速攻のご返信有難うございました。
貴方の首長選へのお考えも読ませていただきました。そこで私の感想を述べます。
1)首長選において、日本共産党と他党との共闘は可能か?
全国すべてに該当しないでしょうけれど、京都府知事選では今後も無理です。過去36年間計10回の府知事選挙は、すべて共産党単独推薦でした(96年京都市長選では新社会党も共闘したが、京都では名前だけで実態はないに等しい党でした)。もちろん共産党京都府委員会も無策ではなく、水面下で他野党との共闘の可能性も探ってはきましたが、何れも不首尾に終りました。97年城陽市長選では、共産党が「保守票も見込める人材」として前商工会議所会頭を担出して、これに(保守中道現職市長おろしに失敗した)野中が相乗りして当選した例はありました。しかしこれも、「前職さえ追出せば、最早共産党の息のかかった市長などに用はない」と、2001年選挙では保守系対立候補を立てられて1期で終了しました。
2)共闘相手の党はあるか
直接のパートナーは民主党(の革新派)でしょうけれど、労働運動の現状を考慮すれば困難です。民間大単産のない京都では、労働運動の主流は教組と自治体労組です。かつては市長選・知事選で旧社会党系・共産党系がこうした官公労を中心に共闘してきました。しかし78年知事選以後は、共闘がなくなりました(75年以後の京都市長選も、保守が相乗りして無風選挙になった)。そしてこれに、連合と全労連の分裂が追打ちをかけました。40年近くたった現在では、現職の京都府共産党幹部で「旧社会党その他の党と共闘して選挙戦を闘った」経験のある幹部自体、ほぼ皆無です。むろん連合系自治労の中でも、「府職員リストラを公約に掲げる府知事を何で我々が応援するのか」と、民主党京都府本部の相乗りに批判の声はあります。しかし共闘には程遠いです。さらに連合系・全労連系共に、新規教員・地方公務員採用抑制に加え、当局の指導で組合加入しない若手が増え、結果的に「組合員の高齢化で退職者年金組合の如き様相を呈して」います。最早労働運動に活力なく、ここからの革新共闘は望み薄です。
3)広く無党派の支持を得られる候補者および争点づくり
いわゆる相乗り官僚候補に勝利した知事選例としては、千葉の堂本暁子氏・長野の田中康夫氏・滋賀の嘉田由紀子氏らが挙げられます。これらに共通していえるのは、女性アナウンサー・地元出身の有名作家・女性大学教授等「広く無党派票を集められる人材であった」点です。共産党主導では(党員シンパの学者の激減という現状では)こうした候補者獲得は困難であり、現に最近では2004年市長選の広原京都府立大元学長だけです。さらに政策面でも、「長野五輪への多額投資の結果としての県民生活の困難」「東海道新幹線滋賀県内新駅建設への多額の投資への懸念」等、県政の現状継続や今後への批判が県民の間に高まっていたことに対して、上手く政策を噛合わせた点も挙げられます。そして何よりは、「政党が前面に出ず政党主導でなかった」点でしょう。今回の京都府知事選では、現職知事は「無難に仕事をこなす可もなく不可もない典型的官僚」でした。広汎な府民にとっては、「現職知事を積極的に支持はしないが、目立って失政がある訳でもない。今更革新府政に戻っても混乱するだけ」というところだったのであり、これが最低投票率につながりました。争点とするなら、むしろ国政と結んだ「消費税増税」だったのでしょうけれど、(私が前回指摘したように)尾崎陣営はこれすら争点にできず、逆に地元新聞に争点づくりしてもらう体たらくでした。
4)以上より私の結論
過去のような、保革2元論的対立図式では「革新府政再建」は不可能です(80年代以後では、こうした図式で勝利したのは83年の奥田福岡県知事だけでしょう。しかもこれは、当時の亀井知事の長期政権下で腐敗が進行して県民の批判が高まっていた背景がありました。そしてこれさえ3期目には、保守の推薦を受入れた相乗りとなって福岡ドーム等大型公共投資路線に転換し、保守県政へバトンタッチしたのでした)。今後は、「政党・労組が前面に出ない(主導しない)」・「広く無党派層の獲得できる(政党色のない)候補者」・「府県民の要求にマッチした政策」の3点セットが鍵になると考えます。