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横井久美子、笠木透ジョイントコンサートで戦時的状況を撃つ

2014/7/12 櫻井智志

 最近東京新聞が、官邸前抗議活動に持続して参加してはひとりでギター一本で歌い続けるようすを伝えた。その記事でコンサートのことを知った。すぐ電話してコンサートチケットを購入してから、心待ちにしていた。

 七月十一日、国分寺市立いずみホールは、事前に予約券は完売で、会場もすべて埋まった。笠木さんは、中津川労音の事務局長として伝説の中津川フォークジャンボリー3年間の主宰者だった。ベトナムがアメリカを破り、世界史的勝利をとげた1972年4月でベトナム戦争は終わった。学生達の大学闘争は、東大安田講堂に籠城した学生達を強制排除し、浅間山荘に管理人を人質ととり閉じこもった連合赤軍が機動隊によって排除され、仲間同士の悲惨な殺人事件が世間を驚かせた。一気に「政治闘争の冬の時代」へと入って行った。フォークソングが商業主義によって変質し、人々はフォーク歌謡を好んだ。
 しすし、笠木透は故郷の中津川でフィールドフォークを始めて、我夢土下座を率いて自分たちで歌をつくり歌い川で遊び火をおこしキャンプに集った。高石ともやとナターシャーセブン、宇崎竜童、もんたよしのり、横井久美子などフォークの心を大切にする人々が集まった。
 笠木透は、「フォークス」を結成して、本格的なコンサート活動をはじめた。北山修、安達元彦・岡田京子夫妻、高石ともやらがステージで笠木をもり立てた。
 横井久美子は、全国津々浦々をコンサートし続ける一方、音楽の幅を広げて、一般のレコード店で扱うような人々の情感に訴える恋愛の歌などもこなした。アイルランドに何度も留学してその成果は横井久美子の名前を国際的に知らしめた。東欧のフォークソングを集めてコンサートを草月ホールで開き筑紫哲也さんがゲストで参加したこともあった。  笠木も横井も全国の民衆に歌を伝え続けた。
当日、横井は
①平和に生きる権利②「Love me tender~原発なんていらない」(忌野清志郎の「なにいってんだあ」に匹敵する替え歌)③戦争入門④聖なる父は何というだろう④アジンボナンガ⑤私の愛した街
を歌った。
笠木は二人の雑花塾メンバーといっしょに
①スミレの花②われここにあり③ゲンパツストライキ節④水に流すなアンサー⑤福島の海よ
を熱唱した。
 二人の歌のあいまのMCは、時代をみつめ、日本の政治のひどさを憂い、それでも楽観的な広い心を堅持していた。会場は拍手や手拍子、シングアウトなど活発に応じた。
横井、笠木の二人が
①我が大地の歌②私の子ども達へ③私に人生といえるものがあるなら④おいで一緒に をジョイントした。

 横井さんはこう語った。
「私は極端な言い方でいうが、いまが戦時中と感じる。広島に原爆が投下された時多くのひとはそんなことがなかったと想う人々が多数いた。長崎に核投下されたときも。福島で原発事故が起きても、知らないことのほうが多い。知らされていないことが多い。私たちが、何気ない毎日の現在に何が起きているかを知らされないまま、戦争準備なんて全く気がつかぬまま過ぎていく。」
 笠木さんもこう語った。
「日本には水に流すことがよいとする風潮がある。しかし福島の原発事故で、東電や政府はいまも汚染水を海に流し続けている。海は世界中につながっている。水に流してはならない。福島のひとや世界中のひとたちにすくないと恥じなければ。」と。

 音楽は政治的プロパガンダにしてはならない。少なくとも横井さんと笠木さんは、歌の力そのもので聴衆を感動で包んでくれた。
芸術が政治を訴えた時、それは感動的なメッセージとして伝わる。しかし、音楽そのもののひとの心の琴線に触れる厳しいアピールのみが、政治そのものへの志向を変革していく。
 横井さんをはじめて聴いたのは、国立市の駅近くの薬局の三階を集会所としたホールで開かれ続けた「おいで一緒にinくにたち」ライブだった。初回から感動した私は、その後も聞きにいった。そこでシングアウトを覚えた「わが大地の歌」の作詞者が笠木透さんと知り、フォークスを結成した頃に何回かコンサートを聴きに行った。横井さんのコンサートも草月ホールやかつてのよみうりホールなどに通った。その後、仕事に追われて聞きにいく余裕がなかったが、久しぶりのコンサート視聴だった。30年近く見ることもなかった横井さんは、驚くほど輝いていた。「嫗(おうな)ざかり」という言葉をパンフで使われていたが、まさにひとはどうしいう生き方をすればこのように美しく輝くことができる のかと想った。つくられたタレントとは異質なことば、身のこなし、語り口に、現代に戦争を阻止してひととひとの温もりを取り戻そうとする音楽家としての姿勢が感じられた。
 笠木透さんは、関西の重鎮うたごえ運動フォークソング運動のすずききよしさんにも似ていた。筋肉がおちてしまって・・・と明るく語る笠木さんはここ数日の台風の激しさのなか、岐阜から東京までつらい痛みの中を駆けつけてコンサートに臨んだ。ステッキをもちながら、歌いながらも痛みをこらえて歌い続けた。笠木さんの歌を最もよく伝えているのが横井さんだ。二人のジョイントは、はじめてのコンサートであるが、素晴らしいコンサートだった。
 いま護憲平和の運動は、厳しい情勢のもとでも戦い続ける人々のおかげで、脈々と続いている。その運動を、音楽そのものがもつ感動的な表現力で伝えてくれる笠木透、横井久美子に感謝し、二人の今後のご多幸を願う。