規約改正のこと、本当に驚きました。部外者がこんなこというのもなんですが、あまりに情けなくて涙が出てきました。「社会主義」という言葉をこんなに簡単に捨ててしまう。綱領からはずれるのも時間の問題なんでしょう。いったい「社会主義」という言葉にこめられたものを何だと思っているんだか。その言葉が背負っている歴史の切り捨て以外の何物でもない。社会科学を知らないものにもわかるように変えたとかいうことですが、とりあえず、歴史なんか知らなくてもいいよ、ってことですね。査問も知らなくていい、武装闘争も知らなくていい、そして社会主義も知らなくていい、「新しい教科書を作る会」と同じです。そういえば、「日本国民」などという言葉をぬけぬけと使う感覚も信じがたいものがある。
そして、追い打ちをかけるように、歴史の切り捨てのもっとも醜い例として、TOKIO KID なんとかやらの投稿。こういう百年一日のごとき物言いにいちいち反応していてもしょうがないのでしょうが、しかし、個人的な経験と歴史認識をいっしょくたにする態度には本当に腹が立つ。モーパッサンの1つも読めない自らの精神的な貧困を党のせいにするこの主体性のなさ!!Too Lateなのはいったい誰だ。
きこえのよい言葉をふりまいて、歴史認識を欠いた脆弱な「現実」によりそう態度は、規約改正もこの投稿も全く同様の10年遅れのポストモダニズム。許し難い。本当に許し難い。