私は、反共主義者でも、反党主義者でもないし、破壊分子でもありません。
選挙になれば長野県民でも21区の選挙民でもないので共産党に「一貫して」投票してきました。以上枕詞。
もっともレッテルは販売側で勝手につけるものですから言うだけ無駄ですが、この党に関して何かコメントするときには枕詞が要ります。
さて、長野で、東京21区で自民党が負けて、TVが「政党不信時代」と言う切り口で報道してた中で志位クン(いかにも「クン」付けは嫌らしいと思うけど、歳も下だし、同僚であっても地位に関わらず彼にはクンかチャンとしか言いたくないな)が「わが党は、政党不信とは無縁の政党ですから」(正確な表現を再現できないが、およそこんな趣旨)とカメラに向かっておっしゃった。
女房共々、瞬間的に吹き出してしまった、「それだから政党不信が起きてるの!君は森総理と同じレベルか。」とツッコミを入れながら。
志位クンに代わって、もう少し丁寧に言うなら「政党不信は自民党や公明党が長い間に作り上げたもので、マスコミは十把一からげに言うが、結党以来一貫して国民の利益を守るために、文字通り命がけで闘ってきたわが党とは無縁のものです。」ということでしょう。
こういう「わが党論理」がまともには相手にされない論理、いわゆる「独善」と批判されるものだと言うことが志位クン達には全く理解できないようです。
親切心から忠告しようものなら、ウンザリするほど、その歴史を延々と「解説」するし、政党不信との無縁さをこれ又縷々「論証」が始まります。
誰もそんなもの相手にするほどヒマではないから横向いて苦笑いして済ませてしまう。これはテレビ討論でよく見る風景ですが、こういう執拗さと相手の論理に乗れない、理解できない脆弱さは、宗教勧誘の五月蠅さと瓜二つです。
この党が何らかの力をこの国で発揮すべきだと思う勢力が、党の内外からキチンと批判しなければと行動すれば「枕詞」(このサイトにもあります)をふっておいてもレッドカードを一方的に突きつけられます。
何を怯えているのでしょうね、この人達は。この怯え方はスターリンやヒットラーにも共通していたと思ういます。
おびえは「別刷り」にも現れています。開かれた党大会用に議論するなら「別刷り」を支部に一部などといわず赤旗で公にすれば良いではありませんか。
「民主的」装いは必要だし、といって党内のことを完全公開も後々困るしといった中途半端さが配布の仕方に滲み出ていますね。あらゆる言論の制限そのものが「権力」そのものの発想なんだけどな。
何時の時代も大小強弱を問わず「権力者」(党指導部は「権力」とは無縁との声が聞こえつつ)は、事実を観たがりません。「権力者」と一切の利害がない者だけが「王様は裸だ。」と嗤うのです。