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一般投稿欄

加藤君を英雄扱いするマスコミはおかしい

2000/11/20 地域経済分科会、20代、サラリーマン(連合組合員)兼NGO活動家

 こんにちは。「保守」の地域経済分科会です。
 本稿は、内閣不信任案可決となった場合を想定しています。
 もし否決されていれば、大笑いしながら読んで下さい(^^;;

1.政権交代――結局与党内の抗争でしか実現できないのか?
今度の一連の政変で感じたこと。
政権交代は、結局今の小選挙区比例代表並立制では、「まともな形」ではできず、 森総理が不人気の局地を極めて自民党内で不満がたかまり分裂すると言う形でしか 出来なかったことを示したと思います。
 中選挙区でもそうだったじゃないか、と言う声もあるでしょう。しかしそれは間違ってます。 中選挙区制の時代では、自民党は、過半数に近い国民、絶対得票率でも3割以上の国民の支持を 常に得ていました。あの頃は自民党の「実力」は他野党に比べて「圧倒的」だったのです。
 建設業、銀行、農協と言った「保守地盤」はもちろん、中小零細企業や、労働者と言った 欧米では「リベラル」層に属するはずの人々までも幅広く取りこんでいた。それをうまく実現したのが 経済の高い成長率と割合平等だった所得分配です。
 これが1980年代以降崩れてきて、だんだん自民党の地盤は侵食されて行った。 経済成長率の低下、所得分配の悪化。さらに外圧で経済の国際化が進められ、 大店法緩和、農業自由化などで保守の基盤に打撃が加えられた事が上げられます。 その第一波が89年参院選です。消費税のせいだといわれてますが、本当は 農業自由化の影響です。90年総選挙では一旦回復したかに見えたが、 92年総選挙では議席数は回復したが、絶対得票率は伸び悩んだ。
 政府はその後、UR対策で巨額の予算を農村につぎ込みます。農村は 一応以後は自民党支持で固まりますが、都市部では自民党の低迷が続きます。
 93年には、政権から1度は転落。95年参院選、96年衆院選、98年参院選、2000年総選挙と 自民党の絶対得票率は、2割そこそこに低迷しつづけています。
 それでも自民党は、96年、2000年と政権は維持できた。これがもし中選挙区制度だったらどうでしょう? 自民党はおそらく惨敗し、200議席を割り込んでいるんでしょう。連立相手の社民党や公明党は 自民党を見放し、政権交代が行われていた可能性も大きいでしょう。96年の場合だったらどうでしょう?
 自社さ3党でも過半数は割り込んでいるでしょう。2000年総選挙でも自公保が過半数割れし、 公明党が野党側に就く可能性も高い。
 結局、おおくの日本国民は自民党(与党)を支持していない―――― 少なくとも積極的に支持はしていないのにも関わらず、自民党(与党)は政権を 維持すると言う異常事態となっています。
 また、与党につかないと予算などで締め上げられてしまうので、 結局、野党で当選しても与党へ一本釣りされる例も多く見られました。
 さらに、国政レベルでも政党のオール与党化も進んだ。自自公連立が最たる例です。こうなることは、小選挙区制の 先輩格、首長選挙で見ても明かでした。
 行政資源に依存した利権誘導が政治の仕事になっている限り、また、その元で現行制度が続く 限りは、与党が固定化しやすく、与党のごたごたがないと政権交代が難しいと言う事でしょう。
 選挙制度の見直しは、定数の問題も含めて根本から考え直すべきでしょう。

2.自民党内のごたごたばかり報じるマスコミに注文――加藤・山崎派だけを「英雄」にするな
 マスコミの関心も加藤グループに向いてしまっている。これは危険な事です。
 かくて実際の選挙では、元からの野党(というと変ですが、民主党など)は、埋没してしまう危険もある。93年のときの社会党や 共産党がそうです。結局自民党は案外善戦したりする。「加藤vs野中」の構図ばかりマスコミは報じるべきではありません。
 むしろ、ちゃんと、森政権、その前の小渕政権がやってきた「自民党政治」の実態をきちんと報じる。 そして社会保障なり公共事業なりの具体的な問題点についてきちっと国民に伝える。加藤さんを報じるのは 構いませんが、彼がどういう政策構想を持っているのか。いままで何をやってきたか。野党がどういう政策を持っているのか。それは自民党の 今までのやってきた事と比べてどうなのか。
 そうすればもっと建設的な議論ができるはずです。93年のときも羽田新党が出来た、日本新党、さきがけはどうだとか、 そういう話はありましたが、政策が見えなかった。なんだか、小選挙区比例代表並立制反対は国賊、のような雰囲気になっていた。 というか、極論すれば、自民党の造反派(小沢、羽田派とさきがけ)のみが「正義の味方」のような雰囲気さえしていた。
 これはマスコミの責任です。今回もそれと同じように加藤・山崎派だけが正義の味方のような伝え方をされる雰囲気には注意せねばなりません。 もちろん、加藤さんはやり方がうまいといってしまえばそれまでですが、日本の民主政治を考えればそれでは済まされません。
 あのときの小沢さんも、今度の加藤さんもそんなに自民党が腐っていてだめなことが分かっていれば、もっと早く、堂々と離党して野党に転じるべきでした。
 加藤さんとて自民党内で何期も幹事長を務めた。自民党政治への責任は重大です。公共事業依存型の地方経済。中央集権的財政システム。環境破壊。社会保障制度の行き詰まり。これらには責任があるのですから。それを一貫して批判してきたのはむしろ民主・共産などの野党のほうです。 (社民は、自民党に一時的に味方しており、NPO法などにはみるべき功績もあったが責任もある。)
 今更、正義の味方のような報道をするのはどうでしょうか?加藤さんも反省の弁を述べてからにしてほしいものです。
 そして1993年の異常な熱気における冷静な政策論議不在のつけが、その後の政治の混迷、1995年以降の政治不信の遠因ともなったわけです。

3.大事な事を見失うな
 で、いま、また政権交代の機会が来たわけですが、くどいようですが私たちは気をつけないと行けません。 「何が何でも森内閣にはやめてほしい」というのが75%以上の今の国民の願いではあります。
 それはそうなのですが、それで重要な事を見失っては行けません。森総理が退陣したら、 あるいは自公保連立が倒れたらその後、どうするのか。社会保障、公共事業、財政システム、 環境問題、都市問題。必ずしも野党側でも一致しない部分も多い。安保などになるとその差は激しい。
 ある程度、天下構想のようなものをまとめておかないと、例え非自民政権が実現しても、 いろいろな政策課題に対応できず、細川・羽田内閣の二の舞になりかねません。
 自民党が、非自民各党のどこかに手を伸ばしてまた政権を奪回、そのまま固定化、という 事態に戻りでもしたら。。1993年、94年、95年の教訓を忘れてはなりません。
 政治改革、政治改革にとりつかれ、じゃあ、それで具体的に何をどうするかがなかった。 政治改革も結局、小選挙区比例代表並立制の導入にすりかわりましたし。無論、その後の 自社さ、自自公、自公保連立政権下で「地方分権」「情報公開法」「NPO法」「ダイオキシン規制法」「循環型社会基本法」などの 見るべき成果はありましたが。自民党の社民党、公明党対策の面がぬぐえない。
 逆に衆院比例定数削減法案、参院非拘束名簿方式導入などの改悪がまかり通った。
 「大臣病」に取りつかれても行けません。それではまた、自民党と同じ事になってしまいます。 何をどう変えて行くのか、とりあえず、地方への思いきった財源委譲とか、社会保障制度改革、 金融の安全網整備、、公共事業改革など野党で比較的一致する部分も多いところで、政策を実現する。個人的には 燃料税の改革などを実現してほしい。道路特定財源廃止などに切りこめれば良いですが。そうなれば、 大分、自民党政治の悪弊は流されます。
 ただ、それ以上踏み込んで各党が譲歩するのは難しいかもしれない。とくに日本共産党や 社民などが下手に譲歩すれば、支持層が逃げかねません。そうなると却って非自民全体として 支持層が減ることになり得策ではない。
 今後、注目すべき点は、予想以上に階層間、各社会的グループ間の対立は激しくなってくるかもしれません。 それはグローバル化により先進国では必然的に起きてしまうものです。
 経済成長率と所得分配の不平等の度合いによりますが。そういう事態になった場合、 どういう手段で、社会的混乱を回避して行くか。
 下手をするとファッショ的な新党が出て来たりしかねない。現実的に回避して行く方向を 考えないと行けない。その方向性を巡って一つ軸があるような気がします。
 ということで、ひとしきり改革したら、また総選挙でしょう。そして、政策の軸で政党が分かれるようになる まで再編を続ける。おそらく、「個人を重視し、経済的自由を優先する勢力、」「社会的連帯を重視し、環境や人間的尊厳 を重視する勢力、」「伝統的共同体を重視し、公共事業で分配を図る勢力」くらいに3分割される。 過渡期の苦しみですが、本当の意味での政治改革を怠ってきたつけがきていますから。