一 川上徹と山本義隆のこと
先日、山本義隆『私の1960年代』(金曜日、2015年)を読みました。1960年代に大学生であった人、また全共闘・学園民主化の世代の人には、様々思い出深く読まれていると思います。私は、1980年代前半の大学生なので、実体験がないだけに、当事者の書いたもの(例えば川上徹『素描・1960年代』)などを読むと、今さらながら、知らないことが多かったことに気づかされます。「もし、知っていたならば、また別の行動もありえたのではないか」と思う次第です。山本義隆も また、川上さんと同様に、伝説的な人物です。山本さんが、自身の現在に至るまでの過去について講演され、それを詳細に活字化したものなので、読もうと思っていました。
二 政治的定型性と運動的躍動性
川上さんの本を読んだときにも感じたのですが、やはり現代は、政治路線の静態的定型性と若者(だけでなく中年層)の社会的エネルギーの動態的躍動性の時代であると思います。シールズや「ママの会」などの活動ぶりが、赤旗や新婦人しんぶんなどで報道されています。それは事実報道ですが、やはり共産党の方針が中心にあって、そのもとに無党派だった人々が結集しているという感じの報道になっています。なんとか、自分の政治路線の定型性の枠内に収まっていほしいという願望が見え隠れしますが、社会的なエネルギーは、過程的で動態的なので、定型化はそぐわないものです。つかまえようとすると、逃げていく。それが社会的エネルギーです。川上さんは、既成の政治方針の定型性よりも未知数を孕んだ政治運動の躍動性を選びました。そして、対立し、排除されました。山本さんもまた、アカデミズムの定型性の枠内で研究することの欺瞞性に耐えられず、そこから出て行きました。当時の二人は対立関係にあったわけですが、同時代を生きた同世代として心が通い合っていたのではないかと思います。
三 若者を見る政治の目
通勤で利用する駅前に、朝早くから共産党の活動家の宣伝部隊がいます。給付型奨学金3万円を70万の学生に、向こう10年で学費額を半分にします。そのような政策を連呼しています。「バナナのたたき売り」とはいいません。大学政策は、若者政策の重要な要素であり、日本の科学振興を担う研究者の養成政策でもあるからです。その全体のなかに、給付型奨学金政策と学費政策が位置づけられれば、その政策は多くの国民の心をとらえるに違いありません。しかし、それを考えつくした上での政策なのでしょうか。それとも、参院選対策としての「バナナのたたき売り」なのでしょうか。政治運動の躍動性に期待している若者は、この給付型奨学金政策をどのように見るでしょうか。また、この政策は政治的躍動性をいかに踏まえたもの なのでしょうか。