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日陰のもやしさんへ

2000/9/30 たき、20代、学生

 僕の投稿に誤解があったようなので説明を加えます。
 「日陰のもやし」さんによると僕は「社会主義の必然性の否定に憤っている」とのことですが、僕はそんなこと一言も書いてません。僕が批判しているのは、過去の闘争の総括もろくすっぽせずに、「わかりやすくする」というおためごかしな理由をくっつけて、「社会主義」という言葉を削除してしまうその姿勢です。そして、TOKIO氏のやはり過去の自分の活動を、「勉強できなかった」という個人的な理由以外にはなにも書かずに「どんな意味があったでしょうか」で片づけてしまう姿勢に同様のものを感じる、と思ったまでです。
 せめて、自らの活動がまちがっていたと書くのであれば、それが「勉強できなかった」から、といった個人的な理由なのか、それとも活動全体がまちがっていたのか、当時においては間違っていなかったけれど、現在においてはまちがっているのか、そのぐらいは書いてしかるべきでしょう。
 共産党にしてもそれこそ過去の闘争を総括した上で、「社会主義の必然性」を「否定」するにいたり、あらたな方針を決定するのならそれでもいい(もちろん、手続きにおける問題は別です)。僕は過去とまったく同様の闘争方針でもってやっていくべきなどとは思いません。「社会主義」の意味も、展望も、時代とともに積極的に変わっていくのは当然のことでしょう。日陰のもやしさんがおっしゃるとおり「20世紀の『社会主義体験』を踏まえたうえで人類の未来としての社会主義を展望する」のであれば結構。しかし規約改定案をどう読んでも僕にはそんなものは見えてきません。「共同社会の実現」といわれてもなんのことやらです。ついでにいえば、おそろしく個人的な体験だけを踏まえてなにを展望しているのかよくわからない「改良主義」を主張するTOKIO氏の発言に耳を傾けてどうなるのかもよくわかりません。僕には「勉強できなかった」の名の元にすべてを「否定」している発言にしか見えませんでした。