きょう私は、退職の年に受け持った職場の学習公開発表会を見にいった。その子どもたちの中に、3.11で福島県から避難し、神奈川にやってきた子どもがいた。素直で前向きな女の子は、私が受け持った時から三年が過ぎつつあった。今の担任が紹介してくれて、受付に居たその子は私の顔を見ると、うれしそうな顔がみるみる涙があふれ泣き顔になった。ほっとして福島から神奈川に移り、クラスの中でつらさを忘れてなじんでいった。お別れする離退任式でずっと泣いていた子どもと再会できてうれしかった。
全国へ福島から避難している子どものたちの尊厳は、十分に保障されているか。解体された共同性は回復されているか。何よりも子ども達の放射能被曝はきちんと把握してそれに丁寧な対応がされているか。
峠三吉は、原爆詩集でうたった。
ちちをかえせ
ははをかえせ
わたしをかえせ
わたしにつらなるすべてをかえせ
この叫びから歴史的にはわずかしか経たないのに、原水爆兵器ではないが、原発で被害を受けて、福島県内から避難した子どもたちのこころにどれほどつらい想いが積み重なっていることか。
安倍晋三をはじめ政府閣僚のしらじらしいうわべだけの言葉だけで、突っ走って原発再稼働することが、総選挙で自公圧勝で認可されようとしている。人間ではない。人間の仮面をかぶったドラキュラたちではあるまいか。
マスコミは権力におもねってふたたび戦時報道体制をとりはじめつつある。
そんななかで以下の東京新聞社説は、そうではない報道機関もあるのだと知らせてくれる。
私は福島から避難してきたあの子どもに恥ずかしくないような投票行動をとろう。そう決意しながら、スタディフェスティバルの会場である小学校を後にした。
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東京新聞【社説】
原発政策 命と未来を守るには
2014年12月6日
原発政策が明確な争点として浮上した。反対か、推進かというだけではない。3・11の痛恨を経た私たちが、どんな未来を選ぶかが問われている。
思い出していただきたい。
二〇一二年十二月の衆院選で、原発政策は争点になっていない。なりえなかったというべきか。
福島第一原発事故の翌年、日本中どこへ行っても、まだ恐怖は鮮明だった。
その年の夏に政府が実施した討論型世論調査では、三〇年時点の原発比率について、半数近くがゼロと答えていた。
◆自民党の変化を受けて
このような世情を背景に、すべての主要な政党が、速やかに原発ゼロをめざすか、原発に依存しない社会づくりを掲げて臨んだ総選挙だったのだ。
昨年七月の参院選の真っ最中に、福島の事故を踏まえた新たな規制基準が施行になった。すると自民党の公約が変化した。
「国が責任を持って、安全と判断された原発稼働については、地元自治体の理解が得られるよう最大限の努力をいたします」と脱・脱原発依存の姿勢を打ち出した。
そして今回の衆院選。主要政党の原発政策は、おおむね次のように分けられる。
自民党は、ことし四月に公表した国の新たなエネルギー基本計画を踏襲し、規制委が安全性を認めた原発は、速やかに再稼働するという。原子力技術は維持すべきだとする次世代の党は、自民党に近い立ち位置だ。
民主党、維新の党、そして公明党も、将来的には原発ゼロ、脱原発依存を掲げている。
民主党は「三〇年代原発ゼロ」、維新の党は「既設の原発はフェードアウト(消失)」、政権与党の公明党は「四十年運転制限を厳格に適用する」という。 共産党、生活の党、社民党、そして新党改革は、再稼働そのものに反対の立場をとる。
いずれにしても、3・11後初めて、原発が争点になった衆院選と言っていい。
◆福島を忘れたように
やがて三年九カ月、福島はほとんど変わっていない。十二万人もの避難者がいまだ故郷に帰れない。選挙が終われば、避難先で四度目の新年を迎えることになる。
原発の敷地内では、流れ出る汚染水さえ止められない。溶け落ちた核燃料のありかも定かでない。
使用済み核燃料の処分場選定は、公募開始から十二年を経た今も白紙と言っていい。
昨年九月、関西電力大飯原発4号機が定期点検のために停止して以来、原発ゼロの状態が続いてきた。この夏の電力需要期は原発なしで乗り切った。
ところが政府と電力会社は、福島の事故など忘れてしまったかのように、再稼働を急いでいる。
原発さえ稼働できれば、電力会社は火力発電に使う石油やガスを海外から買わずに済んで、楽に利益を上げられる。これ以上、電気代の値上げもしないで済むという。安全を追求すればするほど、莫大(ばくだい)な費用がかさみ、料金に上乗せされるはずなのに。
原子力規制委員会は、九州電力川内原発1、2号機が、福島の事故後新たに定めた規制基準に「適合」すると初めて判断した。
規制委の田中俊一委員長は「安全だとは言わない」と繰り返す。しかし、国や地元自治体は「安全は確認された」と、それこそ速やかに、再稼働に同意した。
再稼働の責任はどこにあるのか。国なのか。県か市か。それとも規制委か。あいまいなまま、ひた走る。
原発廃止、削減を求める声が九割を超える最近の世論調査もある。なのに政府は先の討論型世論調査のあと、国民の意見を直接聞いていない。
川内原発の近くには、巨大噴火の痕跡であるカルデラが五カ所ある。日本火山学会は「巨大噴火は予知できない」と、安全性に疑問を投げかける。
3・11後、原発から三十キロ圏内の自治体には、万一の事故に備えた避難計画の策定が義務付けられた。住民をどこへ、どうやって逃がすのか。お年寄りや病気の人はどうするか。自治体の担当者は途方に暮れている。
◆子孫に何を残せるか
経済性最優先、命や安全安心は二の次のようにも見える再稼働への道順は、本当に正しいといえるのか。
脱原発か、推進か。再稼働を是とするか、非とするか。二者択一にはとどまらない。
福島の尊い教訓を礎に、子どもたちに何を残せるか。どんな未来を残すのか。政党や候補者だけでなく、私たち自身の今が問われる選挙なのである。
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