第1部の講演【国民の目・耳・口をふさぐ秘密保護法~その内容と狙い】は、時宜を得たテーマと聴衆にわかりやすく用意された講演の構成と資料をもとにした有益な講演だった。講演者の清水雅彦氏は日体大で憲法学を教える新進気鋭の教授である。コンサートの事前に自らもインターネット上でコンサートの宣伝をおこなったり、コンサートの翌日にはその詳細をわかりやすく伝えるなど、コンサート成功の重要な一角を担った。現代、期待される40代後半の新進気鋭の学者である。
以下の著作を参考文献として掲げ紹介なされた。
●清水雅彦ほか共著『秘密保護法は何をねらうか』(高文研2013年)●清水雅彦著『憲法を変えて「戦争のボタン」を押しますか?』(高文研2013年)
以下に清水雅彦氏の講演を私なりにまとめた。
【はじめに】
澤地久枝さんの『密約』(1978年映画化北村和夫・吉行和子主演)や山崎豊子さん原作の『運命の人』(2012年TBSテレビドラマ)は、国家が秘密として設定したことで、それを報道しようとしたジャーナリストにいかに熾烈な権力的弾圧が待ち構えているか、それは国民にとってどのような否定的影響を及ぼすかを虚構のかたちで形象化していた。1980年代の中曽根康弘政権下で進められていた国家法案秘密案に対して、清水氏は自らが大学生として明治大学雄弁会の一員として反対運動に参加した。
Ⅰ 国家秘密保護法制の展開と内容
1 国家秘密保護法制の展開
戦前にこの法制は、刑法85条の間諜罪、1937年の軍機保護法、1941年の国防保安法によって、組織は大本営の報道統制、隣組の相互監視、特高の「非国民」とみなされた者たちへの仮借ない取締によって進められた。報道統制は、戦争に相次いで敗北し続けているのに、「勝った、勝った!!」と国をあげての報道のシステムに乗せられた国民コントロールである。現在に通ずる教訓である。
戦後は防衛庁1963年の三矢作戦研究、1977年の有事法制研究開始あたりからきなくさくなっていく。1978年の日米ガイドラインの締結からは、アメリカ製武器購入や共同演習などの情報の保全責任を問われるようになる。1979年に日米共同作戦研究が開始される。この年にはスパイ防止法制定促進国民会議が結成されている。以後、国際勝共連合による出版・集会・地方議会におけるスパイ防止法推進決議運動などが展開されていく。
1983年には、対米武器技術供与が決定され、武器輸出禁止三原則の形骸化が始まっていく。1985年には国家秘密法案が提起される。第Ⅰ次案(1980年)、第2次案(1982年)、第3次案(1984年)と相次いで提案される。「国家秘密に係るスパイ行為等の防止に関する法律案」が自民党の議員立法として国会に提出されるが、1985年12月に廃案となる。
1986年には防衛秘密法案(「防衛秘密に係るスパイ行為等の防止に関する法律案」)が1985年法案の修正案として自民党が決定するが、国会提出はできなかった。1987年には、防衛秘密法案(「防衛秘密を外国に通報する行為等の防止に関する法律案」)や日米安保事務レベル協議としてインターオペラビリティに関する研究(作戦・情報通信・後方支援・装備面での相互運用性確保のための研究)が進められていった。
1990年以降は、日米共同軍事活動へと拡大していく。1991年の湾岸戦争、1997年の新ガイドライン、1999年の周辺事態法、2001年のアフガン戦争、2003年のイラク戦争がそれらである。2000年のアーミテージ報告は、機密情報を保護する法律の立法化を要請している。2001年には自衛隊法改正がおこなわれ、防衛機密規定が挿入される(96条の2、122条。2003年、2004年をまたいで有事法制の制定がなされる。2005年には、日米安全保障協議委員会(2+2)が共有された秘密情報を保護するために必要な追加的措置要請をおこなった。
2 国家秘密保護法制の種類と内容
従来の秘密保護法制では、次のようになされていた。
公務員法では、国家公務員法の守秘義務が100条、109条(1年以下の懲役)、111条(そそのかし・幇助)で定められていた。地方公務員法は守秘義務を、34条、60条(1年以下の懲役)、62条(そそのかし・幇助)で定めていた。
刑法では、外患誘致罪(81条・死刑)、外患援助罪(82条・死刑または無期もしくは2年以上の懲役)、外患誘致及び外患援助の未遂罪(87条)、同予備・陰謀罪(88条・1年以上10年以下の懲役)。
軍事法として、自衛隊法の守秘義務(59条、118条・1年以下の懲役、教唆・幇助)。
1980年代の展開に伴い、「スパイ防止法案」なのか「国家秘密法案」なのか、「国家機密法案」なのかが問われた。1985年で「機密」が4万4043件、「極秘」が5万1947件、「秘密」が130万3587件。法案内容や実態から検討すると、「国家機密法案」ではなく、「国家秘密法案」が実態に即している。
9.11事件のどさくさにまぎれて、2001年の自衛隊法改正で広範な防衛秘密の定義がなされ、あいまいで危険な改訂となった。
2007年の秘密軍事情報の保護のために、日米政府の協定GSOMIA(Gソミア)が結ばれ、秘密保護法への動機となった。
Ⅱ 今回の秘密保護法(秘密保全法案)
秘密保護法施行にむけての政府の企図は、1960年代から何度も何度も企まれてきた。
1 「秘密保全のための法制の在り方に関する有識者会議」報告書(2011年8月) この有識者会議は、五人の委員(懸公一郎・櫻井敬子・長谷部恭男・藤原靜雄・安富潔ら諸氏)と事務局の内閣情報調査室のほかに、警察庁、公安調査庁、外務省、海上保安庁、防衛省、法務省も出席して2011年1月から6月まで全6回開催された。
2 秘密保護法の検討 口実は、尖閣諸島沖中国漁船衝突事件の際のビデオ映像流出がきっかけだった。元海上保安官は起訴猶予となった。この秘密保護法は、「戦争をする国」へ、「警察国家」へ、「新夜警国家」へが究極のねらいである。警察と軍隊とを融合化させていくことが目当てである。9.11事件以降テロ対策として警備公安部門の活性化が進んでいく。従来からの日米支配層の要求として、秘密保護体制の強化が叫ばれていた。軍事と治安の融合化で、軍隊が警察化し、警察が軍隊化する目論見があった。「国家の安全」を守るために自衛隊と警察の地位向上が目指されていた。
しかし、この秘密保護法には、あまりに問題点が多い。
①立法事実論
②秘密の拡大
③対象の拡大
④罰則の強化
⑤国民の権利の侵害
⑥三権分立の肥大化する行政の権限
⑦民主主義と国民主権への製薬
Ⅲ 自民党のゴールと考える明文改憲(「日本国憲法改正草案」)の検討
1 平和主義の否定
日本国憲法前文は、「~する平和主義」として構造的暴力を否定している。憲法第9条は、「~しない平和主義」として物理的暴力としての戦争を否定している。それらの積極的平和主義の放棄は、国連人権理事会における「平和への権利」宣言に対する日本政府の対応とも呼応している重要な問題である。
2 国家主義
まず憲法前文第1段の主語から異なる。日本国憲法では、「日本国国民は」から始まる。自民党の改憲案では、「日本国は」へと変わっている。ここに国民主権ではなく、国家主義の重要な問題点が浮き彫りとなる。自民党草案は、1条に天皇元首化を定めようとしている。
自民党改憲案は、「国家の安全」を掲げ、国家安全保障会議、国家安全保障戦略、国家安全保障基本法などでも貫こうと考えている。
3 人権規定
自民党は、人権保障原理の変更を企図している。「公共の福祉」概念をなげすて改悪し、「公共及び公の秩序」を掲げている。相互に人権と人権が対立した時にそれを調整する原理として、「公共の福祉」の視点がすでに明示されていたものを、自民党2005年要綱は、「国家の安全と社会秩序」を唱えている。
【結びにかえて~方向性】
①安倍政権が秘密保護法を強引に制定したのか?3年間国政選挙がなく、臨時国会で制定しないと制定が困難になるという読みがあった。
②なぜ制定を阻止できなかったのか,?マスメディアの報道の遅さや足並みの乱れによって、反対運動の不十分さがあった。
③今後どうすればよいのか?秘密保護法を廃止、施行反対、適用阻止、チェック体制を確立。秘密保護法や解釈改憲に対して、あきらめずに意思表示し続けること、安倍政権を倒閣する。
④運動論について・・・政治は国会内の力関係以外にも、国民の運動や世論が大きく左右する。法が制定されてからも、反対運動を続けることが大切である。