原仙作氏の「都知事選の敗因は脱原発派の分裂にあり、その元凶は共産党のセ クト主義にある(その2)」(一般投稿欄3月9日付。以下「その2」)について、
「原氏の「(その2)」には文中、個人名の後に「(共産党員)」との但し書きがさ れた箇所があった(サイト管理人氏によって現在は修正されている)。
これは本人または日本共産党として公表している事実だったのか?
あくまでも仮に、だが、本人や党としては公表していないにもかかわらず、「誰 それは共産党員」という事実を第三者が勝手に暴露するとすれば、「党員」とし て名指しされた者の家族やごく私的な交友関係にある者にまで場合によってはそ のことで影響を与えかねない、非常にセンシティブで重大な情報の暴露という、 深刻な問題になりかねないのではないか?
また、確か過去、"土井たか子は在日朝鮮人"というデマを流した者に対する裁判 で原告の土井氏側が勝訴していたと記憶しているが(注)、その事例に照らせば、 もし仮に原氏の「×××(共産党員)」(×××は個人名)という記述が虚偽ないし明確な 根拠を提示できない情報である場合には、原氏はもちろん当然として、『さざ波 通信』までが巻き添えを食って法的な責任を問われかねない事態までも想定し得 るたのではないだろうか?
私としては、原氏の記述が本人または共産党によってすでに公表されている情報 であることを願うばかりであるが、原氏には至急この点について責任ある見解な いし対応を表明していただきたいものである。
(注)土井氏や裁判所は「在日朝鮮人とされたこと」を問題にしたのではなく、あ くまで虚偽情報をばらまいたことを問題にしたものである。けっして「在日」差 別を前提や当然視している訳ではない。また、私が土井裁判を引き合いに出した のは、"誰それは共産党員である"という単体としての情報の真偽についてだけで なく、原氏においては「×××(共産党員)」という記述が「共産党のネガティブな 組織体質を体現する存在」という文脈で置かれている、という点も踏まえてのも のである。土井たか子氏の裁判でも「土井が在日朝鮮人かどうか」という事では なく、当該の雑誌記事の論旨・文脈でのデマ情報の位置づけが問題にされ、名誉 感情や人格的利益の侵害が認定されたものと記憶する。×××氏の言動それ自体へ の批判だけであれば、わざわざ土井たか子氏の裁判を引き合いに出すような話で もなかったのだろうが。」
と、私は指摘した(丸楠夫「原仙作氏の御都合主義的"つまみ食い"」一般投稿欄3
月19日付。また、掲載はされていないが、私は上記引用と同趣旨のメールを3月
12日にさざ波通信宛に送ってもいる)。また現在、原氏の「その2」の文末には、
サイト管理人氏による「掲載時には筆者による表記ミスがあり修正しています」
との注記がなされている。文面から推察するに管理人氏は、個人名の後にわざわ
ざ「(共産党員)」と明記した原氏の記述について、「表記ミス」であったとの言
質を原氏から直接取った上でこのような注記を付したものと思われる。
だが本来、このような釈明はサイト管理人氏に代行してもらうようなことでは
なく、原氏自身が自らの手で行うべきことではないのか。本人や党として公表し
ていない「誰それは共産党員」というセンシティブな情報を勝手に暴露し、しか
もそれが虚偽情報、なおかつそれを相手へのネガティブな意味付けとして記述す
るという事の重大性・(意図的かどうかを問わず、結果的な)悪質性に鑑みても、
それを行った原仙作氏が全責任を負って、自らの手で、自らの「原仙作」の名
で、釈明なり見解なり謝罪なりを公にするのが当然のことではないのか。自らの
公での主張・論述に自分で責任を負えない、負いたくないというのであれば、公
での主張・論述などしなければよいであろう。釈明は他人に押し付けて(むしろ
この場合、サイト管理人氏は他人どころか原氏に迷惑を"かけられた"側でさえあ
る)、その後もいけしゃあしゃあと放言(自らの言に責任を負えない・負わない人
物の言葉に信を置ける余地などないだろう)を続ける原仙作の態度は無反省と無
責任の極み、"反省だけならサルでも出来る"という言に倣えば、サルにも劣るも
のである。
他にも原氏は、「宇都宮が「隠れ共産党員」なら話は早い。そうでないのな
ら、どこかの時点で、宇都宮と共産党は「握って」おり、宇都宮に「魔が差し
た」のである」(「都知事選の敗因は脱原発派の分裂にあり、その元凶は共産党
のセクト主義にある(その1)」以下「その1」)等、無根拠で具体性を欠いた他者
に対してのネガティブな放言(原氏が根拠や具体性を示さない・示せないので批
判の体をなさず、ただ「ネガティブな放言」とでも表現するよりない)を乱発し
ているが、これらの記述について原氏は責任を負える(直ちに明確な根拠を示
す、またはそれが出来ない場合に取るべき対応が取れる)のであろうか?
明確な虚偽・中傷として責任を問われ得る点以外でも、原氏の今回の都知事選
に関連した投稿は基本的に無責任なものである。
例えば原氏は、「細川の公約が発表された現在も一本化の動きは続いているよ
うだが、その努力は無駄に終わるのであって、むしろ集票活動に集中した方がよ
い」「あとは脱原発派有権者の賢明な判断にかかっている。都知事選前半を脱原
発派二候補の「予備選」と位置づけ、リードした候補に後半戦で投票を集中させ
ればいい。有権者による事実上の脱原発派候補の一本化である。それしかなかろ
う」(原「その1」)と、選挙前は一本化など「無駄」・そもそも一本化の必要す
らない(少なくとも一本化出来ないのは織り込み済み・覚悟の上)かのような発言
をしておきながら、その舌の根も乾かぬうちに「都知事選の敗因は脱原発派の分
裂」などと言い出すのである。原氏が本気で分裂が都知事選の敗因だと思うに
至ったのなら、まずは一本化に向けた動きに対する自身の熱意のなさ、一本化の
不可欠さ・重要性に対する認識の不足についての自己批判から話を始めるべきで
あろう。ところが、原氏はこと自身を省みることは一切しないのである。
また例えば、有島実篤氏の「都知事選・細川の敗北は自己責任【原氏の主張に
疑問】」(一般投稿欄2014/3/6付)という異論・指摘に対し、原氏は、「細川の敗
北は「自己責任」? そうですね、立候補する以上、候補者は どういう形であ
れ、結果を背負わなければならないわけで、皆、自己責任である ことは、細川
ばかりでなく他の候補者も同じです。それゆえ、「自己責任」と言ったところ
で、都知事選の何かがわかるわけでもないのでは?」(原仙作「有島さんへ。
福島原発事故の惨状についての認識が問題なのです。」一般投稿欄2014/3/16付)
などと木で鼻を括ったような一般論で返しているが、揚げ足取りにもならない、
さながら不貞腐れた子供のような「自己責任」という語のオウム返しとでも言う
しかない。「国民の脱原発政策支持率は約7割あり、脱原発政策を掲げながら、
左翼嫌いの中間・保守層の脱原発票を取り込めるのは細川」(原「その1」)で
あった点をはじめとして、マスコミからの注目度にしても小泉からの応援にして
も、細川には、普通に考えれば宇都宮を大きく突き放せるだけの強力なアドバン
テージが幾つもあったハズであるにもかかわらず、宇都宮と大差ない(僅差なが
ら宇都宮に"すら"負けるという)結果に細川が終わった、というのは厳然たる事
実である。にも関わらず、ただ、宇都宮が悪い、宇都宮支持者が悪い、共産党が
悪いと(根拠も整合性もなく)言うばかりで細川自身(の選挙方針、政策、候補者
としての魅力・資質等)、引いては都知事・候補者として「細川がベストだ」(原
仙作「2014都知事選の前哨戦を見て。細川がベストだ」一般投稿欄2014/1/25付)
とした自身の判断については(選挙結果を踏まえての)一切の批判的検証・批判的
言及もなく、あまつさえそれを指摘されると、不貞腐れた子供のような返答しか
しない・出来ない、というのでは、今後に向けた改善も向上も教訓の引き出しも
出来ようはずがなく、それこそ「都知事選の何かがわかるわけでもないので
は?」
また、原氏は、原発事故の深刻さへの認識、原発問題の重大さへの認識、を繰
り返し強調し、それを細川支持を正当化する論拠として、また宇都宮を批判する
論拠(宇都宮の脱原発は総花的な政策の一つに過ぎない、等)としてもいる。
ならばどうして、原氏は都知事選と同時期に行われた山口県知事選や石川県知
事選については言及しないのであろうか?
両県知事選とも、それぞれ原発の新規建設・再稼働が直接の争点となった知事
選挙であった。しかも、原発政策に関与できる余地がほぼ皆無に近い東京都知事
とは異なり、山口県・石川県とも、知事の対応や許認可権限の行使・不行使が具
体的・現実的に原発の新設・再稼働に影響を与え得るのにも関わらず、である。
確かに両県知事選とも、全国的な関心は低かった。だが、原発問題を真剣にかつ
最優先に憂える原氏からすれば、このような重大な県知事選挙が全国的な関心を
呼ぶに至っていない、ということ自体が、到底看過できない重要問題であったハ
ズである。ところが、都知事選挙については内容はともかく分量・回数だけ見れ
ば熱心に言及する原氏が、両県知事選については言及しないのである。まったく
不可解としか言いようがない。
結局のところ、原氏の原発云々は口先だけ、自己正当化と他者批判の方便に過
ぎず、都知事選についてあれこれ言うのも、都知事選挙が脱原発にとって重要だ
からではなく単に世間から注目される選挙だから、小泉・細川という人気者が出
て来たから飛び付いただけ、目立つ舞台が用意されたから踊ってみたくなっただ
け、という受動的で傍観者的、身勝手でイイカゲンなものでしかない…………と、仮
に見なされたとしても、反論のしようがないのではなかろうか?
原氏の都知事選関連投稿には真面目さや責任感はまったく認め難い。選挙前に はただ自身の嗜好と願望を垂れ流し、選挙後には根拠も具体性も自己の発言との 整合性もない他者攻撃に精を出すことで出来もしない自己正当化を図ろうと醜態 を晒している(仮に他人が悪かったとしても、それで自分が正しいことにはなら ない、というのは、慰安婦問題に対する右翼の馬鹿げた主張と同様である)のが 原氏の都知事選関連投稿のあらましではなかろうか? 少なくとも、重大な虚偽を垂れ流した責任も取れない・取ろうとすらしない人 間が公で発言しても有害かつ周囲にも迷惑を撒き散らすだけであるのだから、金 輪際やめるべきだろう。