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共産党は真理の審判者ではない

2000/7/27 やや、40代

 さらに各論です。
 近代民主主義と人権の継承については前稿でふれましたが、これは何度でも思い返し自己反省する必要があるものです。25年前になぜ改めて「自由と民主主義の宣言」というものを出さなければらなかったかの意義をよく考えて欲しい(あのとき、「こんなこといわれなくても今の日本にあるじゃないか」と自民党はよく言ったものですが、長期的にああいう文書を出したことの意義は大きかったと思います)ということを繰り返しになりますが、まずは言っておきます。
 少し脱線しますが、編集部の通信はその批判相手に今度こういう批判をしますが、という断りを入れているのでしょうか? 共産党や他党の幹部・議員は公人ですから必要ありません。またマスコミの場合も公器を使って自ら意見表明しているわけですから、それへの反論がいろんなところで為されるのは覚悟の上でしょう。しかし、学者の書いた本を学問的な場以外で取り上げるときは注意が必要ではないでしょうか。著者の名前の前に何々という説明というか何というかですね、本人が名乗っていない「肩書き」を付けて題名を付けたりしてますが、現役の日本共産党員によって運営されると公言されているホームページで取り上げられることといい、こういったことで、出版ということに伴って本人はそこまで覚悟していなかった不利益を被る可能性があることに配慮が必要と思います。
 それとも密接に関係することですが、共産党がしばしば行なってきた、特定の学説をその時点の政治課題に有害という理由で批判する態度も改めるべきです。今ではずっと周りに公然共産党員の方がいないし「旗」なんて読まないので知りませんでしたが、94年になって、丸山真男批判ですか。多くの人があきれるのも無理ないですね。あの本にはこんな個人的経験があります。私が学生の頃は政治学の先生が「小丸山」ともいうべき丸山の直弟子で、10年一日の授業をしていたのですが、先輩からは「授業はしょうもないがあの本はいい本だから出席の返事だけしてひたすら読め」といわれ、特にいくつかの章は共産党の学生も「今日の授業は真剣に聞くように」という指導があったのかなかったのか勢揃いで出席して真剣に聞いて勉強したその章なのです。当時学生や教員はもちろん全国レベルでも幹部の誰も反論なんかしなかったです。そのころ田口富久治氏の本が「問題」になりましたが、うちの大学自治会では田口氏を講演に招いて、その後私なんぞに共産党への入党の勧誘をしてました。地方ではそんなもんでした。というかそのように「先進的」でした。先生方の世界はよくわからなかったですが、公然と行われていた「民主的」勉強会では田口氏と藤田氏の本を取り上げていたように思います。不破氏の批判は「前衛党」の建前から仕方なしにする、やっかいなもんだという程度の認識だったと思います。(党の団結を優先して公然とは批判しませんが、私の感じた雰囲気です。)
 学問上の論争や到達点はそれがたとえどんなに不愉快であっても、その解決は学問の世界に任せ、差しあたりは受容しなければならないのは現代社会では当然です。政治課題にとって有害なら、無関係に主張すればいいので、学問的に云々するのは軽蔑を招くだけです。
 同じことは通信の中にもありますから、やはりこの辺が前衛党体質なんでしょうか。(不破)「異常な事態に対応する場合には、自衛のための軍事力を持つことも許されるというのが、多くの憲法学者のあいだで一致して認められている憲法解釈」というのは少し表現が不正確ではありますが、ともかく、日本国憲法のもとでも国家の自衛権を否定していないことは憲法学界では常識というのは、この場合不破さんの言うとおりです。(通信)「この主張によるなら、憲法には、平時用の憲法と戦時用の憲法があることになろう。」というのは「平たく言うとそうなっちゃうんですね」としか言いようがありません。問題にすべきはその公表の方法や具体的中身です。また、「大西氏は、自分の立場をあたかも客観的なものであるかのように言っているが、実際には、日本帝国主義の上層という特権階層の立場からものごとを見ているのである。そこには、日本の帝国主義的地位に安住した特権的知識人の傲慢さ、けっして自分が社会的弱者にならない自信が、最も露骨な形で示されている。」とかいういい方も悪名高い還元主義・暴露主義・レッテル張りにしか聞こえませんから、注意された方がよいと思います。またこの記述については、氏の個人的な立場の記述として誤りであり(これには触れてはいけませんからこれ以上書きません)、また思想の歴史的位置づけ方としても一面的です。(弁護士の子供で博士にして貴族の娘と結婚し使用人をもっていたマルクスなどより、オイゲン・デューリング氏はよほど階級的立場が明白でしたが、影響力は一時的なものだったことを思い起こしましょう。)。
 長々書きましたが、要は、政党は政治課題に必要な限りで提言したり見解を表明すればよいのであって、真理の判定者であるかのごとく振る舞う必要はなく、そういう行為は全く有害無益であるということです。
 

 ご投稿ありがとうございます。「やや」さんのご投稿がことごとく文字化けしています。もうしわけありませんが、再度文字化け部分のみ送信お願いします。(編集部K・S)