★党員個人の意見表明が党会議において保障されていても、党の路線に影響を及ぼすための多数派形成の手段が、「分派の禁止」によって閉ざされている。党最高幹部が、誤った方針をとった場合、歯止めが効かなくなる。ソ連、毛沢東、平壌、ル-マニア、の指導者の誤りは偶然ではなく、組織原則に必然的に内包されているものである。国内で野党である限り、指導者が誤った方針をとっても、社会変革運動の後退に留まるが、政権党となった場合、誤りは国民全てに影響を及ぼし、歯止めが効かないという点では、万が一党幹部が誤った道を選択した場合、自民党政権以上の危険性を持つ。
★とはいえ現在までの日本共産党の、政治方針は概ね正確であると受け止めている。あくまで「概ね」ということであり、かなり揺れがあったりした(この点は、ここでは詳しく触れない)。
★ITによる、個々人の情報交換から、グル-プによる意見交換の自由度は、飛躍的に拡がっている。もはや、分派活動云々では規制しきれないであろう。かつては、異論は広く伝えようとすれば商業マスコミに発表するしかなく、それは党規約違反-査問-除名という道をたどるしかなかった。しかし、これからは、ネットワ-クを活用し、いくらでも個々人が意見を伝え会える時代である。共産党も真に民主的な組織へと生まれ変わらざるを得ないところへ追い込まれていくと思う。異論を恐れるなと言いたい。公平に正々堂々と論議すれば、より正確な論は必ず多数派を形成するのだから。
★民主的中央集権制は、革命戦争、すなわち軍隊式の組織を必要とする情勢において、必要となる。グエンバンズン将軍のベトナム解放戦線秘録を読んでも、それはわかる。ぐずぐず議論していたのでは、情勢の展開、敵の動きに間に合わない。そういう情勢の下では中央集権的な組織が求められるし、力を発揮する。つまり、組織原則は、固定的でなく、流動的であってよいと思う。平常は、百家争鳴の中で、方針が淘汰され、いったん選挙戦ともなれば、集中的な組織原則を機能させる。そういう了解の下でやっていけばよい。しかし平時において、革命戦争時の組織原則では行き詰まる。
★ワイルドスワンの父親のように、日本においても多くの良心的な党員が、献身的に活動し、やがて組織に裏切られた例も多い。日本共産党が新しい時代にふさわしく、革命的に自己変革することができるならば(組織のあり方を中心に)、もっと多くの人々の心をつかみ、党から離れた人たちをも再結集することが出来ると確信する。そのことが、いかなる「反共攻撃」をもうち破るたくましい組織として、停滞を打破し、新たな前進のうねりを創り出す道である。
★弁証法的唯物論の立場に立つならば、党内においても、対立物との闘争は発展のエネルギ-であろう。批判と自己批判を個人のレベルに矮小化せず、ネットワ-ク対ネットワ-クレベルにまで広げることを恐れず、それをも内包化できる組織として統一を保っていく中で、時代の要請に応えられる党として前進していけるのである。
★ITは社会主義計画経済を準備する。すでに行われている商品の注文生産方式は、国家規模に拡大されれば、まさに計画経済の出現につながっていく。
ソ連等においては、まだ、真の計画経済を保障するテクノロジ-が発達していなかったので無理があったといえる。国民一人一人のニ-ズを集約する手段もなかったし、結果的にアバウトな計画の下、万年的な生活用品不足に陥っていた。しかも競争がないから、生産性が高まらない。労働意識の減退をもたらした。物資手面での豊かさへのあこがれが、自由へのあこがれと相まって、東欧社会主義体制の崩壊へと結びついたと考えている。しかし、現在のテクノロジ-を以てすれば、国民全員のニ-ズを集約することも可能である。ニ-ズに応じた生産も可能であるところまできているのではないだろうか。まさに21世紀初頭は社会主義へ進む、生産的基礎が初めて整いつつある時代とは言えないだろうか。今こそ、共産党の真の出番であり、それに応えられない党であるならば、我々は、新しい党を創るしかないのではないか。