はじめに
横から失礼します。トロツキスト・ファンクラブHPを主宰する、まっぺんと申します。senkiさん、はじめまして。どうやら、あなたは私の「四トロ同窓会二次会」掲示板もご覧になっていただいているようですね。どうもありがとうございます。
この間の、JDさん及び生産協同組合さん、そしてなおちゃんとのそれぞれの議論、たいへん興味深く拝見いたしました。反デューリング論についての議論、たいへん勉強になりました。さて、もう一方の生産協同組合さんの「社会主義とはどういった社会か」に対する反論とそれをめぐるなおちゃんとのやりとりについて意見を述べさせてください。
senkiさんは「議論のやり方」をめぐってなおちゃんに反論していますね。私にも、彼女のあなたへの反論は少々感情的にも思えます。またご指摘の点に頷けるものもあります。しかしそれでも私はなおちゃんの主張に「本質的には」賛同するものです。というのは、これまでの議論は現象的なものにすぎないように私には思えるからです。議論の本旨はそこにあるのではありませんね。観念ではなく現実について話しましょう。これまでのsenkiさんの主張の流れを観察してきて思うのは、「社会主義には現実性がない」事をあなたが主張したいのだ、という事です。違いますか?「反デューリング論だけじゃなくデューリング側の主張も読むべきである」という主張、「生産協同組合さんの主張には現実のビジョンの展開がなく不毛である」という主張、マルクスは第一インターから異論派を排除(バクーニン派の事?)したという主張、そして「左翼思考からパラダイムを転換することができない限りは無意味な罵倒が繰り返されてしまう」という主張。これらによってあなたが本当にいいたいのは「社会主義(マルクス主義)には現実性がない」更にいうなら「階級史観はもやはもう古い」という事なのではないでしょうか?
社会主義思想は現実のビジョンがないから不毛な妄想なのか?
生産協同組合さんの8月12日の投稿は確かに難解で、理解しがたいものがあります。しかし、よく注意して読むと、主張の内容は伝わってきます。それは「現代資本主義経済は市場経済によって不断に人間を疎外労働に追いやっている」現実を述べているのではありませんか? つまり生産協同組合さんの主張はまだ「ビジョンの提示」までは到達してはおらず、その前提としての現実=市場経済とそれがもたらすものについて考察しているだけなのです。ですからそれに対して「ビジョンがないから不毛」というのはちょっと的が外れているように思います。その後も投稿が続いているようですから、ビジョンの提示はこれからあるのではないでしょうか? ですから結論を急がず、もっと気長に待つべきであろうと思います。それはそれとして。
「ビジョンがないから不毛」という主張には納得がいきません。これまでの人類の歴史の中では民衆が圧制に耐えかねて蜂起をおこした革命的闘争が何度もありました。それらの闘争はほとんどが敗北しています。成功した一部の革命がある一方で、惨めな失敗に終わり権力者の残酷な報復によって殺されていった多くの民衆の歴史がありますね。これらの闘争はあらかじめそれぞれ「ビジョンにしたがって」闘われたのでしょうか? 「ビジョンのある闘争や運動は勝利し、ビジョンがないと負ける」ということなのでしょうか? そうすると、民衆は確かなビジョンがない時にはどんなに苦しくても決起するべきではない事になるのでしょうか? もっと最近の話をしましょう。成田・三里塚空港反対闘争は長いあいだたたかい続けられてきました。この闘いについて賛否両論はあるでしょう。しかし、三里塚の農民たちは政府・空港公団の提示する「将来の国際的経済社会に向けた航空運輸の役割についてのビジョン」に対抗して、なんらかの「ビジョン」を提示して闘ったのでしょうか? 「他の場所に空港をつくれば日本経済にとってもっと有利である」というような対案が闘いの動機だったのでしょうか? それとも、支援するどこかのセクトの「革命理論」に共鳴して農民達はたたかったのでしょうか? 違いますね。農民たちの闘いの原点は極めて単純明快で根元的なものです。「自分の土地を何の相談もなく勝手に奪おうとする政府権力」への憤りです。
こうした事実が示すように、民衆は「ビジョンがあるから起ちあがる」のではないという事です。「現状にもはや我慢ならない」から起ちあがるのです。これはもちろん「ビジョンがなくても良い」という事にはなりません。しかしながら「ビジョンがない」ことをもって「不毛である」とする考えには私は反対です。それは民衆を上から見下だすインテリの思考方法になってしまうのではないでしょうか。そういう意味で私はなおちゃんの「なんらかの有効なアクションが伴えばりっぱに生産的」という主張を支持します。
社会主義にはビジョンがないのか?
次に「社会主義はもはやビジョンを失った」のかどうか。senkiさんのこの部分に対する主張はまだ展開されていません。これからマルクスへの批判、社会主義思想への批判、階級史観への批判などが展開されてくるのでしょうか。ぜひとも拝見したいと思います。しかし、私もあらかじめ申しあげておきますが、社会主義へのビジョンは決して否定されてはいないと思っております。資本主義が「生産が社会的なものでありながら生産手段が私的所有であることの矛盾」を克服しない限り、階級間の矛盾に起因する貧困と差別と不幸が無くならない限り、社会主義思想は資本主義に対抗する「ビジョンの手直し」を伴いながらも成長・発展を続けていくでしょう。破滅へと向かいつつある地球社会を救えるのは社会主義しかないと思っています。私は逆に資本主義にこそビジョンの喪失を見ているのです。