地域経済分科会さん、レスありがとうございます。
天皇に「屁以下」もとい「陛下」をわざわざつける人と真面目に議論したことはありませんが、誠実に意見を語っているので、こちらも誠実に返事したいと思います。
裕仁くんの「『御言葉』」(しかし赤の他人になぜ最上敬語を使うのか?根本的なところから考えてほしいが…)でカブトガニの保護が始まったと言うことですが、そういう例を言えば、現在各地の湖沼で生態形ほ破壊しているブラックバスは、裕仁くんが芦ノ湖に放流したのがルーツです。
それはともかく、地域経済さんの言うような、天皇反対は票が分散する、国民時統一を分断する、という考えは、今や党内に暗黙の常識としてあることでしょう。
しかし、この社会の差別分断支配の変革を放棄した、「統一」とか「多数派の形成」は、やはり長期的視野で見れば、破産を強いられるでしょう。
支配階級が軍事大国化の脈絡で、ナショナリズムを民衆に強制する装置として日の丸・君が代を強制しているわけで、国民の多数がこれを「容認」している現在こそ、共産党は反対する教師・生徒を守り、かつて「皇民化」の犠牲になったアイヌ・沖縄のたたかいを守り、外国人排斥の風潮とたたかう義務があるはずです。共産党の人々は、この沖縄県議選の自公の躍進をどう総括するのでしょうか。「本土の多数派」の獲得のために、沖縄という重要な陣地を失うのもいとわないのでしょうか。後退はすでにはじまっているのです。
国家主義・排外主義の風潮と戦わなければ、共産党の支持基盤ごと、右に根こそぎさらわれるでしょう。労働者の意識変革を放棄した社会党もそうですし、昨年の都知事選では、共産党の支持基盤の多くが、石原に投票しています。
地域経済さんは「日の丸・君が代や象徴天皇制と南北問題、貧困問題、地球環境問題は両立し得る」と言ってます。まったくの誤りと指摘せざるを得ません。
革新勢力が問題化してこなかった「象徴天皇制」が、軍事大国化の脈絡で、国家主義の強化のシンボルとして担ぎ出されているのです。森の発言は「もうここまで言っても大丈夫だろう」という、支配階級の安心感の表われでもあるのです。
外国人の日本への出稼ぎは、南北問題の現れそのものです。「日本民族の結束のシンボル・天皇」という意識の強化は、貧困の結果日本に出稼ぎに来た外国人を叩き出すことにつながります。これがどうして、「南北問題の解決」になるのでしょうか。
また、アジア・第三世界の貧困は、なぜ存在するのか、を考えなくてはなりません。それこそ、共産党の言う「大企業の横暴」が世界で猛威を振るっているからにほかなりません。
この「大企業の横暴」が平穏にまかり通るのが、アメリカなどの言う「世界秩序」です。この「世界秩序」を防衛する軍事活動への参加のために、日本も軍事大国化をすすめているし、その国民動員のために天皇制が強化されている現状をどう考えるのでしょうか。
「日本国民も途上国の人間もそこそこ尊厳が守られるような暮らし」と天皇制は絶対に両立しません。
地域経済さんは、女性差別についても語っていますが、美智子さんが「民間であるから」と、身内の葬式にも出席できないことをどう考えるのでしょうか。雅子さんが、結婚したときもそうですが、プライバシーを徹底的に暴かれ、「家系図」さえ、新聞の一面に暴露されることと、被差別部落の人々への身元調査による結婚差別は、一体のものです。「上」が作られれば「下」も作られるのは、当然のことですよね(家系図の暴露は部落解放同盟は「運動の成果を一夜で台無しにされた」と声明を出しました)。女性差別、身分差別のロールモデルを天皇制は作り出しているではないですか。
かつて戦前は「差別をしなかったのは共産党だけ」と在日や被差別部落の人々から、絶大な支持を受けました。戦後、「自主独立」「議会革命」などの路線の確立によって、革命の同盟者としての在日民衆を切り捨て、「暴力反対」のイメージづくりのために部落解放運動の糾弾闘争に敵対して被差別部落を切り捨て、今度は安保・天皇制の容認によって沖縄を切り捨てようとしています。共産党は国家に抵抗する重要な支持基盤を次々放棄し、その結果は共産党の獲得しようとする「多数」も含めた日本全体の「ファッショ化」です。ナショナリストとなった民衆にとって、共産党を支持する理由はないのですから、共産党の議席の頭打ちは遠い話ではないでしょう。
共産党は大政翼賛会の一翼して生き延びを図るのか、まがりなりにも人間解放を求める集団でありつづけるのか。こういう選択を共産党も党員・支持者の一人一人にも、時代によって迫られているのではないでしょうか。
不破・志位指導部の右傾化路線に抵抗すべし! それは、日本の軍事大国化を阻止するたたかいの一環でもあるのです。
タケルさんヘ
いやー、いまどきスターリン主義者の典型のような恫喝のしかた…。まったく恥を知りなさい!としか言いようがない。党中央が何らの議論を提起しないまま、原則を放棄しているのだから、中央側の人間が「さざ波」の糾弾宣言を非難する根拠などあるはずないではないですか。これは民主主義のイロハです。
ブルジョア民主主義より劣った党内民主主義が「科学的社会主義」の正体なのでしょうか。
あなたの「警告」こそ即座に撤回せい!