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不破哲三氏は資本論だけを読む

2014/10/7 アクション仮面

 不破氏の『資本論はどのように形成されたか』には我が目を疑うような記述がふたつ出てくる。ひとつは「利潤率の低下法則なんか気にするな」という号令であり、もうひとつは「貨幣価値をどう測るかなんてどうでも良い」という主張なのだから共産党の理論的荒廃もここに極まりという感がある。
 2006年の中国の学術講演後の緒方・筆坂両氏の座談会で不破氏が民間との「競争に負けない(!)協同組合部門をつくるのは長い時間がかかる」と発言していることは、「利潤率低下に負けるな」という号令との関連を考えると非常に興味深い(もっとも、かつては共産党は発達した先進国では早くに社会主義に移行すると言っていたのだが……2014年9月11日付の理論活動教室で不破氏は 「利潤率低下」を「不変資本の増大」とわざわざ言い換えているところを見ると、よほど「利潤率」がお嫌いらしい)。実は、2006年の座談会自体、旧態依然の開発美化から多くの問題を孕んでいるのだが、この考察は他日を期したい。
 共産党の「市場経済を通じて社会主義へという道」は貨幣価値をどう測るかという諸々の国際論争を踏まえたものと理解していたのだが、どうやらそうでもないうえに、社会保障運動にダメージを与えてまで困難を先送りしたいのかとさえ訝しんでしまう。貨幣価値をどう測るかという論争問題は、不破氏の考えるように一部極左の思いつきのようなものでは、けしてない。不破氏はケンブリッジ資本論争をご存知でないらしいが、国際的な社会保障運動の中で営々と積みあげ られてきた理論的な達成であり、生活保護CPIをいかに批判し切るかは喫緊の課題である。戦後社会保障運動は、この問題を「爆心地」に動いて来たといっても過言ではなく、不破氏の勝手な思い込み(講座派をゴミ箱行きにするなど彼はそれが多すぎる)によって被った理論的損失は計り知れない。また、これは不破氏の独自に奇形化したの未来社会論とリンクしているのであるが、ここで注意しておきたいのは、未来社会論で不破氏は国際的な定説と闘っているのではない。『ゴーダ綱領批判』をなかったものにしたいのである。遅まきながら望月清司氏からパクられた自由時間論の核心は、『資本論』だけ読んどきゃいい論である。しかし、能力労働能力分配から能力労働必要分配への発展の原則を捨て去ること で未来社会を渇望する障害者運動の陣地を失った。志位氏は「腹いっぱい食べるだけの未来なんてちょっと貧しいんじゃないかと思っていた」と的外れな相槌を打っていたが、『ゴーダ綱領批判』前段を会社再建闘争のイデオロギーとして高めようとする意志など、ゆめゆめ想像もつかないものらしい。
 「資本論は分かりにくい。分からなくて当然なんです。私も分からなかった。」と絶叫するのは(大将として恥かしいが)不破氏の勝手である。しかし、資本論だけ読んでりゃいいんだよと強いることは「どうせ読んでも分からないだろう」という一般党員に対するあなどりを含んでいないだろうか?