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一般投稿欄

共産党の今後について思うこと

2000/6/10 野次馬、40代、自由業

 野次馬です。以前の私の投稿について編集部より再度の投稿の呼びかけをいただきましたので、論旨を整理したうえで再度投稿いたします。その前に以前の私の投稿で文脈に乱れがあったことにより編集部にご迷惑をかけたことをおわびいたします。また若干感情的な文章があったことも反省しております。しかし私は「共産党の解体・消滅」の運動をしている者でもありませんし今までそのような主張を公にしたこともありません。以前の投稿でそのように書いたのは、あくまでも共産党が責任ある政党として自らを変革する努力をせず政権に就くこともないならば、政党としての存在意義はないのではないか、ということの比ゆ表現として「解体・消滅」の表現をつかったのです。共産党の民主的改革をめざす皆さんのサイトなら、今後は、本当の悪意の投稿やいたずら以外は表面的に解体や消滅、打倒なんて言葉があっても許容されてはいかがですか。あまりそのへん敏感すぎると党中央と同じだなって思ってしまうのです。だって世の中やってもやってもだめならどっか悪いか、もうやめたらって思いますよね。共産党の運動もそうだと思います。私はそのレベルの人間です。そのレベルの人間にも開かれたサイトであることを願っております。(これでだめならそちらのサイトでは掲載不可能でしょう。あきらめます。)

 さて本題に入ります。このサイトでは共産党の変革について様々な角度から論議されていますが、私は一番本質的なことについて触れられていないような気がします。90年代の国際共産主義体制の崩壊以後、日本共産党には様々な批判と変革への期待が寄せられていますが今日に至るまで根本的改革をせずにきています。何故変われないのか? 私は二つの理由があると思っています。

1、専従職員の生活の問題
 私は正確にはその数を知りませんが共産党には他党に比べて非常に多い専従職員がいるはずです。その人達の生活のこと考えると大胆な改革は難しいでしょう。特に現在その中心を担っている40代から50代の人達は一般の人達と同じで子供の進学、家のローン等で金かかりますからね。あれほど一般には評判の悪い民主集中制は彼らの生活の最も強い保証なのです。これを廃止できない以上党内の自由な討論もありえないし、いずれの方向性にしろ変革のプランも生まれてはこないでしょう。仮に意を決した人がいても、反党分子にされたら退職金(少しはあるんでしょ。)ももらえないし、党をでた時の雇用保険さえないのではないでしょうか。一般の会社でも進退をかけた行動を求められる時あるけど、最低限の保証はあるから思い切った行動もとれるのです。少しでも党に異を唱えれば専従者の生活のすべてを奪ってしまうこの党に自らの変革を実現する力はないでしょう。また、このように党に忠実にならざるを得ない専従者集団を相手にして党の変革に立ち上がる一般党員がいるでしょうか。

2、共産党員のメンタリティの問題
 これは最近この欄でも三島さんがふれていますし、このサイトの主催者も長い宮本体制によってもたらされた弊害について述べています。三島さんのこの点に関する主張は全く同感です。特に野坂問題に対する対処の仕方はこの党のひとつの分岐点であったと考えます。すべてを野坂個人とソ連共産党のせいにした現在の党幹部によって、自らの問題を真剣に考えないという共産党員のメンタリティは完成されたと言えるでしょう。長い間の宮本体制下で自らが異論を述べることも他者が異論を述べる権利を認めることも忘れさせられた党員達を主体性を持った党員に蘇らせる絶好のチャンスが現行幹部によってつぶされたのです。自らのことを真剣に省みるという一般社会で最も必要とされる人間的能力がこの党の中では否定されてしまいました。自ら主体的に自らを省みることなく党の主体的変革を考える人など現れるはずもありません。

 以上二つの理由によって私はこの党の主体的民主的変革はありえないと考えます。個々の党員の中には漠然とした変革への期待はあるようですがそれ以上のものになることはないようです。このサイトのような試みは非常に貴重だとは思いますが、上記の二つの点を考えるとどこか虚しさを覚えるのも事実です。このサイトでは批判の多い「不破ー志位体制によるなし崩し的政策変更」も上記二つの制約からすれば必然的帰結でしょう。でもそれもどこか変ですよね。いずれどこかで精算を求められるのですから。で、共産党の今後ですが私が思うには一時的に支持を集めることはあっても、だらだらとした衰退しかないように思います。それなら、いっそのこと・・・・・と思うのですが、ここまでにしておきましょう。