市民さん、このたびは有り難うございます。私のお尋ねに関心を持っていて下さったことがうれしいです。とはいえ、内容はしめっぽい話になります。そうですか。川端治氏の本名が山川暁夫氏で、その後労働者社会主義同盟(人民新報)議長をつとめて奮闘されていたんですね。例の事件の時、確か上田耕一郎が査問官となり、渦中の当事者にさせられていたことまでしか知りません。この時の様子を氏が明らかにしているのであれば知りたい。お手数ですが市民さんご存じであれば、他の方で存知の方おられましたら教えて下さい。
氏との交遊もないままに経過してしまいましたが、氏があの頃、「人民的議会主義」という名目でもって大衆闘争を軽視していく『党中央』の運動方針に対する批判的見地に立っていたことは確かです。沖縄返還後は沖縄の現実が本土の状況になると警鐘していた氏の弁の背景には、その論の客観性とは別に、左翼的闘争の本流を維持し続けようとした氏の面目があったものと私は了解しています。概ね氏の指摘が正しかったことはその後の史実が明らかにしており、現在ではリーダーシップどころか、ろくにコミュニケーション出来ない党員の無惨な姿を知らされております。票一票に集約させる運動よりも、デモの一つ、争議の一つでも組織しつつ意識を左派的に形成していくことの必要は、今日でも追求されねばならない価値をたたえていると思われます。なぜなら、人はそういう切磋琢磨の過程を通じて弁証法的に成長していくものだから。
だいたい選挙が終わればポカンとしかしえない、あるいはまたこじつけ論理で勝利したなぞという総括をして恥じない党運動なぞというのは、私には議会至上主義の極みとして到底受け入れ難い。いつのまにか飯を食える側の上品な運動に取り憑かれてしまったなぁという思いを深めています。大阪府知事選では、中央の意向に反して独自の候補を擁立して共に闘った自民党府連の活力こそ注目されねばならない、と思う。この浪花節の中にこそ政治が生きているという気がする。こういう敵失選挙でも勝てない現実を思えば、何で負けた気がしないなぞという弁が生まれるのだろう。その背景に、かっての革新黒田府政の無力が原因となっていると考えるのは自然なことではないのか。一体、仮に勝利したとしても、革新地方自治体になれば何が出来、何が出来ないのか一つでも総括しえているのだろうか。その後の革新地方自治体のいい加減さの例証には事欠かない現実があった筈である。今後はこうするんだとかいうものが一つでも大衆的に教訓化されているのだろうか。繰り返すが、ダラダラと運動をなしえるのは、飯が食える側の人がやることである。労働者大衆はやるならやる、いい加減なことには近寄れないというのが実際のところなのではないだろうか。
氏の古風にしてかつ愛嬌のある風貌を今でも覚えています。極最近亡くなられたとのことですが、恐らく80歳を越しているか前後の年齢の筈であり、一応一生を全うしえたことになるかと思われます。改めて氏の一生に対して深く哀悼したいと思います。それにしても、現下党運動はどうして氏のような赤心の者を取り込めないのだろう。合掌
最近無沙汰していますので、一言コメントしようと思います。東京都石原知事の右派系からの革新政策が喝采されていますが、確かに無策よりは良いと思われる。ただし、私なら左派的にこちら側から革新させていきたい。そもそも銀行のぶんぷく太り政策こそが官僚指導の智恵の限界であり、天下り癒着と絡んで腐敗の温床となっている。意識的に不当な利益を蓄積させていることは誰の目にも明らかでしょう。しかし、石原知事的発想で税の徴収をなしていくことは、結局大衆に不利益をもたらす結果にならざるを得ない。本当に必要な改革とは、公的資金という国税をつぎ込みながら地方税を取るというその場手法ではなく、ベンチャー型新銀行の容易創設や、新規参入障壁を解除しながら、本業である融資業務において意欲的積極的な自由競争を展開させることではないでしょうか。判りやすく言えば、つぶれるものはつぶれれば良い。その替わりに新しい時流にあった銀行の誕生を促すことの方がどれだけためになるかということだ。
現銀行の担保と保証人主義に基づく融資姿勢は、優良貸出先への融資を促進させ、本当に必要な中小・零細への融資を阻んでいる。これが資本の論理の成り行きであるが、これでは先が思いやられる。体を張って頑張っている中小・零細の経営者が少なくなるということは、タコに喩えれば吸盤がそれだけ少なくなることを意味する。つまり、日本企業総体からすれば、緩衝的な粘りがなくなるということを意味する。今が良ければ良い式の安易効率的な発想、本店審査主義の反省こそバブルの本当の意味での総括となるべきではないでしょうか。銀行が高金利の消費者金融会社に融資して、安全第一濡れ手に泡式の経営をしている姿勢こそ糾弾されねばならない。公的資金の導入は、この現実も何も変えていない。官僚指導の総論
立派・各論無策的智恵の限界と私は見ている。振込手数料も異常に高すぎる。預金の低利息は、庶民大衆にとってはあんまり関係ないのでそれはそれとして、ならば、貸出金利をもっと下げるのがバランスではないのか。それでも成り立つ企業努力が要請されているという方向に向かうのが自然ではないのか。私が思うに、アメリカはやることなすこと素敵だわ。世界の憲兵精神と戦争政策は嫌いだが、こういう民間自助努力と自己責任能力と工夫精神にかけては一等秀でているように思える。どんどん長くなりますのでこの辺りで失礼させて頂きます。