Ⅰ 自由民権運動の顕彰
日本の民主主義の原点ともいえる自由民権運動。安倍政権が解釈改憲で憲法を骨抜きにしようとする現在。
5月4日の東京新聞「こちら特報部」は、発祥の高知で考える「自由民権運動」を二面にわたって詳細に検証している。抜粋引用する。
自由民権運動は、明治期前期に憲法制定や国会開設、言論集会の自由、地方自治の確立などを求めた民主主義運動である。当時高知を基盤とした運動家らは、民権思想を込めた歌や踊りを考案し、運動を広げる手段とした。
高知市立自由民権記念館の松岡館長は、「高知の自由民権運動家は歌や踊りだけでなく、使える手段は何でも使った」と解説する。新聞記者で民権運動家だった坂崎紫瀾は、政談演説の禁止を命じられると講釈師になり、若手記者等と講談会を開いた。
こうした取り組みもあって、自由民権運動は高知の民衆に深く根をおろしていった。
「大衆運動の基礎は、今で言う自主学習サークルだった」と松岡館長はみる。
板垣退助らが立ちあげた政治団体「立志社」などの演説内容を報じた新聞記事を教科書に、若者が自由民権思想をまなんだ。勉強の成果は「懇親会」で披露しあった。政談演説会は当局に監視されたが、酒食を出す懇親会は取り締まり対象外で、自由な討論が可能だった。高知市の人口が三万数千人だった時代に、大規模な懇親会には七万人が集まったというから、県全域での盛り上がりのほどがうかがえる。
松岡館長は、今、夜学会の復活を考えている。「大人の「しゃべり場」といったイメージ。社会をどうするのか、守るべきものは何かを、皆で一緒に考える会ができないかと思っている」。試みが軌道に乗れば、「現代の自由民権運動」として大きなうねりになるかもしれない。
自由民権記念館の常設展示室には、植木枝盛の書斎がある。植木枝盛は、1881年に憲法草案「東洋大日本国国憲案」を起草したが、以下の「民権かぞえ歌」も植木の作品である。
民権数え歌 *旧仮名遣い
一ツトセー 人の上には人ぞなき
権利にかはりがないからは コノ人ぢやもの
二ツトセー 二ツとはない我が命
すてしも自由のためならば コノいとやせぬ
三ツトセー 民権自由の世の中に
まだ目のさめない人がある コノあはれさよ
四ツトセー 世の開けゆくそのはやさ
親が子どもにおしえられ コノかなしさよ(*原文 子供)
五ツトセー 五つにわかれし五大洲
中にも亜細亜は半開化 コノかなしさよ
六ツトセー 昔おもへば亜米利加の
独立なしたるむしろ旗 コノいさましか
七ツトセー 何故お前がかしこくて
私等なんどは馬鹿である コノわかりやせぬ
八ツトセー 刃で人を殺すより
政事で殺すがにくらしい コノ罪ぢやぞえ
九ツトセー ここらでもう目をさまさねば
朝寝は其の身の為でない コノ起きさんせ
十トセー 虎の威をいる狐らは
しつぽの見えるかを知らないか コノ畜生め
Ⅱ バーチャル政党・民権自由党立ち上げとその構想
現在ある政党のなかでひとつとして満足いく政党はない。
あえてあげれば、次善の政党として日本共産党や緑の党をあげうる。
それでも、私たちが理想を託す政党はない。しかたあるまい。政治は、政治の世界の論理にしたがわざるを得ない。
政治主義は多かれ少なかれ浸透してくる。
民権自由党は、直接自由民権運動の嫡子でありたい。
自由民権運動の中から生まれた八日市憲法草案など数々の憲法草案には、
現在の政党が唱える憲法論議の水準を遙かに超えている。
民権自由党は、日本国憲法を基盤とする。
民権自由党は、非武装非同盟中立を柱とする。
当面は護憲の日本共産党や社民党、沖縄社会大衆党、緑の党、新社会党、生活クラブ生協地方政党、新党ひとりひとり、新党大地などとの提携を重視する。
民権自由党は、安倍自公政権を打倒の対象とする。
民権自由党は、民主党を厳しく批判する対象とみる。
民権自由党は、日本維新の会を批判する。
民権自由党は、みんなの党も結いの党も批判する。
民権自由党は、新党改革を批判する。
民権自由党は保守主義者細川護煕・野中広務・加藤紘一・河野洋平・河野太郎・古賀誠などを連携の対象とする。
民権自由党は、小沢一郎・小泉純一郎の金権政治や新自由主義の過去の政治様式を厳しく批判するとともに、
安倍自公政権打倒のためには連携の対象とする。
民権自由党は、すべての諸外国と等距離外交を結ぶ。
民権自由党は、日米安保条約を廃棄して日米友好条約締結を提案する。
民権自由党は、朝鮮民主主義人民共和国、大韓民国と平和友好条約を締結するとともに、朝鮮民主主義人民共和国の国内政治における人民抑圧を批判する。
民権自由党は、いずれの超大国の手下とはならず、ロシア、アメリカの大国主義を批判する。
民権自由党は、国内において基本的人権を尊重し、生きる権利と労働の権利を保障する国内政治の推進を支持する。
民権自由党は、日本国憲法を基盤とした民主主義国内法律を支持する。
当面する福島県知事選挙と沖縄県知事選挙、来年の統一地方選挙では、安倍自公政権支持候補に対して闘う候補を支持する。
反安倍自公政権支持候補が分裂したら、共闘の一切の取り組みを支持して支援する。
沖縄県知事選挙では、糸数慶子参院議員や元大田県知事をシンボルとして、社会大衆党、社会民主党、日本共産党をはじめ一切の護憲反基地勢力の結集を支持する。
福島県知事選挙では、細川・小泉陣営と民主勢力の共闘を第一とする。
もしも細川陣営に共闘の意思がない場合には、民主勢力と護憲勢力、保守的良識派の結集をはかり、日本共産党勢力の孤立を阻止して、連帯と共闘のさまざまな可能性を支持する。
民権自由党は、大正期に創立した日本共産党をルーツとする科学的社会主義政党ではなく、明治期の自由民権運動のすぐれた憲法草案を生み出した民衆の意思を尊重する民主主義政党であり、理想の政治を実現するためのさまざまな提案を社会的責任をもって提案する。
民権自由党は当面フェィスブックhttps://www.facebook.com/minkenziyuuと一般掲示板http://www2.ezbbs.net/03/sa104927/を使用して、自由と民主主義の社会的主張をおこなう。
民権自由党は、自らの政治勢力の拡大が目的でなく、すべての護憲反原発平和勢力を支援するためのインターネット・バーチャル政党である。
Ⅲ なぜ「民権自由党」をあえて立ち上げたのか
日本の進歩と革命の伝統を体現して、日本共産党が創立された。
しかし、明治期の自由民権運動は、大逆事件という冤罪とでっち上げで、冬の時代を迎えます。以後、労働運動がおきて日本共産党が創立されるまで、断絶があります。また、創立されてからも、戦前の共産党を治安当局は政治事件としてでなく、意図的に思想犯罪として扱います。そのために、日本共産党がより困難な闘争を強いられます。
私は、「国民的共同をめざして」で統一戦線を思想の課題としてとらえつつ、現実的な政治に関わるようなとらえかたで、取り組んできました。
しかし、日本共産党と他の無産政党、広範な統一戦線結成との 間に溝があるのを東京都知事選挙を契機に感じざるを得ませんでした。
そして、自由民権運動が支配階級の弾圧で鎮圧されたことが、日本の政治運動にある種の歪みを与えていることに気がつきました。
戦後民主化は、憲法によって促進されたのですが、現在の改憲策動が出てくる背景に、日本における民主主義革命の挫折を感じました。自由民権運動が十分な形で発展して議会制民主主義がフランスやイギリスのように発達していたなら、戦後の日本ももっと変わったコースを歩んだことでしょう。
そのことが、平成時代における自由民権運動の展開を構想させた理由です。あくまでバーチャルですから、もしも自由民権運動ならばどんな政策を提起しただろうかということは、 いろいろな可能性や選択肢をもちます。その中で、科学的社会主義政党としての日本共産党が、自由民権運動の継承を現実に獲得したなら、どのような展開を見せるだろうか。
そこに「バーチャル政党・民権自由党」の真意があります。このことをどう把握し解釈するかは、民衆であり市民であり住民である皆さんのうけとめかたの自由です。