投稿する トップページ ヘルプ

一般投稿欄

よくわからないけど・・・

2000/7/1 石川 八郎、会社員

 私は石川 八郎です。みなさん頑張ってるね。私は以前共産党員でした。このホームページを本の数日前発見しました。やっぱし、さすが共産党だなぁ・・・と感心します。党の内外に心配してくれる人がいる・・・。もっとも自民党などはもっともっと多いけど。まぁ、これも党の運営にいろいろ問題があるからで、その点では党機関の責任は大きいといわなければならない。
 機関の態度、これは本当に悪い。特に意見を言う党員に対してのそれは話にならない。このホームページの中でも機関の幹部に手紙を出したという話があるけれど、返事をもらったという例はどれほどあるでしょうか。はっきり言って、彼らは党の運営における民主主義を知らない。党内民主主義とはその実態からいって、党の課題に向かって党員の意識を集中させる手段でしかない。課題に向かって中央と機関の方針をどう理解するかが、「党内民主主義」の現実である。従って中央の課題や方針そのものがどうなのか、その進め方はどうなのかについての議論は対象になり得ないし、許されない。このホームページでも「民主主義」についての議論が多い。党の現状からいってやむを得ないことだろう。
 でも、民主主義ってなんだろうか。よくわからない・・・。言いたいことがいえる。少数意見が尊重される。自由な討論ができる。幹部への提案や批判ができる(それへの真面目な回答があることが、その前提であることは当然だが・・・)。まぁ、そう言うことだろう。その辺のところが全くなっていないところが、いま問題になっている。民主主義を求めている共産党内で、それと全く逆の官僚主義が問題になっているところに問題の深刻さがある。しかし、そうした問題をどうやって解決していくのか。党の問題を指摘し、批判し、その改善を求めることで解決の展望は見いだせるのだろうか。良心的かつ、研究しつくされた論文を党中央や機関幹部にぶつけることで解決できるだろうか。たぶん、出来ないだろう。なぜなら、党中央から末端組織の幹部に至るまで、労働者と国民の現実に足がついていないからだ。また、そうしようと努力していないからだ。しかし、彼らも精一杯頑張っている。その頑張り方が問題になっているにも関わらず、そんな自分の頑張りに自負さえ持っている。だから、余計のこと難しい。
 実際、巨大経営の少なからぬ党支部は、激しい差別の中で本当によく頑張っている。だが、そんな頑張りにもかかわらず、自らの経営についての情報さえ整備していないのだ。それなのに各級機関の決定集はちゃんとファイルしてある。政策といっても中央の赤旗や選挙ビラの内容であって、経営や地域にマッチした独自のものを持たないところが多い。なぜこうなっているのか。中央や各級機関の決定集さえ読んでおれば間に合う活動しか指示していないし、それさえ読んでおれば「マル」という指導しかしていないからである。地域でもそうだ。党の資料はいっぱいあるのに、地域問題となると非常に弱い。市民生活を守る活動も個別には出来ても運動にはならず、結果的には市民運動が先行している。当然である。大事なことは、共産党が中央から党員一人一人に至るまで、労働者と国民の汗と脂・苦悩と涙に活動の基礎をしっかりとすえることだ。「いや、我が党はそうやって頑張ってます」と、幹部諸君はいうだろう。しかし現実は上記の通りである。先ずは幹部自身が目を下に向けることである。
 離党していった人の多くは、国民の苦労と党の方針の狭間で悩んだに違いない(その現れ方は様々であるが)。党幹部がそうした声を無視することは、民主主義に反するのみならず、即ち国民の声を無視することにつながり、離党へとおいやる。党幹部のそうした姿勢は見方を変えれば、党への破壊行為であろう。ちょっと待て。民主主義だ。民主主義は、そんなに安いものではない。なんでもしゃべれれば民主主義っていうものでもない。血と汗の労働と、苦難の支配から人間らしく生きたいという人々の切実な願をかけての、正に命を懸けたの闘いの歴史を通じて育まれてきたことは誰でも知っている。従って、ただ中央に問題や自分の不満を言えば民主主義というものでもない。
 よりよい党を求めるために種々議論をするのも否定してはならない。政治・経済・哲学・国際問題・・・。党中央とそうやって渡り合うのもいいかもしれない。しかし、何を議論しようとそのことが労働者・国民の暮らしとどう関わり合っているのか、その姿勢がはっきりと伝わってこなければ意味がないし、効果もない。本当によりよい党を期待するのであれば、自分自身は身の回りの問題に何を感じ、何を取り上げ、何を提案しようとしているのかを、先ず考える必要がある。経営や地域での問題を書いてみよう、報告してみよう、討論してみよう。人々と対話をしてみよう。批判者・提案者たる人自身が先ず社会の現実に足をつけるべきだ。職場を覗いてみよう。どれほどの労働者が不本意な労働と暮らしを余儀なくされているのか、あなたは涙しているのだろうか。しかし、感傷的ではいけない。事実を具体的・客観的に捉え、記述し分析して方向を出さなければならない。そのために知識が力が不足なら、どんどん求めていこう。その意味では我々にとって民主主義は、科学的な態度と不可分である。そうした点ではこの「さざ波通信」が、労働者・国民の間にどんな問題があるのか何をすべきなのかを議論しあうコーナーを設けて欲しいのである。我々にとっての民主主義は、労働者・国民の暮らしと大地にしっかりと足をつけてこそのものである。そして謙虚にして科学的な態度を逸脱してはならない。人を変えるのは並大抵ではない。まして、ガチガチの共産党をナントカしようなんて、とてもダメ。しかし、今の日本では、共産党だけがナントカ頑張っているのも確かである。彼らを本当に生き生きとさせていくためには、我々自身の汗の臭いのついた提案をすることが肝要ではないだろうか。民主主義のためにも、未来のためにも。人々のため頑張ろうではありませんか。「さざ波通信」に便りを寄せる方たちには、そうした資格があり、またそういう力が満ち満ちていると思うのです。まぁ、よくわからないけど、そんな気がするね。