こんばんは。「保守」派の地域経済分科会です。
「さざ波通信」九月号を拝読して、雑感を述べさせていただきます。
1.精細欠きまくる渡辺先生の議論
渡辺先生、あんなに鋭い議論をする渡辺先生までがそんなことをおっしゃるとはショックです。
私なりの分析では、
まず
これが、日本共産党の敗北の実相だとわたしは愚考しております。
また渡辺先生は、「与党の争点隠し」を敗因に挙げていますが、しかし、日本共産党がわざわざ、民主党への批判を避けて、「差別化」が図れなかったことへの反省はありません。
編集部のご指摘の通りなぜ同じ「革新」の社民党が躍進したかの分析もないので不満です。
社民党のほうが余ほど民主党との「差別化」ができていました。
「中小企業」が「大企業」に勝つには、総花的にするのではなく、専門化が(勝って規模が大きくなれば別)一つの道です。それを守った土井党首は経営に優れていると言えます。
「経営陣」である不破先生、志位先生の判断ミスに、社員や株主である党員、シンパが口をつぐんでいてはどこかの乳業会社ではないが、おかしなことになってしまいます。
渡辺先生の議論は精彩を欠きまくっているとしか申し上げようがありません。
2、防衛問題でわざわざ味噌をつけなくても・・・
「自衛隊は違憲だが、国際情勢に合わせて縮小して行き、それまでは自衛隊活用は当然」というのが、今度の党大会で提案される議案です。
なるほど、もっともらしく見えます。
しかし、まず第一に防衛問題を下手にこういう形で正面に出すとなんとも中途半端になって、社会党の二の舞になる危険が高いと愚考致します。
すなわち、これでは、民主党との違いが出ず、「じゃあ、民主党でいいじゃないか」という保守的無党派層が多く出るでしょう。一方、革新無党派層は、社民党への回帰をますます強める事でしょう。また、「憲法違反のものを平気で認めるとはやはり政権をとったら何をするか分からない」と棄権する「革新派」も出てくるでしょう。
どうせ、当座は自衛隊を容認するなら、具体的に自衛隊や安保、アメリカの核の傘から脱していくビジョンなりプログラムなりをしっかり提示し、それをアピールしていくべきでしょう。
漠然としたものでは駄目です。非現実的と非難される事も覚悟の上で、提案して行くべきです。具体的な年数などの目標も入れて。
また、軍事力では戦争は防げない、ということも正々堂々と主張すべきでしょう。いまやパワーポリティクスの時代は終わりつつあると言う事を。
それよりは「人間の安全保障」こそ大事だと言う事を。国家の論理よりは、一人一人の命と尊厳を大事にすることが大事だと。
例えば、一人を殺しても、国家の論理では、何億分の一かの損害で痛くも痒くもない。しかし、殺された人にとっては全てを奪われるのだから、と。
「官」よりは「民」の視点で平和を構築する努力をする。けっして空想ではなくその実現へ汗を流すのだというのを示せばある程度の支持は集まるでしょう。
それが出来ないなら防衛問題など無視して、経済政策に絞るべきでしょう。
3.究極的何々はもうたくさん――保守ですらない「停滞」「先送り」に不破先生は後退するのか?
「核を究極的に廃絶するとか」そういうのがよく叫ばれてきました。今度は日本共産党がやろうとしているのは「戦争廃絶は究極目標」というのと同義です。
「究極目標」なんかにしたら、「究極的」にも実現するわけがありません。それは歴史が示しています。それはそこでもう自分らの生きているうちでの「進歩」を放棄しているのです。それは「保守」ですらない。「停滞」ないし無責任な「先送り」です。慎重な態度は取るが、やるときにはちゃんとやるのが「保守」であるのですから。
いまや、核廃絶を核保有国が「確約」するご時世。
不破先生、先生も自民党的「究極的何々」の理論におのりにはなりますまいな。
私は、自民党は「先送り・停滞政党」、自由党、民主党は、都市住民のポピュリズム、自己中心主義に支えられた「アメリカニズム盲信党」(しかし結局自由放任は深刻な停滞を招くのだが)だと愚考しております。
しかし、このままでは、日本共産党までが、「先送り」政党のイメージを振りまく事になってしまいます。私は日本の民主主義の健全な発展を願う立場から、断固不破先生、志位先生には、御考えを練り直される事をお願い申し上げます。