長野県知事選、東京21区補選の結果から「日本共産党」という看板について考えてみたい。両選挙の結果はこの国の国民の間にそれでもやはり「変革」への意思が存在していることを示していると思う。そしてそれは共産党も含む既成政党への不信感ともなって現れている。
日本共産党について言うなら吉井ゆきさんが投稿で述べられていたが東京21区でもし共産党が川田氏を全面支援をしたり、また川田陣営がそれを受け入れていたなら当選はなかっただろうというのはなんとも皮肉でありまた示唆的である。
また長野県知事選でも過去共産党は唯一県庁支配の体制に候補者を立てて批判し続けてきたはずである。しかし今回マスコミ的には知名度はあったが、数週間前に立候補を表明した政治的には素人(神戸でのボランティア活動はあるが・・・)とも言える田中康夫氏が何故当選をはたすことができたのか? 県、市町村、業界団体による締めつけをはねのけて長野県民は改革の希望を田中氏に託したのである。過去それを批判してきた日本共産党には何故託さなかったのだろうか?
私は共産党がその創立以来それぞれの時期において民衆の側に立った体制批判政党としての役割を果たしてきた事を認める。しかし国民は一度たりともこの党に政権を託すことはなかったのである。そしてこの党に「改革」が求められるようになってかなりの時間がたつが今回の二つの選挙結果を考えると22回党大会に提起されている不破・志位執行部による「改定案」の「党改革論議」がどういう決着を見るにせよ「日本共産党」という看板は国民の間では受け入れられにくいものなのではないだろうか。それは「日本共産党」という看板とその歴史、体質を一体の物として国民が認識していることを示していると思う。つまりすでに歴史的にこの看板は国民の変革の意思の結集に対する阻害要因になっているのである。
仮に、万が一共産党が「民主的に改革」されたとしたらこの看板は益々桎梏になるだろうし、また今回の「改定」のように一定の改革をしたとしてもその結果だけでなく経過においても一般社会の民主主義感覚と合わないものであるなら、この看板は益々国民の間の「変革の意思」の結集を妨げる集団の代名詞となるであろう。まあ早い話がどっちに転んでもこの看板では国民は投票しないだろうということなのである。
現不破・志位執行部はいかなることがあってもこの「看板」を下ろさないだろう、、ならば本サイトに注目しておられるような党員の方々はこのことをどのようにお考えだろうか? いかに党内部では「誇り高き」名であろうとも国民の変革への意思を束ねることの出来ないこの「日本共産党」という「看板」について・・・。
文字化け部分の再送ありがとうございました。なぜ文字化けが起きるのかとご質問がありましたのでお答えします。はっきりとした原因はわかりませんが、モバイルで送信したら文字化けになったという報告があります。おそらく、改行のない文章が続くと文字化けが発生しやすいのではないかと考えています。(編集部K・S)