かりきったこと・前提として当然理解しておくべき事であった。小泉のキャラクターやメディア戦術に期待した向きもあるかもしれない。だが、小泉の郵政選挙における大勝は、自民・公明の基礎票や候補者の日常活動・個人後援会の底力という(2014年の細川には決定的に欠けていた)裏付けがあったればこそ実現し得たものではなかったか。
 あるいは宇都宮が立候補しなければ細川は勝てたのか?だが、行方久生・文教大教授の得票分析によれば(詳しくは「都知事選挙と脱原発派の敗因について(1)」参照)、細川・宇都宮両者の"支持者の傾向は"そもそも異なるものであった。総合的に考えれば、両者の得票を足した数字が細川一本化でそのまま出たかどうかすら覚束ないであろう。一本化で増える票しか見込まない・勘定したくないという原氏(「その1」参照)のような主張は、日米開戦に突入する大日本帝国並みに現実逃避とご都合主義に過ぎているとは言えまいか。そもそも細川にとっての最大の強みは「脱原発政策を掲げながら、左翼嫌いの中間・保守層の脱原発票を取り込める」(原「その1)」)点にあった。ところがそのせっかくの細川の強みも、『脱原発都知事を実現する会』『脱原発都知事選候補に統一を呼びかける会』、あるいはネット上の原氏のような人物といった"オールド左翼"の細川雪崩れ込みによって、見事にぶち壊しになってしまった。
 また、「細川にも欠点がないわけではない」とし、「一億円の借入金がらみで政権を投げ出したりもしている。」(「2014都知事選の前哨戦を見て。細川がベストだ。」)と原氏自身述べていたが、五千万円の「借入金」疑惑→説明責任に耐え切れず都知事「投げ出し」、という猪瀬の醜態を都民が目の当たりにした直後に、その後任を選ぶ選挙で、「一億円の借入金」疑惑→説明責任に耐え切れず「政権を投げ出し」た「細川がベストだ」というのでは、もうジョークでしかない。しかもそれで、田中角栄・小沢一郎並みにフェイストゥフェイスで培った強固な個人後援会組織があるとか、舛添並みに支援政党の基礎票が当てにできる訳でもない、浮動票狙いの選挙に細川は臨まざるを得ないのである。現に都知事選の中盤段階ですでに複数のマスコミ情勢調査でも細川が宇都宮に抜かれているとするものが出てきており、投票結果を待たずして、細川が"宇都宮に対してすら"勝てるとは言い難い候補であることは露呈していたのである。
 また、仮に都知事選で舛添=自民・公明候補が敗北したとしても、それを(都政の転換ではなく)脱原発・再稼働阻止や政権への打撃へと繋げて行くことは、実はそれほど容易でもなければ直結する話でもないのである。そもそも東京都に、原発政策に関与できる余地がほとんどない点はすでに述べた(「都知事選挙と脱原発派の敗因について(2)」参照)。つまり、市長の許認可権限の行使・不行使が実際に基地移設工事の大幅な遅延・妨害へ直結し得る名護市長選挙の場合とは異なり、都知事選挙が脱原発に与える影響は、あくまで象徴的なものにとどまる。まして政権への打撃、という点では言わずもがなである。そして実際、安部政権発足以来、政権与党(系候補)が首長選で負けるのはけして珍しくもないことだった。
 だが安部政権・内閣支持率にとって、それらの敗戦は何の痛打にもならなかった。極めて現実的に基地移設工事の遅延・障害問題が発生し得る名護市長選挙での敗北ですら、安部内閣の支持率・基地移設方針はおろか、"本土における基地移設支持世論すら"ほとんど揺るがなかったのである。それはなぜなのか? おそらくその最大の理由は、アベノミクスと東京オリンピックの神通力がなお作用し続けているから、ではないだろうか(注2)。

(注2)基地移設問題にも絡んでくるであろう近年の対中国意識や安全保障意識も、これら経済課題ーいわゆる"強い経済を取り戻す"的スローガンーと密接な関連があるものと筆者は考える。落ち目の経済大国がその地位にすがりつく、そのための担保としての軍事力、あるいは隣国に追い抜かれて行く焦りの裏返しとしての被害者意識が、戦後日本的軽武装経済重視論からの今日的断絶をもたらしたのではないか?もっともこのような話題は、都知事選という枠組みからあまりに外れてしまうであろうから、機会があればまた別途論じたい。

 そうであれば、アベノミクスと東京オリンピック幻想を乗り越える運動と論戦、世論の変化をすっ飛ばして、(都知事選挙によって)安部政権に打撃を与えよう・与えられるという発想が土台無理な話だということになる。そして東京とは、アベノミクスと東京オリンピックに親和的な層が、他のどの地域にも増してもっとも分厚い層を成している土地ではなかったか(必ずしも親和的=現実的な受益者ではないのだが)。アベノミクスと東京オリンピックは強い日本経済(を取り戻す)の象徴であり、強い日本経済(を取り戻す、というスローガンに容易に回収されてしまう)意識は、往々にして庶民生活の現実を度外視させることで構造改革・新自由主義と親和的なものとなる。石原4選・猪瀬の過去最多得票当選も、東京の他のどの地域にも増した新自由主義に親和的な層の厚みに裏打ちされたものだったのではなかったか。そのような特性を持つ東京において、都政の反新自由主義的体系的転換を掲げる宇都宮や脱原発一点突破の細川が当選する現実的余地は、2014年2月時点ではほとんどなかったと言っていいだろう。勝てる候補者論(者)の根本・前提にある、脱原発に一気に弾みをつけたい・安部政権に打撃を与えたい、という心情の純粋さは疑うべくもないとしても、それを2014年2月都知事選で達成しようというのは空理空論でしかなかった、と言わざるを得ないだろう。
 名護市における基地移設反対派市長の誕生は、それ以前の十数年におよぶ長い長い闘いの到達点だった。その間には、住民投票で基地受け入れ反対多数の結果を出しながら直後の市長選では基地受け入れ派の候補が当選するというジグザグや、それでも基地建設予定地に一本の杭も打たせない粘り強い運動があった。基地反対派市長の誕生もその長い闘いの到達点であると同時にあくまで闘いの一局面であったし、直近の基地反対派市長の再選・大勝ですら辺野古基地計画撤回の闘いの通過点に過ぎないのが厳然たる事実なのである(注3)。脱原発に力となるような、あるいは安部政権に打撃を与えるような選挙結果が得られるとすれば、それはそもそも選挙に先行する脱原発と反安部政権の世論と運動の強力な展開あってこそのものであり、また選挙における政権与党系候補の敗北を脱原発・安部政権の悪政阻止にまで実際に繋げていくためには、脱原発・反安部政権の世論と運動の強さと広がりが不可欠なのである。

(注3)「500億円の買収資金を積まれても、稲嶺が勝利した沖縄・名護市長選をみてもそうである。本土では社共が強いからと想像しがちだが、そうではない。いわゆる草の根保守が反基地だから勝利できたのである。26人の名護市議のうち、共産党は1名にすぎない。社会大衆党も社民党の名前も見あたらない」(原「その1」)。その稲嶺が2014年都知事選に当たってメッセージを寄せたのは、「左翼嫌いの中間・保守層の脱原発票を取り込める」(原「その1」)はずの細川ではなく、原氏いわく共産党の「「準」自前候補」(「その1」)のーしかも共産党は名護市議会では26議席中のわずか1議席に過ぎないーはずの宇都宮であった。原氏の理屈だけ聞いていると稲嶺のこの行為は不可解に映るかもしれない。だが、運動の延長線上に選挙に臨んで来た名護市の基地反対派のあり方に、都知事選において相対的に最も近似していたのが宇都宮陣営だったため、稲嶺がメッセージを寄せるとすれば宇都宮ということになるのであろう。

 2014年都知事選について「この選挙の敗北の意味するところは重大で、「ファナティック」な宇都宮派が細川に勝ったと「ぬか喜び」している間に悪政はどんどん進んでいく。今後の2年半のフリーハンドを得た安部政権は原発の再稼働を旺盛に進めるであろうし、また「戦後レジームからの脱却」、ヒトラーの知恵を拝借した「改憲なしの憲法の停止」(特定秘密保護法や集団的自衛権の解釈変更など)へのアクセルをつよめるであろう」(原「その1」)という原氏の主張は、一見もっともらしく見えてその前提となる認識が根本的に誤っている。原氏は「今後の2年半のフリーハンドを得た安部政権」云々と述べるが、そもそも安部政権にとって都知事選が政策遂行上の大きな制約要因として位置付けられていただろうか? 安部政権は都知事選の有無にかかわらず「フリーハンド」を行使してきたし、それを可能にしてきたのはあくまでアベノミクスと東京オリンピックの幻想であって、地方選挙の有無・勝敗ではない。従って安部政権の「フリーハンド」を無効化するには、アベノミクスと東京オリンピック幻想が乗り越えられねばならず、またむしろそれ無しではとりわけ東京のような土地で選挙に勝利することは覚束ないのである。都知事選で勝ったから安部は「今後の2年半のフリーハンドを得た」、というのは原因と現象の区別が出来ていないのである。事実は逆で、安部にフリーハンドを与えるほど強力なアベノミクスと東京オリンピック幻想があればこそ、必ずしも良い"玉"とは言い難い舛添でも与党は危なげなく勝利できたのであり、アベノミクスと東京オリンピック幻想に支えられてこそ、そもそも(都知事選挙を含む)あまたの地方選挙の有無・勝敗にかかわらず安部はこれまでフリーハンドを行使し続けられたのである。だとすれば、安部のフリーハンドを奪い取り、安部の悪政を阻止し、安部に選挙で勝つためには、アベノミクスと東京オリンピック幻想を乗り越える論戦・運動を含む世論と運動の力、その強さと広がりがもっとも重要となるのではないか。とりわけ選挙がない期間においては世論と運動の力のみが政権と闘う唯一の手立てである。勝てる候補者論者は、都知事選挙に対して全く無根拠に、実際には仮に細川で勝っても何一つ選挙後の安部政権・脱原発に対する具体的展望もないまま(もし有ったなら是非ともお聞かせ願いたいものである)、さんざん現実離れした過剰で過大で漠然とした期待を振りまいた挙句今度は、都知事選挙に負けた"から"安部が悪政推進のフリーハンドを得たかのように吹聴するが、自分で自分(安部の悪政に対する都知事選挙後の運動)の首を締めるようなものである。都知事選投票日までの自己の言動の正当化ありきでそんなことをしているのであれば恥を知ってもらいたい。
 また、宇都宮支持者の中に細川に勝ったことを過度に強調する者がいたとしても、それは投票日直前まで細川支持者・一本化論者によって強力に主張され続けてきた細川=勝てる候補者論への"返答"ではないか。細川=勝てる候補者論については一切省みることなく、宇都宮支持者が細川に勝ったと言っていることだけ切り取っても、子供の駄々ほどの整合性も保てまい。

・2014年都知事選において望み得た最善の構図

 誤解しないでもらいたいのだが、2014年都知事選は勝ち目もないし重要でもないドーデモイイ選挙だった、ということでは断じてない。たとえ直近の選挙での勝利が極めて困難な場合でも、勝利に向けて最善手を的確に打ち続けること、あるいは選挙を通じて世論と運動の高揚を図ることは極めて重要である。私がここまで言って来たことはあくまで

1.都知事・都政の実体上、都知事選挙の勝利によって脱原発を実現する、という目標設定・スローガンに実効性・具体性を持たせることは直接には困難であり
2.また都民・有権者の意識において、脱原発が都知事選の優先的ないし直接的争点とはなっていなかったことは事前の世論調査からも明らかであり、かつそのような傾向を短期のキャンペーンによって覆すことは過去の経験からも極めて困難であることから、脱原発一点突破型選挙戦略は勝ちを放棄するものに等しく
3.都政・都知事選を通じて脱原発の流れを作り出すには、原発の建設・再稼働が格差と貧困、生活・地域経済の危機に付け込んで進められている点を捉えた論戦・政策提起によって、生活課題重視の都民意識ともかみ合った論戦・運動の進め方を追求し、また省エネや被曝・放射能検査問題、原発避難者問題などの都政としての実効性を持った提起を行うことによって、脱原発の世論と運動の喚起を重視することがほとんど唯一の戦略であった。
4.同じく、都知事選挙での勝利によって安倍政権に打撃を与える・与えられる、という期待や目標設定も、そもそも安倍政権の「フリーハンド」の源泉たるアベノミクスと東京オリンピック幻想を打ち破れない状況では、地方選挙の有無・勝敗が安倍政権への制約要因になり得ず、またとりわけアベノミクスと東京オリンピック幻想が強いと思われる状況下の東京で、安倍政権への打撃=アベノミクスと東京オリンピック幻想への打撃となる可能性のある候補者、つまりは都政の反構造改革的・反新自由主義的転換を提起する候補者の都知事選勝利の可能性は低くならざるを得ず、従って
5.2014年都知事選は、アベノミクスと東京オリンピック幻想を打ち破る論戦と運動、それを通じた世論喚起から始めて行く場として、まずは位置付けざるを得なかった。

ということである。それらを踏まえた上で、都知事選での勝利=舛添の落選可能性を最大化する(より正確には舛添の得票を最少化する)最善手とは何だったかを振り返れば、保守の3分裂(田母神・舛添・細川)+宇都宮・その他、という構図に持ち込むことであったろう。2014年2月の時点では、舛添の票を最大限切り崩し、最大限取り込む以外の方法によっては、舛添以外の候補が当選することはあり得なかった。そして保守の有力候補として舛添の票を最も切り崩し、最も取り込み得たのは細川・小泉連合をおいて他になかった(注4)。だがそれを現実のものとするには、細川が都民・有権者から明確に保守候補として位置付けられる必要があった。そのためにも、宇都宮(である必要は必ずしもないが、現実問題として、あの時点で宇都宮以上の候補を擁立できた可能性は低かったように思われる)が脱原発だけではない都政の反新自由主義的体系的転換を掲げる候補者として立候補し、なおかつその元に左派ーと、中間・保守層からは見なされるであろう勢力・人士ーが結集する(か、もしくは別の、明らかに左派と見なされる候補を担ぐかする)必要があった。細川には非政権与党系候補ではあっても純然たる保守候補として選挙に臨んでもらわなければならない。そして脱原発を全面に押し出すぐらいでは、細川・小泉連合の保守系陣営としての位置付けは揺らがない。だが細川に、"安倍政権に打撃を与え得る候補者"といった期待を抱くべきではないし、現実にそんな期待を抱く余地は細川にはないし、そもそも細川にそんな期待を抱かせる余地があっては困るのである。なぜなら、安倍政権の「フリーハンド」を支えるアベノミクスと東京オリンピック幻想が強く作用しているであろう2014年2月の東京で、安倍政権に打撃を与え得るような候補であっては当選は到底覚束ないからである。安倍の靖国参拝を擁護し、「これから中国に対する対応は、今の安倍晋三首相の対応でよい」(2013年11月16日付MSN産経ニュース、12日の日本記者クラブでの記者会見)と言い切る小泉が二人三脚で全面支援する細川、脱原発以外の政策が空っぽ=当選したとしてもせいぜいこれまでの都政のレールの上を走るだけ(あるいはむしろ、より一層の新自由主義的都政へ舵を切りかねない)であろう細川、実は脱原発についてすらその具体的手順は曖昧な細川、"だからこそ"、舛添に次いで当選確率が高い、というのが2014年2月の東京における現実だった。そしてそのような東京の状況自体を2月の都知事選投票日までに覆すことも困難であった。

(注4)それでも、脱原発一点突破の細川では、舛添を上回るには到底力不足であった。かと言って、短期決戦を志向せざるを得ない細川に、脱原発一点突破以外の選択の余地はほとんどなかっただろう。

 2014年2月の都知事選によってはそもそも達成困難な、脱原発に向けた飛躍的前進・安倍政権に打撃を与える、といった課題を担うのは細川の役目ではなく左派の役目であった。もちろんより正確には、具体的な生活課題とも切り結んだ粘り強い運動を通じた左派と中間・保守層も含めた広範な人々との共闘と信頼の積み重ね、それよる世論の変化と運動の力・広がりこそが、脱原発の実現・安倍政権に打撃を与える、といった課題を担えるのである。そうした運動の前進にとって、舛添の落選ないし苦戦はプラスにこそなれ決してマイナスにはならないから、その限りでは確かに都知事選において目指すべき一つの目標であった。だがそのために、左派が政策的諸原則をかなぐり捨てて細川支持・宇都宮降ろしに走るのは戦術的にも誤りであった。ましてや、いかに細川が左派的な立場からも支持し得る・支持すべき候補であるかを、言い訳がましく並べ立てるのは最悪であった。結局、実際の都知事選の構図は、"左派が分裂した挙句、細川を巻き込んで盛大に自爆した"というものであった。とりわけ「左翼嫌いの中間・保守層」(原「その1」)から見ればそうとしか映らなかっただろう。例えば、「セクト主義」などという左翼用語を乱発する原氏のような人物は、「左翼嫌いの中間・保守層」が嫌う左翼以外の何者でもないのである。共産党を批判していれば「左翼嫌いの中間・保守層」のウケも悪くないハズ、とでも思っているなら、頭の中が前世紀で止まっているのである。

・ノーサイドへの一抹の不安

 左派的な(と見られても仕方ない)立場から、本気で細川の当選に尽力したいと願うのであれば、それこそ細川陣営のポスター貼りビラ配り、街頭での声かけチラシ渡し、電話掛けやハガキ書きといった、地味で地道な活動に参加した方が、細川の足を引っ張ることも少なく、よほど細川のためになったであろう。ところが実際に、『脱原発都知事を実現する会』『脱原発都知事選候補に統一を呼びかける会』、あるいはネット上の原氏のような"オールド左翼"がやったことは、左派的な(と見られても仕方ない)自分の姿をわざわざさらけ出してオピニオンリーダー気取りで記者会見を開いてみたり、あるいは「さざ波通信」のような左派的サイトで細川の宣伝をして見たり、あるいは選挙参謀気取りで机上ならぬネット上の空論を得々と開陳してみたり、自己顕示欲を満たす以外に意味がないような、細川にとって何の役にも立たないかむしろマイナスになるようなことしかしないのである。あるいは、そもそも地味で地道な活動を厭うからこそ、彼ら彼女らは社会運動や政策的諸原則に立脚するよりも、かつてブームを起こした小泉・細川に手っ取り早くすがりつく方を選んだのかもしれない。
 その挙句、細川が(舛添どころか宇都宮にすら)負けると、宇都宮が悪い、宇都宮の支持者が悪い、共産党が悪い、と敗因を他人に押し付けて自分だけは一切の責任からの逃げ切りを図ろうという醜態を晒すのである。原氏に至っては、「細川の公約が発表された現在も一本化の動きは続いているようだが、その努力は無駄に終わるのであって、むしろ集票活動に集中した方がよい」「あとは脱原発派有権者の賢明な判断にかかっている。都知事選前半を脱原発派二候補の「予備選」と位置づけ、リードした候補に後半戦で投票を集中させればいい。有権者による事実上の脱原発派候補の一本化である。それしかなかろう」(「その1」)と、選挙前は一本化など「無駄」・そもそも一本化の必要すらない(少なくとも一本化出来ないのは織り込み済み・覚悟の上)かのような発言をしておきながら、その舌の根も乾かぬうちに「都知事選の敗因は脱原発派の分裂」などと言い出すのである。本気で分裂が都知事選の敗因だと思うに至ったのなら、まずは一本化の不可欠さと重要性に対する選挙前の自身の不明を恥じるところから話を始めるべきであろう。しかし、原氏が自らを省みることはないのである。
都知事選の敗因にしてその元凶たる人たちが、何の反省もしないどころか"自分は悪くない、あいつが悪いこいつが悪い"とだけ、ひたすら言いつのっている。何の反省もしていないわけであるから、今後同じような状況が訪れた時、彼ら彼女らはまた同じように振る舞うのであろう。そうなれば2014年都知事選同様、今度はせっかくのノーサイドが茶番に堕してしまうだろう。運動を通じた実践によって克服できる部分もあるだろう。だが、もっとも反省すべき人たちには、最低限の反省はしてもらいたいものである。