こんばんは。「保守」の地域経済分科会です。
0.始めに:
一般投稿欄で、「都市部を中心にまかりとおるナショナリズム・ポピュリズム」を投稿致しましたが、その「担い手」は誰か、またそれはどういう問題を孕んでいるのか、保守・革新を問わず、政党や政治家はどう対応して行くべきかについて考えて行きたいと思います。
1:危険なのはズバリ「善良な市民」
前回申し上げた、ナショナリズム・ポピュリズム(都市住民の農村部への反感、それにも支えられた、交通分野などでの無謀な規制緩和、一部に広がる反米主義、排外主義、日の丸君が代に反対する教育関係者への風当たりの強さ、などなど)の担い手はズバリ「善良な市民」であると愚考いたします。
かれらは、一般的に言えば、会社員ないし公務員としてわりとまじめに働き、わりと「いい人」です。
しかし、それが、例えば相手が農村部の人とか、社会的弱者、外国人、また「規制によって保護を受けた商工業者」、「年金をわしらよりたくさんもらえてる今の老人」などとなると、人が変わったように「けしからん」と言い出す。無闇矢鱈に敵意を剥き出しにする人がしばしば見られます。酒を飲ませると大体本音が出てきます。
それが、例えば、暴力団員で、生活保護を受けているとか、農村部で無駄な公共事業が行われているとか、そういう断片的な情報が入る事で、余計に増幅されます。
不況、リストラも、怒りは、金融至上主義の経済のあり方ではなくこうした身近な弱者、他者に向けられているのです。
また経済のグローバル化が、一方で極端な反米感情を増幅したりしている現状もあります。
2:実は、ナショナリズムも自己中心主義も自分の首をしめているだけ
しかし、彼らは、そうすることが自分の首を締めていることに気付いていません。
大体、都市住民は、農村部で作られた電気や水で生活しています。ゴミの多くも農村、山村で処理されます。
国土を維持する事は、都市の利益にもかないます。イギリスなど欧州各国でも、農村の保全になら御金を使うのは常識です。伝統文化や、観光、国民の保養のため、いろいろな価値があるからです。
そのことを忘れて、矢鱈めったら、公共事業は怪しからん、規制は怪しからんなどと叫んでいるのです。はっきりいって、うんざりしているのでこれ以上は繰り返しません。それを煽ってきたのが、一部の経済学者であり彼らは内橋克人が糾弾しているのでここでは割愛します。
大体、経済と言うものは全てつながっています。例えば、流通分野で規制緩和して、物価は半減したとしたら、人々の賃金はそのままということはあり得ません。交通で規制緩和して、地方のバス路線が無くなったら、私たちの得る生活環境がそのままというわけには参りません。
かならずどこかで跳ね返ってきます。賃金の変動であれ、環境の破壊であれ、文化の破壊であれ。
今の日本における、ナショナリズム、自己中心主義の風潮は、欧州だったら保守政党にさえ否定される事でしょう。
しかし日本の自民党は、今度は選挙に負けたからと言って上っ面は、都市住民の意向に合わせ、ナショナリズム・ポピュリズムの御先棒を担ぎ、内面的には、腐敗した利権構造には大きな手はつけない。
さらにもっとマクロ的に大事な事は、プロレタリアに属す(こういう表現はしたくないが)各階層が内ゲバすることで、喜ぶのは、環境破壊し放題、人権無視し放題の金融資本らです。
もっと時代に即して言えば、人間が操っているのではなくむしろ自己増殖が自己目的化した金融資本が暴走するのを防ぐのが、一層遅れるのです。人間はコストを高めるだけの障害物とみなされ、尊厳とかそういうのは効率の名の元無視される社会となります。
それが、また不満を生み、それがまたサラリーマンと生活困窮者、先進国の貧困層と途上国の労働者の間などでの対立を激化させます。サラリーマン同士でも例えば「官僚批判」を通じて公務員と会社員が対立して、足を引っ張り合い全体として賃金が低下すれば、その分、公共事業で儲けるゼネコンなど大資本の利益になるのは明らかです。
そういう悪循環に落ち込みつつあるのが今の日本の状況です。
欧州は保革ともしっかりしているので、そうでもありません。
2.自治、連帯で不満和らげる方策を
人々をナショナリズム・自己中心主義に追いやる原因として今の公共事業にしても、年金にしても、お上が強制的にあつめた税金を強制的に分配していると言うイメージが強いということが原因の一つとして挙げられます。
そうではなくて自分たちでたとえば社会保障基金を作り、その代表も選挙で選ぶなどと言った方向で「お上主導」から抜け出す必要があります。
都市と農村の交流も草の根レベルで進めていく必要があります。自治省の御役人が介入して都市から農村へ税金を流すのではなく、自治体同士が連帯しあって協力する。
また、年金もそうです。社会保険制度を構成する国民に連帯感が無いと容易に行革を叫ぶ声に屈してしまうでしょう。
国際的に見ても、「一国社民主義」はだめです。資本の活動が国境を容易に越える以上、自治・連帯の原理も国境を越えて機能せねばなりません。
3.捻じ曲げられた経済学再生を
ちなみに、他者への同情は、アダムスミスも「道徳感情論」でその存在をみとめているところです。
彼がいいたかったのは、大商人が国王と結託して独占利潤をむさぼる事への批判であって、今のように金融資本が勝手に自己増殖し暴走し実体経済まで傷付けることをよしとしたのではありません。
経済学は捻じ曲げられて流布され、余計に上記のナショナリズム、自己中心主義を煽っています。
捻じ曲げられた経済学を再生し、市民が的確に社会の全体像を把握でき、また政治家はそれを活用して「経世済民」できる学問にせねばなりません。
これは日本共産党やマルクス経済学者よりは保守陣営、近代経済学の側の責務とも言えます。
現代人はTVくらいで結構経済学を勉強しています。が、その勉強した「中身」が捻じ曲げられているのでえらいことになりつつあります。逆に、正しく情報を伝えればこうした風潮を打破できるかもしれません。
4.最後に――軍靴の足音は聞こえないが
今は、戦時中とは違い、軍靴の足音は聞こえてきません。しかし、国を滅ぼすのは軍人であったというのは間違いです。
そもそも、あの戦争とて、国民の支持、さらにその国民が選んだ、自民党から旧社会党の先輩に至るまでの政治家たちの支持があって行われました。
今度国を滅ぼすのは、偏狭なナショナリズムと自己(自国)中心主義に惑わされた、隣の善良な市民一人一人かも知れません。
それを阻止するため、日本共産党の力は大きいと愚考いたします。
「よい保守主義者」とも連携してナショナリズム、ポピュリズムの風潮と断固戦うべきです。
ここで後退しては、今の保革両方とも、倒され、日本は亡国の道を進む事になる事は必定です。
今がふんばり時です。