私への投稿拝読いたしました。今回の投稿の内容ならわからなくもありません。確かに「過去の闘争の総括もせず」に「社会主義という言葉を削除」することは私もいただけないと思いますよ。私なりに言わせてもらえれば「過去の歴史も総括せず」というところでしょうか。「野坂参三問題」、「チャウシェスク支持問題」、「新日和見主義事件問題」と世間的には通らない見解がこの「党」には多すぎます。
今回の「規約前文削除」による「社会主義革命」、「前衛党規定」の抹消も綱領まで踏み込んだ検討を全党挙げて行ないその上で変えるべきは変える事が必要かと思います。しかし今回の「改定」は誰がどう見ても「上意下達」ですよね。彼らの好きな「みんなで論議して・・・」はどこにあったのでしょう? まあ党員でないたきさんがそのことにお怒りなら「党」に抗議するしかないでしょう。
しかし私は以前のたきさんの投稿の『「社会主義」という言葉ににこめられものを何だと思っているんだか。その言葉が背負っている歴史の切り捨て以外の何物でもない。』という文章からたきさんが「社会主義の必然性」擁護派のように受けとめてしまったのです。
誤解ということであればそのように理解いたします。でもいずれにせよたきさんは共産党に「抗議」しないといけないわけですね。因みに私はこの「党」には「過去の闘争の総括」も「歴史の総括」も不可能だと思っております。なぜならそれをせずに来た事によって今日のこの「党」があるのですから。(9月の私の本欄への投稿を参照してくだされば幸いです。)
もうひとつTOKIO氏の投稿の関してですがこちらはどうも納得できないのです。やはり氏の見解は「共産党」の態度とは一緒にくくれないような気が私はします。詳しくは氏に語ってもらわなければなりませんが私はたぶん氏より10年くらい後に学生で活動に参加した経験からして氏の気持ちはわかるような気がするのです。私が思うに氏は明らかに「あの当時の活動が間違っていた」と現在はっきり認めておられるのだと思います。その当時は一生懸命「正しいと信じよう」としたのでしょう。そうでなければ「参加」出来るわけがありません。「勉強ができなかった」のはその上での結果であり、「勉強できなかった」から活動が「間違っていた」わけではないと思いますよ。私も学生時代は21世紀までには「社会主義」は無理だとしても少なくとも国会(衆議院)で50~100議席ぐらいはなどと思っておりましたからね・・・。何の根拠もなく「がんばれば」そうなると信じていたのです。馬鹿と言われればそれまでですが・・・。当然「社会主義の必然性」を「信じて」おりましたよ。それから20数年(氏の場合は30数年)、・・・文字化け部分・・・党」を見れば「あの当時もそして今も」この党の「何か」が間違っていたと思わざる得ないのです。ですが今はともかく「あのころ」まで「間違っていた」と認めることはとてもつらいことです。だからこそ「悔い」が残るのです。このような経験は60年代後半から70年代に学生生活を送り党活動に参加した多くの人間にある事だと思います。これは決して「恐ろしく個人的な体験」ではないと私は思います。そして氏の場合は「改良主義でも良いじゃないですか」という見解に達したのです。もちろん党も離れておられるでしょう。私はそんな氏に「共産党」などよりも何百倍、何千倍もの潔さと真面目さを感じます。
どうかたきさん、あなたの仰る『おためごかしの理由をつけて「社会主義」を削除する党』と過去をしっかりと見つめて現在を生きている個人をひとくくりにしないでください。例えその方の「理想」の表現が不十分だとしても、「共産党」の「言い分」などよりは「耳を傾ける価値はある」と私は思うのです。
(TOKIO KID JJさん、勝手に貴方のことを推測して書いてしまいました。たきさん、あるいは私への意見あればどうぞお願いいたします。)