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軍国少年不破哲三氏のアナクロ

2014/10/7 アクション仮面

 先ごろ行われた理論活動家会議で不破氏は驚くべき理論をぶち上げた。「資本主義的経営の外皮を剥ぐと指揮者と全体労働者が現われる」という主張がそれである。
 話の前後を見ると、不破氏にとって、どうやらこれは人類史に普遍の原則らしい(そういえば彼は「丸ごと奴隷制」とか、意図不明な概念をひねり出していたもんなぁ)。しかし、指揮者の音頭に合わせて100万人の労働者が一斉にハンマーを振り下ろすとは、まさにプロレトクリットの理想像そのものである。しかもなお、ボグダーノフよりたちが悪いのはこの100万人は「下働きからパート、派遣」を含んでいるということ、要するに現在の格差社会をそのまま是認しているところにある。彼の言動を振り返ってみればいずれ分かることであろうが、不破氏の言説は「競争」と「訓練」しか内容のあるものが出てこないボキャ貧であった。そして、よくよく考えてみればこれは現在のブルジョアジーですら手に入れていない強権と越権の体系である。
 全体労働者の概念は抽象的労働という、あるいは“労働者は自分の労働を買い戻すことができない”という疎外論を理解する高度に抽象的な思考を必要とする。不破氏は弁証法とは「ありのままに物事を見ること」と公言してはばからないから、あまりに粗野で抽象的思考とは無縁である。「下働きに戻りたくない」から一生懸命働くという「恐怖」。これこそが全であり一であり、不破氏の心境を端的に反映している。実に罪作りなのは、こういうラインで『資本論』を読んでくれ と研究者に強要していることだ。故宮本顕治氏は「何やってんだか」とインテリを冷笑することはあっても、ああしろこうしろとは言わない節度をまだ持っていた。
 昨年の古典教室で不破氏はエンゲルスは失敗したとぶち上げた。不破氏が確信犯だと私が思うにいたり、実に周到で狡猾なのは『反デューリング論』の末尾をなかったことにしたいがために(つまり、一般党員に読むに値しない本と思わせたいがために)、エンゲルスの恐慌論は失敗だと迂回コースをとっていることである。これによって、資本主義の無政府性(例えば、新幹線を敷くことによって黒字ローカル線をも廃止される、など)について理解する視座を共産党は失ったのだから、理論的損害は甚大だと言える。しかし、『反デューリング論』が科学的社会主義の創設者たちの共著であることは知る人ぞ知る。科学的社会主義の創始者たちが『反デューリング論』で高らかに謳ったのは“現在の分業は永久に続かず、未来社会では別の分業が実現される”ということであった。科学的社会主義の創始者たちが(そしてヘーゲルでさえも)、資本主義的分業の解体を唱えたのは伊達ではないのである。そのことを不破氏はお分かりにならないらしい。
 共産党が私的所有時代の「あらゆる価値あるものを引き継ぐ」という時、現在の社会制度を固定したいという意味・願望ではないかとさえ訝しく思うほどである。