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一般投稿欄

モラルを問うなら、『さざ波』ではなく党指導部へ>INET愛好者氏

2000/8/22 澄空、30代、会社員

 トピックス欄で取り上げられている『虚構』(油井喜夫著)を先日読み、党指導部が批判者を排除する手法・体質にあらためて怒りを覚え、党の民主的改革の必要性を痛感しました。もうINET愛好者氏を相手する必要もないと思っていたのですが、党の体質との関連で再度レスすることにします。

 匿名で組織の決定に反対することがモラル問題だというINET愛好者氏の論点については、前の投稿では触れませんでした。それは、この問題について以前に議論があったがゆえに、その必要を感じなかったからです。確か去年の秋頃だったと思いますが、「memory」という青年が同じような趣旨で『さざ波通信』の編集部に食って掛かかったことがあります。
 まずなぜ匿名なのかという点については、なによりもインターネット上だからと言えるでしょう。匿名がいけないという「memory」氏にしても、INET愛好者氏にしても、けっして自ら本名を名乗らないことがその証左となっています。
 それならば、党内では名乗れるだろうし、はっきり名乗るべきだと言ったのが「memory」氏でした。しかしながら、党内でも『さざ波通信』の人たちがそう名乗れないのには理由があります。それは、『査問』(川上徹著)や『汚名』・『虚構』(油井喜夫著)で明らかにされている党中央による反対者排除の方法が人権侵害を伴なうものであり、また道徳的・道義的にも問題のあるものだからです。
 28年前に起きた「新日和見主義事件」とは、当時の党指導部が、党内で暗躍していたスパイとともに多数の同志を架空の疑惑で監禁・査問のうえ処分し、処分後も、出典を示さず反論も許さずに被査問者たちの「傾向」に対する「批判」を繰り返したという「事件」です。これについて今なお党の指導部は、ただの「調査」であり、正当な「政党倫理」の問題だと言って恥じません。けっして過去の問題ではないということです。この人権侵害の査問を正当な「政党倫理」だと言って恥じない組織の中で、匿名を使って批判することがモラルにもとるとする神経の方がおかしいのではないでしょうか? 仮に匿名での批判が「悪」だとしても、それは必要悪でしかありません。
 党が「新日和見主義事件」でおかした指導部の誤りを認め、公式に関係者に謝罪・処分自体をなかったものとし、党みずから率先して自由な公開討論を組織するような事態にならない限り、『さざ波通信』に対する氏の危惧は正当なものとは言えないでしょう(おそらくそのような状況になれば、『さざ波通信』そのものが消滅するでしょう)。党の規約について調べるくらい意欲ある氏には、ぜひともこの巨悪にも目を向けていただきたいと思います。

 以下、INET愛好者氏が以前の投稿で私の言ったことを理解されていないみたいですので、これまでの議論についてまとめておきます。
 氏が、7/27付の投稿で展開した主張は、概ね次のようなものです。
一、「このような公開討論は、公党である日本共産党に多大な影響を及ぼす可能性を有しかねず、重大な社会的責任を負っております」
二、匿名であることはその責任を果たす上で疑問がある。
三、またそれが「インターネットのモラル」にどうかかわるのか関心がある。

 第一点目については、正しいと思います。ただし、それは『さざ波通信』に限らず、政治を話題とする議論系サイトすべてについて言えることです。私はこの点について、具体的に『さざ波』には掲示板荒らしが入り込む余地がないこと、およびこれまでの運営実績から言って、氏の危惧は杞憂であると述べました。
 第二点目について、サイト運営者はプロバイダによって身元が掌握されているが利用者はそうでないという点を指摘しました。それゆえ、
 第三点目に関わりますが、「器を作ってるだけ」のサイト運営者より、サイト利用者のモラルの方が問われるのではないか、と述べたのです。

 以上が私の主張であり、サイト運営者が「器を作ってるだけで責任がない」とは一言も述べておりません。

 ……とおそらくここまで述べても氏はわからないでしょうから、たとえ話をしましょうか。
 たとえば『さざ波通信』および非党員が運営する他の議論系サイト(仮に『つなみ通信』とする)が事実無根で党幹部を中傷する投稿を掲載し、それがマスコミでも取り上げられ大きな話題となり、党のイメージダウンにつながったと仮定します。
 そこで党が名誉毀損で裁判に訴えます。当然ながら、訴える相手は、第一に投稿者(利用者)であり、第二にそれを掲載した『さざ波通信』と『つなみ通信』(器を作ってる者)、そして場合によってはプロバイダ(器の場所を提供している者)も訴えるかもしれません。
 ここで氏におたずねしますが、この場合に、その社会的責任という点で『さざ波通信』と『つなみ通信』にどのような「質的違い」があるのでしょう?
 この場合には、プロバイダを通じてどちらの運営者もすぐに特定され、逃げ隠れすることは不可能です。それゆえに、サイト運営者はそれだけの社会的責任を自覚している必要があるし、それがないと務まらないと思います。少なからぬサイトで、明文化して誹謗中傷を禁じているのはそのためではないでしょうか。
 一方、投稿者の特定には複数のプロバイダの協力によるログ解析が必要となります。場合によっては投稿者が特定できないこともあるでしょう(逃げ道はいろいろありますから)。それに加え掲示板では、従来では考えられないほど安易に自分の意見を公開できるという特徴があります。そこで私は、氏の「関心」に答えて、モラルが問われるのは、「器を作ってるだけ」のサイト運営者よりも利用者のモラルが問われるのではないか、と述べたのです。おわかりいただけたでしょうか?