0.始めにーーーまかり通るエゴイズム・ナショナリズム・ポピュリズム
今、エゴイズム・ナショナリズム、ポピュリズムと言う深い霧というか、ギスギスした雰囲気が、日本社会に充満しようとしています。
大都市の住民の一部は、水やエネルギー、ゴミ処理で農山村に依存している事もすっかりわすれ、都市住民は損をしていると思い込んでいます。
また、若者は、年寄のために自分らの税金が使われ、損をしていると言う思いから社会保障制度への不信を募らせています。
また、不況は、労働者の不満を高めてはいますが、それは、経済社会のあり方への不満ではなく、労働者同士の「内ゲバ」、すなわち、公務員と会社員、あるいは、業種間での不満のぶつけ合いと言う形を取りつつあります。
また、「規制で保護された」中小企業者、農業者への「生活者」の不満も高まっています。実際は、様々な理由で生産性が低く見られてしまうのですが、近代経済学者などの短絡的な「規制緩和=生活者の利益」論に流されてか、ギスギスした雰囲気が漂っています。
また、抑圧された社会的弱者の不満も、排外主義に向かおうとしています。
最近の小林よしのり氏の「戦争論」人気や、時代錯誤の言動を繰り返す石原知事の絶大な人気、さらには、民主党の都市部での躍進は全て、こうした「エゴイズム・ナショナリズム・ポピュリズム」で説明できます。
1.市場原理至上主義とナショナリズム
ここ数年の日本は閉塞状況にあると 言われてきました。
論壇では、アメリカニズムすなわち市場原理を日本でも徹底せねば、将来は破綻する、という議論がありました。一方で、国家や、家族と言った 価値観を強調する向きがありました。
前者は、1990年代半以降いわゆる近代経済学者や、一部の通産官僚などにより唱えられ、実際に橋本内閣では六大改革という形で実行に移されました。後者は、いわば、新しい教科書をつくる運動などに見られます。
これらの流れはどうして生まれてきたのでしょうか。
一つは、グローバル化があります。それへの対応を どうするか、ということで、規制緩和などアメリカニズムの徹底が叫ばれました。
それへの反作用として、ナショナリズム的動きが出るのは、他国でも よく見られます。
乱暴に言えば、資本移動を自由化すれば先進国では労働者が損をし、 資本家が得をするので、労働者はナショナリズムに向かいがちだと言うのは、 近代経済学でも証明できます。
2.もう一方で見逃せないエゴイズム
また、社会の統合が緩みエゴイズムが広がりつつあると言う事に注目せねばならないと愚考致します。
すなわち、年金や社会保障などを巡って、「世代間」の 対立が広がりつつある。年金への不信感は高まり、 なぜ、若いものの税金で年寄を支えなければならないか、といった 不満が爆発しかねないところまで来ていると思います。
また、地方と都市部の間の精神的なあつれきというのも 強まりつつあるように思えます。農山村では相変わらず、 利益誘導型政治に頼らざるを得ない。
一方、都市住民は、 実際は、水やエネルギー、ゴミ処理などで前者に依存しているのですがあまり普段の生活で意識していない。 農山村への利益誘導を続ける自民党への怒りも、民主党の 都市部での躍進につながったと愚考致します。 折りからの官僚への不満も重なっています。それは、しばしば、 公務員一般への風当たりともなりました。
3.経済成長率低下と「自民党政治」の行き詰まり
経済成長率が低くなったため、高度経済成長期では、 うまく自民党政治が押えこんできた不満が、押えきれなくなった ということがあるでしょう。 経済成長率が高ければ、都市から農村へ、また青壮年から高齢者へ所得の再分配をしたとしても、全体のパイが大きくなっているので、 不満はさほどでもありませんでした。
一方で、自民党の再分配政策は、所得格差拡大による 不満を押さえ込む事で、結局革新陣営の台頭を阻む役目 も果たしたと思われます。 ところが、その経済の高度成長の前提が崩れたため、あちこちで、不満が 爆発寸前まで言っています。
4.「階級闘争」ではなく「内ゲバ」
しかし、今のところは、それはいわゆる「階級闘争」という 方向ではない。それどころか、現在の経済、社会のあり方を変えると言う エネルギーにはなりそうもありません。また気まぐれな金融市場に 向けられる事も少ない。
それは、上記のような都市と農村の対立、世代間の対立、 民間労働者と公務労働者の対立、というように、いわば 本来は金融資本優先のグローバル経済のシステムの「被害者」同士の「内ゲバ」の様相を呈しています。
こうした中で、社会の統合を維持しようと、政府はナショナリズムを 持ち出します。社会がバラバラになってしまうのを防ぐのにナショナリズムは 格好の手段です。そうした雰囲気に乗って、ナショナリズムや排外主義的思想を持った 勢力が論壇、そして政界にまで勢力を広げてきます。一方で、いまの日本が駄目なのは、アメリカニズムの徹底が なされていないからだと言う、勢力も勢いをつけます。 彼らは、庶民に、社会保障を切り捨て、農村を切り捨て、ひたすら競争に向かう事こそ、生きる道だと叫びます。
5.ナショナリズムとエゴイズムの混濁
ナショナリズムと、アメリカニズム両方が混ざり合い、 国民の間には、反官僚主義、反福祉主義、排外主義、そして 反左翼、といった一見混乱した価値観が共存します。ゴミやエネルギーや水は農村、山村、漁村に頼っている事も 忘れて、公共事業反対に共鳴する。
公共事業見なおしは良いのですが、冷静に都市も農村も幸せになれる政策を考える事を忘れているように見えます。
また、労働者同士が内ゲバをしていては、自分の首を締めることを忘れて 民間労働者と公務労働者は激しく対立する。
そして、そのとき、「革新」の基盤となり得るべき層は、みな右派ナショナリストへさらわれてしまいます。
それは、ナチスが多くの労働者の支持を受けていた事から も日本でそれがまたないとはいえません。石原知事への喝采は、それを予感させます。
そして、悪いことに日本の「保守」も、ファシズム、ナショナリズムに甘いのです。例えばコール首相が「ドイツはハーケンクロイツを中心とした 国家社会主義の国だ」などと言ったら、彼は即刻逮捕され、 政治生命を断たれるでしょう。絶対、そんなことは言いません。
森総理が言った事は、欧州の保守政治家なら絶対言いません。
6.ナショナリズム・エゴイズムもアメリカニズム徹底も何も解決しない
しかし、冷静に見れば、ナショナリズムをいくら強調しても 問題が解決するわけがありません。 例えば、経済政策の誤りが、急にナショナリズムを強調する事で正されるはず がありません。
それどころか、ナルシズムに陥って、戦略的思考能力をストップさせてしまうことすら考えられます。ファシズムのドイツは結局民主主義のイギリスに敗れたことを考え直す必要があります。
一方、アメリカニズムの徹底、すなわち、市場原理至上主義も、貧富の差拡大などの問題を引き起こします。また、そもそも、本場アメリカとて、日本で言われるほどには「規制緩和一辺倒」ではないのです。
日本では、橋本内閣の時期を中心に「市場原理」とか、「ルールに基づいた行政」(例えばBIS規制など)が、ある分野では徹底して追求され、結局金融危機を引き起こしたのです。
反面、自民党の地盤であるゼネコンに利害が深い例えば道路関係の利権は解体される事はありませんでした。
7.自治・連帯・協調の原理で経済政策を――自分だけ都合がいいということはあり得ない
これに対抗するにはどうすれば良いのでしょうか。 決め手はありませんが、やはり、社会保障にせよ、都市と農村の問題にせよ、「お上」主導から、 「自治」と「連帯」の原理への転換が必要と愚考致します。
いまは、「お上」=官僚の論理で、所得移転が行われており、 そのことが、都市住民の不満の一因ともなっています。そうではなくて、社会保障も、自治の原理で運営し、 給付の考え方は「誰かが何らかの理由で働けなくなることに備えみんなで助け合う」という方向へ向かわねばなりません。
連帯に基づかない社会保障は、「市場原理至上主義」や「右派」の「家族の価値重視」の前に容易に崩されてしまいます。
外国との関係、とくに途上国の貧困に苦しむ人々との 関係でも、連帯が重要になってくると愚考致します。
エゴイズム・ナショナリズムとの戦いが、21世紀 初頭の「革新」及び「保守」陣営の課題となるでしょう。一方、経済政策ですが、これも、やみくもな規制緩和 ではだめです。 アメリカは規制緩和の本場のように言われますが、実は 各自治体がいろいろな規制などを組み合わせて、特色ある 地域作りをしているのです。
国の「地域への」規制は緩和し「地方主権」にする必要がありますが、 だからといって金融資本の都合に合わせるような規制緩和には慎重であるべきだと愚考致します。それは、地域社会をずたずたにし、場合によっては人間の尊厳を傷付け、また、反作用としての排外主義を生むことにもなりかねないのですから。
しかし、ここでも規制や政府の政策は「連帯の論理」で考えねばなりません。
例えば「公務員の自分はリストラされるのは嫌だが、商業者や農業者を守る規制は不要だ。」というのは通らない事を認識すべきです。経済現象、社会現象は全てつながっているのです。米価が半分になれば、あるいは中小企業の収益が半分になれば、公務員の給料がそのままということは絶対にあり得ないのです。
「情けは人のためならず」というのは、経済政策にも当てはまります。
公共事業の配分の見直しや、「地方主権」の徹底などを通じて、社会全体を活力は保ちつつも、しかし人間的尊厳は傷めない、という視点で、皆が連帯し、社会のあるべき姿を考えて行こうではありませんか。