前便を投稿してから、標記投稿を拝見しました。
別刷り学習党活動版第4号の原さんの意見に関してですが、憲法9条1項が放棄している「戦争」「武力による威嚇」「武力の行使」とは、同項が「国際紛争を解決する手段として」放棄すると言っていることから、国際法の用例に従い、侵略戦争の手段としての戦争等をいう、と解するのが学界の通説です。したがって、侵略戦争でない、自衛戦争や制裁戦争は、9条1項によって禁じられていないというのが学界の通説だと言えます。
ただ、ここからが原さんの議論における論理の飛躍となるのですが、憲法9条2項で保持が禁じられている「戦力」は、一切の軍事力をいう、と解するのが学界の通説です(以上、芦部信喜:『憲法新版補訂版』・岩波書店・57~58ページ参照)。戦争には、ベトナム戦争におけるアメリカとベトナムの武力行使のように、侵略と自衛との区別は可能ですが、客観的な軍事力に「侵略のためのもの」と「自衛のためのもの」という色分けはできないからです。言い換えると、わが国への侵略があった場合、軍事力に至らない警察力の動員や、国民自身による武器を使用した抵抗活動(ゲリラ戦)を通じた「自衛権の行使」は憲法上も禁じられていない(これを「群民蜂起論」と呼んでいます)が、だからといって、もともと存在自体が違憲な軍事力の行使は、憲法上許されない、というのが憲法学界の通説であると思います。長沼事件第1審判決もこの立場でした。
原さんの論理の飛躍は、国際法上わが国に認められ、憲法自身も否定していない「自衛権」の肯定から、直ちに「自衛隊解散の途上で自衛のために軍事力を行使すること」までもが合憲となる、としてしまっているところだと思います。憲法は、自衛権を否定してはいないけれども、戦車に「侵略用」と「自衛用」との区別などない以上、軍事力の行使は「保持」さえ許されていないことから当然に一切否定されている、これが憲法学界の通説です。
なお、現在の自衛隊が憲法が保持を禁じる「戦力」にあたると言わざるをえない、というのも通説だと言えます(上掲61ページ)。
原さんの粗雑な憲法解釈論は、本当に共産党中央の意見でもあるのでしょうか。