マルクスの資本論をはじめ一連の書物は元来学問の領域をでないものです。共産主義はマッカシー旋風が吹き荒れた戦後間もないころ、共産主義、社会主義の考え方をのこすためのものであって、そもそも人を治める政治に向くものではありません。現在の共産党は、その役割を人々に共産主義の考え方を教え広めるためにあったと思います。その事自体は非常に評価できることであるし、その功績が偉大であることには、間違いはありません。
しかし、、そのあまりに非実践的な性格から、決して政権をとるための資質をもたず、中立的な態度を崩すことは出来ないのではないか。今後、ますます勢いをます時代の流れについていけず、消滅せざるを得ない運命にあるのではないかと心配しています。さもなくば、共産党は本当に守らなければならないその核心部分を次第に失っていき、誤った方向に行く危険性があるように思います。
日本に真の民主主義が根付き、人々が自由な思想信条をもち、そのことをもって、いささかも差別、偏見をもつことのない世の中の到来をもって、共産党は政治の世界から身を引き、マルクス主義の発展を国民の進歩発展の上に任せるべきではないでしょうか? もっとも、その前提として、マルクス主義の考え方を一つの学問として確立し、マルクスの書物を幼い子供達にも分かるようなものに翻訳しなおし、だれでもその哲学に触れることが出来るような環境を創っておく事はいうまでもありませんが。
そのうえで、共産党は、マルクスに縛られることなく時代の流れと共に、自由にその形を変えることの出来る本当の意味の政党に生まれ変わることが出来ると考えます。
現段階では、日本に真の民主主義は根付いているとは思いません。ですから、いま、直ちに政治の世界から撤退することを望むものではありませんが、これからの共産党は、その時が来て、マルクスの研究が社会に自然と広まるような状態が生まれることを想定して動いていくべきではないでしょうか。