20世紀においてマルクス主義政党が政治権力を握った国々で多大なる人的、経済的被害がもたらされた。この歴史的事実について、それがなぜ起こったのか? どうしたら繰り返さずに済むのか? 誰のどのような理論によって起こったのか? これらの疑問に答えることはマルクス主義者にとって最も大切な問題であるはずである。
これらについてほとんどのマルクス主義者は無視、沈黙、同じ話の繰り返し等で答えた。あるマルクス主義政治学者は、ソ連、東欧の社会主義の崩壊時にレーニン=コミンテルン型政治の終わりと解説し、10年後、新しい日本共産党最高指導者はそれに追随するかのように、雑誌「経済」において、レーニンの思想を彼の視点で見なおすという作業を継続中である。要はマルクス=レーニン主義からマルクス原理主義への移行である。私は、レーニンがマルクス主義を発展させたという旧ソ連において国家思想となり西側の旧コミンテルンの流れを汲む共産党の公式見解となったマルクス=レーニン主義を批判してきたが、マルクス原理主義にも疑問を感じざるを得ない。私がレーニン批判ではなくマルクス批判をすべきだと言うのはそこである。マルクスが未来の社会主義社会について何も書かなかったのなら
当然責任もないが、少ないとはいえ書いている。労働者階級が権力を握り、生産手段を社会化し、市場、貨幣、国家がない社会を実現すると言っている。そのシナリオを1917年10月以来権力を握ったマルクス主義政党、もしくは指導者が実行しようとしたことは明白である。
マルクス主義は確かに三大源泉を発展させた。しかし社会主義に関しては労働者階級の発見とその歴史的意義、資本主義における搾取の仕組みを明らかにしたものの、それはまだ現実的なものとならなかった。マルクスはなぜ未来の社会主義社会を考えた時、文明の発展に寄与した市場、貨幣、国家等の廃止を予測不可能な未来社会において労働者階級に実行させようとしたのか? 私は西洋思想史に詳しくないので推測だが、サン・シモン、フーリエといった空想的社会主義者の中にルソーの思想的流れがあるのではないか? ルソー以降、原始社会は賛美すべきだという考えが広がり、マルクスもまたその理論をヘーゲル弁証法に組み合わし、労働者階級にその原始社会の螺旋的復活の役割を担わせようとしたのではないか? 中国、ベトナムではマルクス原理派(空想派)と修正マルクス派(現実派)が争い、後者が勝利し、市場、国家等を積極的に評価し、階級闘争も抑制している。日本共産党内においてもはっきりしなかった旧指導者から現指導者になって、ネップやドイモイを積極的に評価する発言をしているので、これらの人々は言葉の上ではマルクス擁護であっても、本音では私のマルクス批判には同意できる点も多いはずである。
最後に丸木思案なる人物が私のマルクス批判を無内容だと批判しているが、例えば私が階級が1つになった時、国家はなくなることはない。これは、国家にはマルクスが言った階級支配の道具といった狭い意味ではなく、階級とは無関係な存在価値があると書いているのに、「永遠に存続する」と書いているように明らかに誤読している。市場、国家についてもマルクスがこういっていると紹介しているだけである。丸木思案さん自身の見解を発表されることを希望します。