>民青は84年に名目で21万の最高の峰を誇ったが(実数はWikipediaの記述が正しいと思いますが、民青大会発 表の名目数の話です)、
加入してすぐに辞めた、「8条同盟員」による水膨れ!
数の増加を至上命題にする、上級からの圧力で「脱退」届が認められなかった
この時代の民青委員長が、今月号の月間学習に写真入ででてる大幡基夫。元国会議員だから公人!実名批判も甘受すべし。
8条同盟員の(「未連絡同盟員」なる珍語が創作されていた)対応圧力で、本来の活動ができなかった。結局、嫌がる人間を無理やり集会に連れていくように働かされる営業マンだったと振り返って思う。
しかも、下のしりをたたく中央・都道府県専従は講釈をたれるだけ。
中級同盟学校では窓を指差して「青年いるじゃないですか」と、飛び込み営業のごとき「拡大」を、要求!「お前がやってみろといいたかったが若くて勇気がなかった」
党レベルでは、それでも、党組織では80年代半ばまでは、「古典(共産党宣言・帝国主義論等)を読んでいるか」「党派性が高いか」が吟味された上で、入党の働きかけがあったが、80年代末期からはとにかく数の追求!
12条党員のフォローで本来の活動に支障が出ていた。
昔のことだと割り切れないのは、誤った方針を命令・指導した人間が、今も反省せずに責任ある立場にすわり続けて若者たちを欺き都合のいい「党史」教育で尻を叩いているから。!
「ろくすけくん」投稿に謝申し上げます。