このホームページは日本共産党と現代社会を考えるというのがテーマなので、その面から書きます。
私は党員ではないので、共産党が6年前に綱領を変えていることを今度初めて知りました。
全体としてよくなっているというのが感想です。特に現存社会主義の評価について、社会主義を目指していた国々、と、「現実」として社会主義を目指していたことを率直に認めたこと、(あれは本当の社会主義ではない云々ですますのではない)、その評価については一括して行えるものでなく、個別の国ごとに研究者の判断を待つという態度(真に科学的態度!現実に存在して「いる」うちにそうなって欲しかった――まあ中国が残ってますから厳密には存在していることになるのですが、あの国がだいぶ違うことはみんな知ってます――)にこのときようやくなれたことの意義は大きいと思いました。
共産党は公式には「ソ連東欧の崩壊はほとんど打撃にならなかった。それは我が党が早くから自主独立を貫いていたからです」という態度ですが、実際は少し違っていたという感想を持っています。ペレストロイカからソ連の崩壊まで私は不思議に思っていたのですが、もうだいぶ前からあの体制は我々とは無関係と言い続けている共産党が、どういうわけか「我々の言っていたとおり」とか、「これで本当に理想を語れる」というのでなく、何か擁護論的な態度に見えました。今考えてみると、そもそも無関係という態度がいけなかったわけで、そこには心情的同情が入り込む余地がある。我々とは全く立場は違うけれども、現実に存在しているという事実、そこで否定的なことが数多くあるという事実をふまえて行動しなければならない。そのためには、彼らの視点に立ってどういう状況にあるかを淡々と分析する、そして自分たちの視点から国民にそれを伝えていく態度が必要でした。(こういうことを当時その筋の人に言ったら、もう君とは話したくない、と言われてしまいましたが)。この後基本的に二極冷戦体制が崩壊して(共産党はアメリカが即時戦時動員可能な限り、冷戦は終わっていないといってますね)現存社会主義の影響力がなくなったこともありますが、国民に受け入れられるようになったのにはこの改訂とそれに基づく路線の変化が大きいと思います。また、ここでは公言はされていませんが、党はすべての面で国民に要求を吸い上げるという代行主義や、人民のもっとも先進的な代表であるという前衛党の立場がいつの時点からか知りませんが修正されていることも注目できます。もっとも前衛党規定は規約にはっきり書いてあります。これらは理論的には破綻していることは明白なので、公式に放棄していいと思いますが、別記事で述べようと思っている理由から、日本社会では「改良主義」で変えていく方がよいかもしれないと思っています。
逆に提案説明で知的労働と肉体労働の区別が予想していたよりも早く乗り越えられると言う所などは、文字通りに解釈すると、もっとも野蛮な体制と呼んでいたものと同じなので、危険です。多分、昨今の技術革新から外挿した非官僚的社会主義の理論的余地があることを言いたいのだと思いますが、賛同はできません。しかしこれは小さな問題です。考えようによってはこの区別の廃絶は難しい、と逆にも取れるわけで、この記述がなくなったというだけで意味は大きいです。
長期的にやはり重要なのは、当面は民主主義の徹底と人権の擁護、資本主義の民主的改革を行なうとして、将来はどうかと言うことです。これは読んでも実のところよくわかりません。また私はそんなに急いで策定する必要があるとも思っていません。実際私たちが生きている程度の時間の中では資本主義が続くでしょうから。できれば、理想としてはこうだが、今後の社会の発展とそのもとでの経験に応じて具体的なあり方の探求が続けられるという記述が欲しいですね。
また別の理由で61年(でよかったんでしたっけ)以前の党の歴史は「自分の歴史」でなく、「日本人民の戦いの歴史」として書き直し、現在の党は再建後のものとした方がよいと思っています。実際に党がどうこうしたという記述は戦前以外の部分にはありません。以下は別記事で書きます。