こんばんは。
「保守」の地域経済分科会です。
横行するポピュリズム・ナショナリズム・自己中心主義
このところ、とくに99年以降、都市部を中心にナショナリズム、ポピュリズム、自己中心主義がまかり通っています。
そして外国などをすぐ槍玉に挙げる。「少年」も標的になってますね。
わたしは本来の「保守」とは、こういう偏狭な思想を排し、時代の流れを鋭敏に嗅ぎ取り、変えるべきところは変えつつも守るべきところ(例えば日本の伝統文化なり自然豊かな環境なり)は守って行く、これが本来の姿と愚考しております。(そういう意味では日本共産党を始め革新のみなさまと大差はないかも知れません。死刑問題、少年問題を除くと)
しかるに今の世論や政治の流れは、結局中国はけしからん、北朝鮮は怪しからん、少年は怪しからん、税金を農村部に使うのは怪しからん、若いもんの税金を年寄りに使うのは怪しからん。
自己以外のものへの利他心のかけらもこうした潮流には見られない。アダムスミスも、経済取引は利他心によって起きるものではないが、しかし、人間と言うものはSYMPATHYを持つものだ、こうしています。
日本国民の精神の荒廃もここまできたか、と憂えざるを得ません。「保守」派の知識人(松原隆一郎や金子勝など)には現状を憂える声も多くありますが、しかし、多くはそうではない。
「第3国人」発言の石原知事が喝采を浴び、「神の国」の森総理も議席を減らしつつも続投した。世論は残念ながら偏狭なナショナリズムを受け入れています。
民主党・自由党もポピュリズム・自己中心主義に乗っただけ――根深い日本民主政治の危機
わたしは、民主党の都市部での躍進もポピュリズムに乗っただけと愚考しております。
乱暴に言えば、都市の税金を農村に使いやがって怪しからん、ということです。石原知事の外形標準課税への喝采も、銀行への反発が最大の背景ですが、やはり都市が税金を取り戻した、万歳、という心情も当然あったと思います。
しかし、なんと視野が狭い事か。都市住民の多くが農村部にゴミ処理や水源確保、電力確保で依存していて、自民党政治はその代償に地方に御金をばらまいてきたことを忘れているとしか思えない。
そこへ官僚政治への批判も交錯しているので始末に悪い。官僚政治批判自体は正しい部分もあります。都市と農村の関係が、今まで自治省などの「お上」の強制による部分が大きかった事は不満の元にもなっているのは事実です。
だが、くさいものに蓋をして農村部に押しつけておきながら、金を出すのはけしからんと言う、自己中心主義、ポピュリズムは、何の解決にもなりません。
本来は、都市が「くさいもにふた」をして水やエネルギー、ゴミ問題を先送りしてきた体質を反省し、それとともに、農村、都市ともに御互いの特徴を生かしつつ、幸せになれる、「自治・連帯・協調的な競争(足の引っ張りあいではなく特色を活かし補完試し合いながら発展して行く)」のシステムを考えるべきだし、そうでないと何の解決にもならないのにも関わらずです。
社会保障もそうです。民主党や自由党は自由競争を促す一方、社会保障も充実させると言ってますがどうでしょうか?
今の「お上の恩恵」の性格が強い社会保障、財政のシステムそのものを、国民同士の連帯、自治に基づくものに変えない限り、社会保障への不安、不満は続くでしょう。
外交ーー南北朝鮮が手を結ぶご時世にナショナリズムに囚われる国民・保守政治家の精神荒廃
グローバル化の流れは、各国の相互依存をもたらす一方、摩擦も引き起こし、階級対立や、ナショナリズムを引き起こす面があります。これは近代経済学でもある程度説明できるので詳細は省略いたします。
しかし、多くの国では偏狭なナショナリズムを防ぐ努力がなされています。ドイツでも、アメリカでも、フランスでも。様々な制度や政治家、市民の努力で、危ない方向へ行かないよう、調節がうまくいってます。
ところが日本ではそういう調節をやってくれる勢力があまり見当たらない。感情論を戒める保守派知識人もいますが、どうも勢力としては弱い。
日本がすべきことは、アメリカを核軍縮を進めるよう要求したり、性急なグローバル化をしないようたしなめる現実的な努力をするのが第一です。
一方で、偏狭なナショナリズムは外交の選択肢を狭めるだけです。中国を無闇に敵視したりするなど、危険な論調がまかり通っています。
南北朝鮮が手を結ぶ今、むしろ、一挙に東アジアの緊張緩和が進む可能性もある。そうしたとき冷戦思考から抜け出せない日本は、結局北朝鮮・アメリカ両方から素通りされ、場合によっては金だけ出さされて終わりになる危険もある。国益さえ損ねます。
保守政治家はまた憲法議論を提起し、盛んに改憲をしようとしています。が、これはナショナリズム逃げこんで、経済や外交などの課題でのおのれの無力さを隠蔽する狙いがあると愚考いたします。
全く本来の仕事をせずになにをやっているのか、保守派として呆れます。
日本共産党は、自治・連帯・協調原則に則り、自己中心主義と徹底的に戦いを
日本共産党に課された現在の使命はおのずと見えてきます。
民主党に擦り寄っている場合ではありません。
民主党、自由党の近視眼的、自己中心主義的政治も批判されるべき対象です。容赦はしては行けません。ガツンと行きましょう。
自民党を批判するのも当然です。憲法議論に逃げこもうとしている自民党は
徹底批判すべきです。
無論、盗聴法問題、金融問題など一致できるところでは民主党と一致し、中選挙区制度復活では場合によっては公明とも協調するしたたかさはあっていいと思います。
しかし、基本線はガツンと与野党問わず、理路整然と言ってやる。それで人気を取り戻し、ナショナリズムをも押えましょう。そのときは一部の保守派も絶対日本共産党の断固たる態度に心を動かされ、味方になると愚考いたします。