「有事は当面、自衛隊対応」(朝日―6月8日付朝刊)。こう見出しを付けられるような不破コメントには、驚くばかりです。「神の国」や「国体」発言以上に悪質です。「周辺有事」を名として、国家総動員と抑圧・統制の諸法令が昨年成立し、極めて憂慮すべき一段階が画されているこの時期に、何と無責任な放言でしょうか。
平和的生存権を無視したあらゆる抑圧の政策に対して戦わねばならない現代において、しかも、政治戦の真っ最中に、求めもされない「武装解除」を自ら進んで行おうというのですから、これほどの裏切りはありません。
昨年の日の丸・君が代自殺点ゴールを蹴込んだ延長に、今日の堕落は位置するものでしょうか。
「(自衛隊を)廃止しても大丈夫だとみんなが思うには、相当な体験がいる。」のだそうですが、「自衛隊を廃止しないと大変だ」と我々はこれまでさんざん体験してこなかったとでもいうのでしょうか。彼らの好きな語彙によれば、こういうのを「逆立ち」といわずして何を逆立ちというのでしょうか。「アジアに平和秩序が築かれる中で世論は変わる」のだそうですが、アジアの平和秩序に、真っ向から挑戦しているのが安保=自衛隊体制ではなかったのでしょうか。
情勢を自ら切り拓くべき運動論抜きの政権獲得国対競争が、必然的にこの堕落をもたらしたのでしょう。みんなの納得づくで、一歩一歩よりましな政策・政権を目指して「戦う」我が「前衛」には、かくも見事なコペルニクス的転回を成し遂げるに当たっての、納得のいく党内論議はなされていたのでしょうか。かくも「革命的」な転回が、不破執行部の独裁でなされていたとするならば、「国民と心の通う」政治など逆立ちしても出来ない相談です。閣僚認証式に着ていくモーニングの心配でもしているらしい能天気な「付和」指導部に,断固たる否を突きつける刻ではないのでしょうか。党内のイエスマン諸兄姉の良心に期待するものです。