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一般投稿欄

都知事選における敗因は脱原発派の分裂にあり、その元凶は共産党のセクト主義にある(その4)

2014/4/5 原仙作

(5)、共産党大会決議のセクト主義
 前回(その3)、今年1月の共産党の大会決議をとりあげた。そこには中間政党の衰滅を両手を挙げて歓迎し、「第3の躍進」、「自共対決」時代の本格的到来と奮い立つ姿があった。
 マルクス主義の一般理論からすれば、確かに中間政党の衰滅はひとつの法則的なものと把握されるところであるが、社会が単純に二大階級に収斂するわけではなく、現実には、社会の複雑化に伴い所得階層も複雑になり、それに対応して新たな社会層とその利害を反映した諸政党の誕生もまた法則的なのである。
 その両面的把握から統一戦線思想が生まれてくるのであるが、共産党の場合、前者があって後者が抜け落ちてしまっており、統一戦線思想の片鱗もない倒錯したセクト主義満開の政治情勢認識になってしまっている。
 このようになってしまった政党が、党大会の開催と同じ時期に、倒錯したセクト主義とは無関係に、国政選挙に準ずる大型選挙=都知事選に取り組めるはずがないのである。

(6)、宇都宮擁立へ一直線の共産党
 90年の党史を誇る「老舗」政党なのであるから、都知事選に勝利するためには政権与党の基礎票200万票を上まわる選挙戦略が求められていたことくらいはわかっていたはずである。12月28日の宇都宮の立候補表明では「倍返しで200万票取って 都知事選に勝利しよう」と言っていたのであるから、与党側の基礎票200万票は十分意識されていたはずである。
 では与党の基礎票200万票を上まわる構想が模索されたのであろうか? その形跡はまるでない。猪瀬辞任表明の翌日である12月20日には前回都知事選の宇都宮の確認団体である「つくる会」の緊急運営委員会が開かれ、本稿(その2)で述べたような運営委員会の即解散、宇都宮と中山への一任、澤藤排除、河添の恫喝、「新」運営委員会(23日開催)という急展開が行われ、28日には宇都宮の立候補表明となるのであるから、誰が見ても、ジグザグの試行錯誤とは見えないのである。
 前回も、今回も、宇都宮の支持団体に名を連ねた有力政党は社民党と共産党だけである。社民党は一時は細川との一本化を模索したところであり、また今回は共産党が格段の注力ぶりであったところからすれば、ここに示した「つくる会」の急展開を裏で支え、猪瀬辞任直後から宇都宮の線で行く方向をゆるぎなく持っていたのは共産党だけであったと決めつけてもそれほど不合理ではあるまい。

(7)、勝利の展望なき宇都宮擁立
 宇都宮にとっても弁護士連合会会長の選挙や前回の都知事選を経験しているのであるから、有力な支持団体の支援を事前に確保することなしには立候補表明のあるはずもない、と見るのが自然であろう。その有力な支持団体とは、時間をかけた大衆討議が必要な大衆組織ではありえず、執行部の判断で即決できる有力組織、すなわち、そういう政党、一時は候補一本化も検討した社民党や組織力のない新社会党やみどりの党ではありえず、つまりは共産党なのである。
 それだから、本稿(その1)で、宇都宮と共産党はどこかの時点で手を握ったと書き、12月28日の立候補表明の時点では、都知事選「共闘」が成立していたと見るのが合理的なのである。
 しかし、この「共闘」には200万票を獲得する展望があったのかと言えば、根拠なき願望以外はまるでなかったはずである。安倍自民の政権復帰、維新やみんなの党が幅を効かせる政治的右傾化の時代に、宇都宮のフライング立候補で、宇都宮に左翼候補イメージが付いてしまうリスクを犯してまで立候補したのではどうにもならない。
 70年代の美濃部都政の時代にあっては、社会党のような大政党(72年総選挙1147万票)の支持があったのに比べれば、現在の社民党は142万票(2012年)にすぎないのだから、社共共闘も様変わりで、美濃部都政よ、もう一度、というような夢を見るわけにはいかない。そのうえ、1年前には統一候補・宇都宮で闘って、96万票、猪瀬の430万票の前に惨敗し、候補者の魅力に不足があることは実証済みである。
 共産党とて2012年総選挙では369万票(6.1%)、美濃部時代には550万票(1972年総選挙、得票率10.49%)と大躍進した頃と比べると見る影もない。「躍進」と喜ぶ昨年の参議院選でさえ、比例の得票が515万票となっているが、それでも得票率は10%には届かず、9.68%どまりである。

(8)、フライング立候補の真相(その1)
 このように見てくると、宇都宮と共産党の「共闘」があったにしても、もう少し、うまい立ち回り方があってもよさそうなものである。何と言っても,宇都宮は前回の統一候補だったのだから、脱原発派の中では飛び抜けて有利な位置にあったはずで、他に適任の候補が見あたらなければ、自ずと候補者は宇都宮に落ち着くはずである。「待てば海路の日和あり」である。
 そうなれば、フライング立候補よりよほど広範な諸団体の支持が期待できたであろうし、前回支持の諸団体とも摩擦を起こさずに済んだかも知れない。宇都宮選対の選挙総括案(「素案」)でも、フライング立候補により、「無所属・リベラル派の区議・市議の方々」の支援が「大幅に減りました。」(「素案」7ページ)とある。
 ところが、「やせ馬の早駆け」とばかりに「いの一番」の立候補表明であるから、早駆けせざるを得ない事情が持ち上がっていたと考えるべきだろう。思い当たることはふたつある。ひとつは河添の恫喝に怒った弁護士・澤藤によるブログにおける公然たる告発(「憲法日記」)である。日が経てば、告発の内容は広がる可能性がある。
 もうひとつは、猪瀬の辞任ムードが濃厚になってきた12月下旬に、永田町に流れ始めた細川出馬といううわさである。

(9)、フライング立候補の真相(その2)
 本稿(その2)で触れた宇都宮選対の選挙総括案(「素案」)には次のような記述がある。「私たちが元首相の細川護煕氏を擁立する動きがあることを知ったのは、1月7日の朝刊に~~記事が掲載された時点です。」(「素案」11ページ)
 しかし、1月7日ではいかにも遅い。素人なみである。20日に緊急の運営委員会を開き強行突破の途についた選対としては如何にも情報感度が鈍い。これはウソである。「日刊ゲンダイ」の1月4日付の記事で、すでに「仰天情報・細川元首相急浮上」というのがあるくらいである。
 本命はこちらであろう。「素案」にはこういう記述もある。「瀬戸内寂聴氏は、12月26日に細川夫人から選挙についての挨拶があったことを新聞への寄稿で明らかにしています。」(同11ページ)
 世俗を解脱した尼僧への挨拶が26日にあるくらいだから、永田町では、それ以前に、すでにかなりの情報が流れていたと見るべきで、この26日という日付も意味深長で、28日の緊急出馬ぎみのフライング立候補をリアルなものにする材料になる。

(10)、 フライング立候補の真相(その3)
 おそらくは、宇都宮のフライング立候補の真相はこういうことであろう。都知事候補者・宇都宮ということで宇都宮と共産党との合意はあったものの、予想外に早く猪瀬辞任に発展したことや細川出馬のうわさもあり、「つくる会」の新体制づくりを急いだのだが、拙速さのあまり、恫喝まで飛び出し、予定外の告発も受け、年末には脱原発候補・細川出馬が濃厚になってきたことから、統一候補擁立の気運を待っていたのでは細川に脱原発候補をさらわれるとの恐れが生まれ、支持広がりのリスクを犯してでも、急遽、年内立候補へと突き進んだということである。
 細川で脱原発派候補の一本化ということになると、野心家に変身した宇都宮にとっても不本意であろうし、共産党にとっては存在感を示す選挙戦にできないことになり、セクト主義の頂点にある党指導部の現状ではとうてい受け入れがたかったのである。

(11)、野心家・宇都宮の発言
 残るは宇都宮の野心家への変身についてである。野心家に変身することを一概に非難するわけにはいかないのは当然のことであるが、その野心故に庶民の政治的利害の実現が阻害されたということになると、話は別である。本稿(その2)で、宇都宮は12月20日の緊急運営委員会で、当日の運営委員会議長でありながら、河添による恫喝を制止もせず傍観したことをもって、私は都知事候補としては失格であると判断したのであるが、付け加えて、ここでは宇都宮の野心家ぶりを示しておくことにしよう。
 12月28日の立候補表明演説(講演)が、宇都宮の確認団体であろう「希望の町、東京をつくる会」のサイトに載っている。そこでの宇都宮の発言を見ると、こういうものがある。

「市民の候補者というのは、市民運動の中からスターを生み出して育てていかなければなりません。どこかから取ってくる候補者ではダメなのです。」

 「どこかから取ってくる」という口ぶりに、細川のイメージがすでにちらついているようにも見えるのだが、それは棚に上げておこう。また、自分自身が元日弁連会長ということで、「取って」こられた都知事候補者であったことを忘れていることや、宇都宮が言及する美濃部都政でさえ、学者の美濃部が「取って」こられたし、黒田革新府政でさえ同様であったことも不問にしよう。
 この主張で宇都宮が言っていることは、前回はボロ負けしたが、おれ(宇都宮)を「スター」に「育て」ろということである。
 この発言には驚いた。他人が、ボロ負けした宇都宮を再登板させようとして推薦の弁としてやるならわかるが、しかし、ボロ負けした当人が言う言葉ではないだろう。宇都宮は、自分から「スター」になりたいのだと言っている。ここに立派な紳士であったはずの宇都宮の変身ぶりが赤裸々に露呈されているのである。彼は立候補の時点で、すでに十分な野心家に成長・変貌しているのである。

(12)、最後に、福島原発事故の認識が問題なのだ
 これまで、ネット上での議論を様々見てきたが、一本化論を分ける分水嶺は福島の原発事故をどうとらえるかということに帰結する。その象徴が福祉も脱原発も重要だと並列的に政策を並べる共産党・宇都宮陣営、対する細川での一本化論者は脱原発政策の最重要性を強調する。
 少し考えればわかることだが、脱原発政策は福祉政策などとは同じ次元で論じることはできない。ひとたび、過酷な原発事故が起これば、「国破れて山河あり」どころではないからである。山河が残れば、福祉も医療も雇用も成り立ちうるのに対し、山河さえ残らない。山河も故郷も一族も家族も我が身も、すべてがこれまでの境涯から一変してしまうのである。このような惨害と比較しうるものは大戦、いやそれ以上のものでさえある。
 しかも、かかる惨禍は広範囲に及ぶ。日本政府はデータを誤魔化し、安全基準を改悪し、情報を隠蔽したり過小評価して事態の沈静化に努めているが、一説には、EUで出されたある研究報告では34000平方キロ(国土の27%)がチェルノヴイリ基準で言う「徹底的な放射能監視必要区域」にあたり、該当する地域には首都圏が丸々含まれているというほどである。
 福島県における青少年の甲状腺ガンの広がりは氷山の一角に過ぎない。
 地球上に占める面積からすれば1%にも満たない日本列島に地球上の大地震の20%が集中し、しかも、専門家の意見では、東日本大震災以降、日本は地震の活動期に入ったと言われ、アメリカ基準では活断層との関係で1基も原発を作れないはずのものが54基も存在するのである。
 現在は、稼働中の原発がゼロなのだから、再稼働阻止は最優先課題であり、そのためには、都知事選といえども、再稼働阻止で当選できる可能性を1%でも多くもっている候補者を探しだし、そこへ投票を集中させる選挙戦術が必要だったのである。